雨上がり 



雨上がりに


二人は空を見ていた。
雲の隙間から、真ん丸いお月様がぽかりと見えた。
明るく柔らかい光で輝いている、十五夜の月だ。


西への旅を無事に終え、三蔵と悟空を寺へと送った帰り道、
急に振り出した激しい雷雨は、幌の無いジープで移動していた二人を
足止めするには充分だった。ずぶ濡れになって歩く事もいやで、
小さな公園で二人と一匹は雨宿りをしていたのだった。その雨もようやく上が
り、雲の切れ間からは月の光が漏れてくる。

 「雨、やっと上がりましたね」
以前のように、雨の日におびえる事が無くなった八戒は、隣でタバコを燻らす
悟浄に声をかける。
「うーん、だな・・・」
「行きますか?」
「あぁ、行くか、つうか、帰るか、だろ。俺達の家に」
そう話す悟浄に、八戒は目を見開き、ふわりと笑顔をむけ、
「そう、帰るんでしたね、僕達の家に」
と、うれしそうに弾んだ声で話し、雨上がりの濡れた道に足を踏み出した。

悟浄の腕を引っ張りながら、まるでスキップをするように。ちょっとバラン
スを崩しながらも、八戒に引っ張られるまま悟浄も歩き始める。
隣の八戒に微笑みながら。
めずらしい、子供のような八戒の仕種に八戒が心の底から喜んでいる事がわか
り、それがうれしい。

自分も同じ気持ちなのだ。


 二人で帰ってきた。この町に、二人の家に。


悟浄は歩きながら、タバコをゆっくりと携帯用の灰皿で消すと、いたずらっ
子のような笑顔を八戒に向け、軽く唇に口付けた。突然のその行為に、思わず
足を止め、目元を赤らめる八戒だか、きつい口調で悟浄をたしなめる。
「悟浄!誰が見ているかもわからないんですから」
しかし、八戒の言葉は、まるっきり悟浄には効果がないようで、さらに両手
を八戒の体に回し、ぎゅっと抱きしめ、その顔を覗き込む。
「んーだって、お前かわいいんだもん」
語尾にハートが見えるようなその言葉を唇にのせて、さらに深い口付けをしよ
うと顔を近づけるが、その行為に八戒はさすがに抵抗する。
「悟浄!ここはもう、旅先の町じゃないんです。知り合いだって一杯いるんで
すから」
「こんな夜遅く、だれもいないって。だから、な、八戒」
「だめです!悟浄!」
悟浄のその手はすでに八戒の体を撫で回し、次の行為にいこうとしているのが、
八戒には思いっきりわかる。だから、抵抗も必死になる。
両手で悟浄の胸を押し、腕から逃れようとするが、力では敵うわけが無く、そ
の抵抗も無駄に終わりそうな、その時。
「あだだだ。何?なんだ?」
「きゅいいいぃい!」
「「ジープ!」」

赤い悟浄の髪の毛を必死に引っ張る白龍の姿が二人の目に入る。それまで、
すっかりジープの存在を忘れていた二人だった・・・。

「この!やめろって!あたた」
なおも髪の毛を引っ張るジープに、さすがに悟浄も八戒から手を離し、ジー
プを払おうとすると、その時を待っていたように、八戒は悟浄の腕から抜け出
し、ジープに悟浄から離れるように話し、ありがとうと感謝を伝えた。
「ありがとうじゃねーよったく。あーあ、いいとこだったのに」
「もう、本当に節操が無いですね。どこでもいいんですから、悟浄は」
「そう、だって八戒が俺をさそうんだもん。それに、ほんとは今日、
お前の誕生日じゃん。なのに、こんなとこで足止めくらっちゃって。
あーいう事とかこーいう事とかしてやりたかったのよ。もちろん、
ベッドでさ〜。なのに、なんにもしてやれなくって。な、だから・・」
臆面もなくそう話す悟浄にあきれた顔に思わずなってしまう八戒で。

「悟浄。誕生日を祝ってくれるのはうれしいです。でも、悟浄のそういう
プレゼントはいいです。さ、ジープ、こんなおばかな人は置いて、
さっさと家に帰りましょうね。車になってもらっていいですか?」
「キュイ♪」
「あ!ちょい待ち!」
「なんです、悟浄?」
「んーいや、せっかくだから、家まで歩かない?でさ、できれば、二人きりで」

さっきまでのにへらという顔とは違う、でも、どこかはにかんだような表情
で鼻の頭を掻きながら話す悟浄を見て、悟浄の気持ちのわかった八戒はくすり
と笑いながらも、その気持ちに答えることにする。
「いいですよ、仕方ないですね、子供みたいですよ、悟浄。申し訳ないですけ
ど、そういうわけで、ジープには先に家に行ってもらいますね。ジープいいで
すか?」
キュイっと了承の意味の鳴き声を残し、ジープは一足先に家へと向かって飛び
立っていく。十五夜の月の明かりで白々としたその空の中に白いジープの姿は
溶け込んでいった。ジープの姿が見えなくなると、八戒はくるりと悟浄に振り
向き、にこやかに笑いかける。もちろん、周りを氷らすあの微笑ではなく、愛
しさを感じる優しい笑顔で。でも、その桜桃の唇から出された言葉は、ちょっ
と手厳しい。
「悟浄、あなたが感傷的な人とは思いませんでした」
うっと思わず、むせ込みたくなる悟浄だ。
「い、いや、なんていうか、なんか二人で歩きたいっていう気分なんだな〜。
お前の誕生日じゃん。それにさ、無事に旅から帰ってこれた事だし、旅に行く
前だって色々あったから・・・」

ごにょごにょと言葉を濁す悟浄の気持ちが痛いほどわかる。西への旅は、思
った以上に厳しいものがあった。生死を賭けた旅だったと言っても言いすぎで
はない。その旅から無事に二人は帰ってきたのだ。そして、この町は自分達に
とって故郷とも言える場所だった。ここで二人は出会い、ともに暮らし、お互
いが必要不可欠の存在になったのだから。その場所に、生死を賭けた旅から無
事に戻れたのだ。さらに、二人の絆を深くして。

だから、出会った場所に感謝をしたい、そして、行ってらっしゃいといって
くれた人と会いたかった。

 すっと、悟浄の腕に八戒は自分の腕を絡める。思わずビックリという顔をし
た悟浄に、にこりと微笑み、八戒は歩き出した。
「さ、家に帰りましょうか」
「あぁ、帰ろう、俺達の家に」

腕を組んで歩き出す二人に月の明かりが柔らかく降り注ぐ。そして、建物に
も道にも光があふれている。
 
「なんか、すごく明るいな」
まぶしそうに目を細め空を見上げる悟浄。その悟浄に、
「十五夜ですからね。それにしても、本当にきれいですね。月の光があふ
れて。明日は晴れそうですね。家に帰ったら、やる事山のようにありますから。
晴れてもらわないと困ります。もちろん、悟浄もやってもらいますよ」
と、にこやかに微笑み八戒は話しかける。その微笑に思わず不吉なものが胸を
よぎる悟浄で・・・。
 『きれいなのはお前だって。月の光がすごく似合ってて、でも・・・やる事?』

「やる事って?八戒?」
「掃除でしょ?洗濯に、布団干しに。雨だったらどうしようかと思っていたん
ですよね。それに買出しもあるし」
「ちょ、ちょいまち!疲れを癒すってのは無いわけ?久しぶりの我が家で、ゆ
っくり温まるってのは?」
「あなたの頭はそれしかないんですか?」
がっくりと肩を落とし、組んでいた腕もはずし、あきれたように呟いてしま
う八戒だ。外された腕を寂しく思いながらも、懲りないのは悟浄で、話続ける。
「当たり前じゃん。それっきゃないでしょ。それに、何日してないと思ってい
る・・・わぷ・・・」
がばっと、男も惚れ惚れするようにきれいな手を八戒は悟浄の口元に持って
いき、にっこりと体の心から凍らす微笑をむけ、一言、
「悟浄、これ以上こーんな場所でそんな事を話したら、あと一週間は僕に障ら
せませんからね」
と、言い放つ。
あと、一週間という所が、妙に優しいじゃないかと腐った頭で考える悟浄だ
ったが、今すぐにでも押し倒したい自分の煩悩はあと一週間という言葉には敏
感だったようで、素直にこくこくとうなずいた。
よろしい、とばかりににこやかに微笑む八戒に安堵の息を吐いてしまってい
た。

二人の目に、いつも買い物に来ていたバザールの広場が見えてくる。さすが
に夜遅いこの時間は人もいなく、開いている店はない。
 しかし、わずかの期待をもって二人はきょろきょろ周りを探してしまう。
「月明、いないか?」
「さすがにいませんね。やっぱりこの時間まではやっていないでしょうから、
明日来ましょう」
「うん・・。いや、こんな月の日にはやっていそうだったのにな。月明ってい
うくらいじゃん。んーでも、もう、遅いからな〜。あ、でも、あいつらまだ、
居るかな〜」
「居るでしょ?だって、ずっとずっと待っているっていってくれてたんですか
ら」
「だな、ラブラブのとこ見せ付けてやんないとな」

 二人は小柄な彼女、月明を思い出す。くったくなく淡い茶色の瞳をくるくる
とさせ豪快に笑う彼女。決して美人には入らないであろうその容姿なのに、ど
こか魅力的で引かれずに入られないものがあった。
月明かりという名前より、お日様の光の方がきっと似合うような彼女。

「早く会いたいですね」
「驚かせてやろうぜ」
「驚きませんよ、きっと。だって月明ですよ?」
「ま、そりゃそうか」
くすくすと二人で笑いながら、二人は歩いていく。

 ふわりと空気の中に、木々の香が混じってきた。
懐かしい香。家までの道の香だ。
「なんだか帰ってきたって感じですね」
ゆっくりと胸いっぱいに息を吸い込む八戒。
「ここ、覚えてる?」

 そこは何の変哲もない道。でも、そこは・・・。

「もちろん、覚えていますよ。あなたが僕を拾ってくれた場所でしょ?」 
まだ水たまりの残っているその場所にしゃがみこみ、地面をゆっくりと愛しむ
様になでる八戒の指を、ぎゅっと悟浄は握りこみ、そのままその手に口付け、
指を絡ませる。自分にとって、この場所は八戒を拾った大切な場所だ。そして、
八戒も同じ気持ちでいてくれる。それがうれしい。

「悟浄?」
「ん?いや、うれしくってさ。お前に会えて。そして、生まれて来てくれたこ
とに。誕生日おめでどう、八戒」
「悟浄・・・。ありがとうございます」

「さ、あとちょっとだな、家まで」
「ええ」

指を絡めたまま、歩きだす二人。
月の光が木々の間からもあふれている。
その光が一番溢れるところ。そこに、二人の家はあった。出かける前と変わら
ぬ姿で。だが、庭は草が伸び放題で、壁も窓も汚れていて、離れていた時間が
わかる。

「帰ってきましたね。僕たちの家に」
「あぁ、帰ってきたんだな」

 ゆっくりと草を踏みしめ、ドアの前に二人は立った。
悟浄がポケットからちゃりっと小さな音を立てて鍵を取り出す。
そして、ゆっくりと鍵をドアに差込み、ドアを開ける。

 二人は顔を見合わせ、声を掛け合った。
「「ただいま」」
「「おかえりなさい」」と。

 「きゅい」っとジープの声がして、八戒の肩にふわりととまった。
 「なーんだ、お前も帰って来たのか?あー?」
悟浄がジープに向かってゲッとした顔で話しかけると、ジープも負けずに
反論するように悟浄に抗議の声を上げる。
その姿に笑いながら、二人と一匹は家の中へ入っていった。

今日から、平凡な、でも、幸せな充実した生活に戻れた事に感謝して。
そして、新しい日々に・・・。


 










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