各個撃破が一番有効な戦術というのはいまも昔も変わらないというのは本当かどうか



「……いってろよ。これから悟浄さんのかっこいいところさんざん見せてやるからそのときになって泣いたってゆるしてやんねーからな」
「減らず口を…」

 短い髪の男がいやそうに口元を歪めて悟浄を見た。
 暗く分厚い雲の隙間から僅かに漏れる白い月の光が縁取るその長身の肩は明らかに上下していたし、おさえられた腹から流れ出る血は既にその本人の足元まで赤く染め上げている。
 ぜえ、とかはあ、とかいう大きな呼吸の音がここまで聞こえてくるほど弱りきっている男の口から出たとは思えない言葉に、青い甲冑の男があきれ返るのも無理はないだろう。

「悟浄…!動いちゃ…ダメ、です」

 ぎり、という歯軋りの音が聞こえそうなくらい低く押しつぶされた声が悟浄に向かって発せられた。

「……煩いな。貴様は少し黙ってろ」
「…………!!!」
「八戒!!」

 短い髪で青い甲冑をまとった男がぎろりと八戒を睨み付ける。その途端、八戒は声もなくうつぶせのその状態のままで身体をぎりぎりと地面に向かって更に押し付けられた。
 その力が何によるものなのか八戒には全く理解できなかった。オレンジの髪の男も青い甲冑の男も、何か道具や武器を使って八戒を押さえつけているわけではない。彼らは涼しい顔をしてただそこに立っているだけなのだ。
 それなのに、八戒はぴくりとも身体を動かすことはできなかった。身体中全てに圧力をかけられてじわじわと縮んでいくような、全てを締め上げていくようなその感覚を振り払うことができなかったのだ。

「魔器の姿がないようだが」

 オレンジ色の髪の男が2,3度周囲を見渡して腕を組んでから口を開いた。

「…まあ、この程度の半妖怪に操られるような魔器だ。たいしたものでもあるまい」

 ちらりと視線で悟浄をみやり、長いひげを扱きながら青い甲冑の男が更に言葉を続ける。

「炎は油断しすぎたのだ。炎に傷をつけるような相手だからと周到に準備を重ねてきてみれば、経文も、魔器も、これならあっけなく手に入れられるだろうに」

「…ち…きしょ……」

 甲冑を着けないオレンジ色の髪の男を悟浄が狙ったのは当然のことだった。しかし、その悟浄の踏み込みには鋭さはなく、ひじの打ち込みも完全にその行動が予測できる範囲のものでしかなかった。足を一歩も動かさずにオレンジ色の髪の男は悟浄の攻撃を避けた。

「そんな状態になってもまだ魔器を呼ばずに戦えると思っているのか愚民め」

 悟浄の背中に手刀を叩き込み、その手が悟浄の血で汚れたことに眉をしかめてオレンジ色の髪の男がいやそうに手を振る。

「…息の根を完全に止めてやるのも胸糞悪い。まあそこでゆっくりと死んでいけ」

 叩き込まれた手刀の勢いにつんのめった悟浄の前にすばやく回りこみ、その胸をつかんでオレンジ色の髪の男はその長身に比例した長い手と足で、悟浄の頭と首に、更にダメージを与えていく。じわじわとなぶり殺すには脳と神経系統にダメージを与えるのが一番手っ取り早いのだ。

「ごじょ……う……」

 反撃は全く許されることなく容赦のない攻撃を受け続けている一方のその状態の悟浄を、見ていることしかできない八戒が、震える声で悟浄を呼んだ。
 圧倒的な力を持つ得体の知れないこの敵。
 自分が殺されるのは気分がよいものではないが今のこの状況より3000億倍マシだ。

 なす術もなく。
 目の前で。
 3年間ともに暮らしてきた、奇跡的に気の合う気持ちのい男が。

 全身の力を八戒は集め、せめてオレンジの髪の男のほうに向いている左手からだけでも、気孔を放出するために、指を持ち上げようと歯を食いしばった。

 何もできないまま。
 一緒に暮らしていた人を。
 それだけは――――――――――――


 ―――微かに地面から左手が浮き上がったその瞬間、八戒は気孔をオレンジ色の髪の男に向かって放出した。

「…まだそんなことができるとは大したものだ」

 ゆっくりと唇を歪めてオレンジ色の髪の男が振り返った。そしてそのままのスピードでゆっくりと八戒の前に歩みを進めてくる。
 八戒の前までくると、男は長身をかがめ、オレンジ色の髪をさらさらとこぼしながら、八戒の形のよい顎をつかんで持ち上げて言った。

「兄者の力をまともに受けてなおそれか」

 髪よりは少し深いオレンジ色の瞳を細め、その男は面白いものを見た、というのと同じ口調でそう言った。
 数メートル先には悟浄が自らの出血で作った小さな赤い池の中に倒れこみ、八戒が放った気孔によって大きく抉られた地面がその間に横たわっていた。気孔をまっすぐ飛ばすほどには手を持ち上げられなかった八戒のその押しつぶされている現状の、結果だった。





「この結界は……」

 先ほどから地面に手をつけて何か口訣を唱えていた如意棒がすくっと立ち上がり、いつになく顔色の悪い顔で口を開いた。

「……呪符でも道具でもないわね」

 腕組みをしたままじっとなにかを考えていた三蔵は袂からマルボロを取り出してそれに火をつけると、大きく煙を吸い込んで、そして盛大にそれを吐き出してから如意棒を見た。

「念とかそういうレベルの問題でもないな」
「だとすると。残るはただひとつ」

 顔色の悪さを隠しもせず、如意棒は三蔵をまっすぐ見ていった。

「物理的に作られた結界――――つまりは、重力異常が引き起こすタイプの、一番厄介な結界ね」

 時間と空間を合わせて時空という。
 光はその時空にそってすすむから、重力異常の起こっている空間は、その異常に沿って歪み、光も当然それに合わせて歪んでいく。まっすぐすすんでいる、と思っても、その歪みに沿って同じところをぐるぐると、まわらされているということが勿論あるのだ。

 そして先ほどから、あの森の中では。
 恐ろしいほどの重力異常からくる時空の歪みが、外界からその森のごく一部を完全に遮断しているのだ。

 この結界を破る方法はただひとつ。

 重力異常を起こしているそのもとを絶たなければならない。

「問題は」

 如意棒がその豊かな胸の下で腕組みをして森を凝視しながら言った。

「もとが、結界の中にいるんだから手の出しようがないってことよね」

 珍しくあせった表情の如意棒を見て、三蔵は自らの眉間にもこれ以上ないというくらい皺が寄っていることを再認識した。常以上のスピードでマルボロを消費しながらぼそりとつぶやく。

「狙いが経文だとすると…何故、八戒と悟浄から襲った……?」

「各個撃破は一番確実な策だからな」

 派手な落雷音が辺りに木霊し、轟く声を上げてつい先日如意棒に撃退されたばかりの男…黒竜王が、再び偉そうに水の竜とともに、如意棒と三蔵の目の前に出現した。





「…悟浄が、危ないの!!」
「どうした、錫杖、落ち着けよ」

 悟空の両腕を必死でつかみ、涙目になりながら錫杖が声を上げる。

「孫悟空…孫行者。ああ、どうしよう…あたし悟浄が一番あたしが必要なときに、悟浄のところに行けない」

「それはこちらとしては好都合です」

 何もない空間から、突然手が生え、足が生え、そして腰まで届くオレンジ色の髪が最後にはえて、二人の目の前にやたら長身の、やせた、髪より幾分濃いオレンジの瞳を持った男が出現した。
 そしていきなり口訣を唱えたかと思うと、その男の周りに、真っ赤に燃え盛る真紅の竜が2匹、沸いて出た。
 炎を結晶化したようなその竜が咆哮を上げ、全身から燃え盛る火を照射する。

「くそっ、何だよ!如意―――――!!」
「ダメよだめ!!孫悟空、如意棒をいま呼んじゃ絶対ダメ!!!」

 襲い掛かる火の玉を避けながら、錫杖が必死に悟空の口をふさぐ。その錫杖の行動の意図が飲み込めず、悟空はその金色の目をまんまるにして錫杖を見やった。

「錫杖―――?」
「こいつら、各個撃破を狙ってるのよ」

 いつになく険しい表情で錫杖は目の前の炎の男をにらみつけながら言った。

「いま、孫悟空、あなたが如意棒を呼び出したら、玄奘三蔵はひとりになってしまうわ―――」
「―――――!!」

 その洞察力と事態予測の正確さに悟空は声を失った。敵の狙いが経文である以上、三蔵が漏れなく襲われることは間違いなく、その三蔵は、何だかんだといっても一行の中で唯一の人間なのだ。

「一刻も早くこいつを倒して、少しでも早く皆と合流しないと―――」
「ぺらぺらとよく回る口だ」

 オレンジの髪の男は炎に熱せられた空気の向こうで陽炎のようにゆらゆらとゆれながら言った。

「1000歳にも満たぬ魔器がこの南海紅竜王をこいつ呼ばわりか」

 炎の竜の大きさがまた一段と大きくなった気が悟空にはした。
 ごお、っという大きな音がしたかと思うと、竜そのものが、半瞬前まで悟空と錫杖がいた場所をめがけて獰猛に突進してきた。
 左に飛び退ってそれを間一髪避けた悟空の背後から2匹目の竜が悟空をめがけて大きな口をあけて炎を吐き出した。

 せめて如意棒があればそれを叩き落すことは可能であるのに―――。まさか錫杖が悟空に使えるわけもなく、その新たに出現した竜王の攻撃で身体のあちこちに火傷をつくりながら、悟空は現状打破の方法を何とか考えようともがいた。











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