人の形をとるものに世間一般の大多数の情が移ってしまうのはなぜか




「黒竜王、貴様がここまで衰えたとは思ってもみなかったな」
「ほざけ!その減らず口二度とたたけぬようにしてくれるわ!!」

 そう言って漆黒の男は、漆黒の闇夜を二つに切り裂くほどの稲妻を頭上に振りかざした己の右手に集め、そのままそれを如意棒にたたきつけようとした。
 如意棒は薄く笑って、印を結び、口訣を唱えた。
 驚いたことに稲妻は行き先を失って再び天へとかえっていく。

「…すげぇ……」
「如意棒って……あんなに強かったんですね……」

 激しく対峙する真っ黒の男と、如意棒の戦いに、悟空は瞬間魂を奪われ、感嘆のため息をついた。
 如意棒は強い。途方もなく強い。おそらく妖力制御装置をつけた今の悟空よりはるかに強い。

 それが。

 如意棒は言っていた。まだ完全に力が解放されているわけではない、と。使いこなせる誰かがいて、初めて真の力が発揮できるものだと。
 その解放された真の力のすさまじさを想像することもできず、悟空はただ息を呑んでその戦闘を見つめていた。

「何度やっても同じだ。さっさとあきらめて退け」
「ふ…そうもいかないんでな。その魔天経文が俺はどうしても必要でな」
「それこそ貴様などがもって使いこなせるものではなかろう」
「誰も使いこなすとは言っていない。俺にとってはそれは手段だ」

 水滴の竜が間断なく如意棒を襲うが、如意棒にかすり傷一つつけることはできなかった。しかし、その攻撃のスピードに如意棒自身が攻撃を繰り出す間は与えられなかった。
 ごく僅かずつその位置をずらしかすかに口元をほころばせた竜王を見た如意棒がしまったという形に口を開いた。

 竜王の水の竜が今までとは違った方向に急に旋回したかと思うと、あっという間に三蔵と八戒を捕らえた。

 悟空と悟浄は間一髪でそれを避け、泥沼と化した地面に這いつくばる。

「三蔵―――!!」
「八戒っ!」

 蒼白な顔で立ち上がり、悟空は必死に三蔵の名を呼ぶ。一方悟浄も、今までまったく無視された形で戦闘を進められていたその隙をつかれたような形になり、いまいましげに舌打ちをした後、3年ごしの同居人の名前を呼んだ。

「…クソッ、こんなやつ…!」
「三蔵、ダメです!!動けば動くほどこいつらしめあげてきますよ!」
「…動かなくても結果は同じだろう…うっ」

 三蔵と八戒はきれいにその竜にぐるぐるまきにされ、 八戒はどうしようもない自分たちの姿に苦笑する。内心で三蔵は何かとぐるぐるまきにされるのが好きなのだろうかと今までの敵の攻撃を反芻してみたりしたが、それはちっとも現状打破の解決策にはならなかった。

「どうだ如意棒、貴様はこれで俺に手出しできまい!!」

 漆黒の闇の中目を血走らせて黒竜王は勝ち誇ったように言った。

「…確かに貴様は殺せないな」

 少しうつむき加減で、表情を見せずに如意棒が言う。禍々しく口を歪めて、黒竜王は右手に再び稲妻を集めた。

「しかし、ぎたぎたにできないとは言ってない。やり方がスマートではないな。貴様は」

 言うが早いか如意棒は黒竜王の懐に目にも止まらぬスピードで飛び込み、みぞおちとわき腹、そしてあごに合計5発を打ち込んですばやく離れた。
 不意をつかれた形で黒竜王はダメージをもろにくらい、唇の端から、赤い血をつとあふれさせる。

「………この二人がどうなってもいいようだな」

 怒りに燃え、髪の毛まで逆立てて黒竜王が如意棒ににらみ殺しそうな視線を投げつけながら言う。
 しかし、如意棒はまったくひるまずに軽く中国武術の構えをとると、涼しい声で答えた。

「そんな二人など私の知ったことではない。死のうが生きようが私にはまったく関係のないことだ」
「ちょっと待て――――っっっ」
「あの―…僕たちには一応関係あることなんですが……」

 悟空が叫び、八戒が苦笑する。もっとも八戒の場合は、如意棒に見捨てられようがどうしようが自分自身はどうでもいいと考えていることは間違いないけれども。いっしょに捕まっているのが三蔵というところがミソだ。自分の身を呈してでも、八戒は三蔵だけは守ろうとするだろう……と、悟浄はほぼ正確に今後の状況を予測した。
 
 それは気に入らない。

 どうすることもできずに、3年間も一緒に暮らした男が目の前で傷つき倒れるのだけは見たくない、と悟浄は思った。

 こんな豪雨の中。
 また、きっと、腸などはみ出させて自分を見上げて笑うのだろう。


「…………こら待て如意棒!!ご主人様の言うことはきくのがフツーじゃないのかー――っっ」

 悟空が地団駄踏みながら如意棒に向かって主張する。ちら、とそちらを見やって唇の片端を上げて如意棒は悟空に背中を向けたまま言葉を返した。

「そうね。孫悟空。あなたがいつものように私を使っていればこんな事態は防げたはずよ」

 冷徹な声で事実を指摘され、悟空は言葉に詰まる。
 その間にも水の竜はじわじわと三蔵と八戒を締め上げていった。
 妖怪であるところの八戒はまだ防御力も高い。しかし、普通の人間であるところの三蔵は、先ほどからの攻撃でさんざん体力を消耗させられている上に、あの変態サド男の眷属とかいう竜にぎゅうぎゅう締め上げられていれば……

「私はあなたの意思に従っているだけよ。あなたは私を使って大切な人を守ろうとはしなかった。その程度の人を私がナゼこのむかつく男の言うなりになってやってまで助けてやらなきゃならないの」

 ……全くもって大変な事実だ。指摘されたことはいちいち的を得ているしだいたい正論だ。そのとおりだ。悟空が如意棒の立場でも同じことを言うだろう。

「フン、面白くもない。如意棒には痛くも痒くもないか。人形を取っているとはいえ、所詮は魔器。同情の欠片も生じはしないか」
「さあ?同情などという気を起こすほうがその人間にとっては屈辱だろうからな」
「…まあ貴様がどうであろうと、俺は経文を手に入れられればそれでいいからな。もういいだろう。そろそろ頂くとしようか」

 黒竜王が短く鋭い口訣をとなえると一段と水の竜は二人を締め付ける力を増したようだ。三蔵が耐え切れず口から血を吐くのを悟空は見た。

 瞬間。

 フラッシュバックするかすかな記憶と至近の記憶。

 ずるりと崩れ落ちた長い金髪の白い服の人。なぜか悲しげにその人の名を呼ぶ自分。
 すぐにそれは悟空の手にべったりとついた三蔵の血で上書きされる。
 札使いの男に失血させられたあの三蔵の青白い顔を――――――――――

「如意棒―――――!!!!」

 あっという間に棒の形を取った如意棒を悟空は一閃した。
 
 瞬時に水の竜は蒸発し、もうもうと蒸気の立ち込める中、真っ黒に空を覆っていた雲が二つに裂け、白くまぶしい朝日が大地を照らした。








「ぴいっ!」
「ああ。無事だったんですね。ジープ。よかった……」

 ばさばさばさ、とジープが八戒の肩に止まる。八戒はそのジープののどを軽くくすぐってやった。
 となりには、にらみつける悟空の視線をものともせずに、再び人形(正確にいうと妖怪形)をとった如意棒がチャイナドレスのスリットを捲り上げて、ぎゅう、と水を絞っている。

「何でまたもとの姿に戻ってるんだよっ」
「いったでしょう?1000の妖怪の血を浴びたら妖怪になるんだって」
「さっき棒になったじゃんか!!」
「ああ、あれはあなたがいつも戦闘のときに私を呼び出すように気合を入れて私を呼んだからよ。呼び出されないときには私はいつもこの格好」

 じりじりと照りつける太陽に急速に乾いていく岩場の上で腰を下ろして、悟浄はしけてない最後のハイライトを取り出して火をつけてゆっくり紫煙を吐き出した。
 如意棒と悟空の会話をナニとはなしに聞きながら、自分が、錫杖をどうしても呼べなかった理由を考えていたりした。



 










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