ほんとに強い敵ほど動揺に弱いというのはいつの世にあっても真実かどうか
『あたしも行く…!』
「孫悟空、錫杖を黙らせてっていってるでしょう!」
「だからどうやって!!」
如意棒がジープに何か耳打ちをしながらぎろりと横目で悟空を睨む。悟空にとっては理不尽極まりない要求を突きつけられているのだが、事態はそんなことを云々できる状態ではなかった。
ジープが真剣な瞳で如意棒を見上げる。そして、わかった、というように大きくばさばさと羽根をはばたかせた。
如意棒はくるりと振り向き、錫杖に向かって短く口訣を唱えた。
「あなたの大切な沙悟浄はちゃんと助けてあげるから。お願い。とりあえずこの白い竜でなければあの結界は打ち破れないの」
錫杖は強制的に黙らされ、そしてジープは鋭く一声鳴いて、悟空が指し示した、紅竜王が突如現れたという空間にものすごい勢いで、飛び込んでいった。
「ピィッ」
鋭い爪が青竜王の背中めがけて襲い掛かってきた。
当然青竜王はその気配を事前に察知してその攻撃を避けた。しかし、避けたはいいがその顔には驚愕の表情がこびりついていた。
ジープは空中で急旋回すると、再び青竜王目指してまっすぐ飛び込んでくる。それも青竜王はかわしたが、その額には幾筋もの汗が流れを作っていた。大きく目を見開いて、三度突っ込んでくるその白い小さな竜を青竜王は凝視した。
「何故この俺の結界を破ったのだ……?」
「ピィィィッ」
ひときわ鋭く長く鳴いてジープがその口をあけて青竜王の右目を狙ってまっすぐにものすごい勢いで飛び込んできた。その赤い目と青竜王の深い青い色の目がかちりと合った瞬間、青竜王はこれ異常ないというくらい大きく目を見開いて、その鋭い牙をかわしながらジープの姿を見た。
「何奴…?まさか、お前は………」
ガゥンガゥン
青竜王に動揺が走った。それは時間にするとほとんど一瞬であったのだが、その動揺は結界を揺るがす動揺だった。そして、三蔵にはその一瞬だけで充分だった。
ぐにゃりと曲がった空間の向こうから、三蔵が正確に青竜王の眉間を狙ったS&Wの弾丸が空気を切り裂いた。
深い藍色の甲冑を着た男の眉間にその弾丸は打ち込まれはしなかったが、男の精神にはそれ以上のダメージを与えたようだった。立ち尽くす青竜王の作り出す結界が次々と綻びはじめ、鏡が砕け散るかのようにばらばらとその青竜王の姿が空間から現れだした。
「悟浄……!」
瞬間的に二人を押し付けていた力が弱まり、八戒は悟浄に向かっていた左手を少し持ち上げることができた。その左手から大量に気が放出され、悟浄に向かって奔流をつくる。
気は今度は悟浄のところまでたどり着き、悟浄の体全体を淡く包んだ。
「こら…!!!八戒!ナニバカなことしてんだよ!」
見る見るうちに指先や足先の感覚が悟浄に戻ってくる。ぼやけていた視界と思考回路が急速に回復してくる。
つまり、それだけ、八戒の力を消耗しているのは火を見るよりも明らかだった。
その気を振り払おうと悟浄は右手を持ち上げ、次に体を起こし、八戒を睨みつけた。
「八戒!!」
「…よかった…悟浄……」
唇の端から血を流し、半分ほど開いた瞳が悟浄を見上げていた。
右手を顔の下に入れ、持ち上がらない首をどうにか悟浄のほうに向けている。
ふっとその瞳がやわらいだ気が悟浄にはした。
あの雨の夜に拾ったときと酷似しているシチュエーション。
あの時も八戒は悟浄を見上げてふっとわらった。
しかし。
しかし、今わらっているその八戒の瞳は。
あの時とははっきりと違う色をたたえてまっすぐと悟浄を見上げていた。
瞬間。
悟浄の紅の視線を絡めとり、もう一度笑って、八戒はゆっくりと目を閉じた。その笑顔がとても――――――きれいだと悟浄は思い、そして、八戒が目を閉じた理由を己で考え、たった一つしかないだろう結論に達した瞬間。
どう考えても八戒は悟浄の怪我を治すためにその気を放出したのであり、当然自分のことなど全く興味がない彼のことだから持てる力の全てを悟浄に与えたのであろうという結論を悟浄が自分で噛み砕くより先に、悟浄自身の頭の中が何かで漂白されたように真っ白になり。
目の前に倒れた。
3年間も一緒に暮らした。
丁寧なくせに口が悪くて口うるさくて、
チャンスと見ればためらいもなく死にたがる、
自分の命にまるで執着をしないかわりに、
近くにいる存在が傷つくのを嫌う、
母親のような小言ばかりいう男を。
「錫杖―――――――!!!!」
しゅるるるる、という鋭い風切り音が悟浄の手の中に起こり、召還されたその銀色の細い魔器は、じゃらん、と鎖を鳴らして定位置に収まった。
「手ぇ、出すなよ」
腹のそこから押しつぶされたような低い声で、悟浄が宣言をする。青竜王の前に仁王立ちし、錫杖を突きつけながら、悟浄は今まで見たこともないような瞳で青竜王を睨みつけ、更に今度は聞いたこともないような大音声を投げつけた。
「そこの変態サドオヤジは俺が倒す!絶対てめーら俺の半径5メートル以内に近づくんじゃねー!」
鏡の破片のような空間がばらばらと崩れ落ちるなか、青竜王はひどく悪い顔色で悟浄を睨み返している。
「誰が貴様の手助けなどするものか」
きっちりと青竜王の眉間に銃口を向け、不機嫌にいらいらと三蔵は言った。
「ジープ、行け」
「ぴぃっ」
「俺が一人で倒すっつってんだろ!近寄るな!!」
三蔵が白い小さな竜に向かって悟浄の近くに行くように言う。ジープは、言われたことの意味をすぐに理解して、嫌がる悟浄の肩にとまろうとした。
「アホ悟浄。お前その変態オヤジの技どーやってかわすつもりだよ!兄弟そろって変態なんだからジープの力は必要なんだよ」
「…黙れ木っ端!!!」
その瞬間、上からコンクリートの壁がふってきたように悟空の身体が地面にたたきつけられる。
息もできないくらいの圧迫感が、悟空の身体をぎりぎりと締め上げた。
「…何故、貴様らがここにいる」
相変わらず自分を狙ったままの銃口を露ほどにも気にかけず、憤怒の形相で青竜王は三蔵を見た。鋭く、短く、口訣を唱え終わる寸前、悟浄の錫杖が口訣を唱えるために口元に寄せられていた青竜王の右手の指二本を切り裂いた。
三蔵は微動だにせずその竜族の長、四海竜王の長兄で、東方を統べる、最大にして最強のこの星自体が持つ重力という力を操る東海青竜王敖広を狙ったS&Wを降ろさなかった。
「…簡単な引き算も貴様にはわからないのか」
「黙れ!俺の前に這いつくばることしかできぬ木っ端どもが!!」
「残念ながら玄奘三蔵を這いつくばらせることはできぬようだがな、青竜王」
怒髪天をつくとはこのことだろうか。青竜王はそのきれいに結われた髪を逆立てん勢いで顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。その声を涼しい声が神経を逆なでするように遮る。
「……貴様…如意金箍棒……つくづく目障りな魔器め」
「……黒竜王は、私と、私の現在の主人である孫悟空が」
すうっと目を細めて唇を片方吊り上げて、如意棒は青竜王に向かって静かに笑いながら言った。
「紅竜王はそこの紅い髪のおにーさんの手の中に収まっている錫杖が」
「倒して、今ごろ仲良く地面とお友達だ!地の力を司るオッサン、あんた自分の仲間が地面に倒れこんでるのもわかんねーくらいもうろくしたんだな」
「黙れ!!!!!」
如意棒はすっと、如意棒の姿に戻り、その如意棒を支えにして、悟空が立ち上がった。
明らかに青竜王は動揺し、動揺はその強大無比な力にほころびを生じさせていた。
「…オッサン、お前の相手はこの俺だ」
銀色の鈍い光を放つ錫杖を突きつけられ、青竜王は沸騰寸前の表情で、その錫杖の先にいる、紅い髪と紅い瞳を持つ半妖怪を殺しそうな勢いで睨んだ。