四海竜王が本当に4つの方角の守護神ならばジープがああなってる以上西方はえらいことになるのではないだろうか



「それにしてもだ」

 いつだって大変不機嫌な最高僧サマは今日も元気に不機嫌で、苦虫を3000匹かみ殺して踏んづけてぎたぎたにした表情でぶつぶつと言った。

「いつまでたってもその格好でいられたら、敵がきた時どうするんだ?」
「ふふ、そうねえ、困ったわねえ」

 ふうふうと八戒が作ってくれた白粥を吹き冷ましながら、如意棒が答えた。錫杖の方はといえばきょとんとした顔で、三蔵が一体ナニについてしゃべっているのか理解できていないようだ。

「…どーすんだよ。敵がきたとき俺、素手で戦うのー?」

 人様の5.8倍はすごい勢いで粥を口に運びながら、悟空が如意棒に向かっていう。如意棒はにっこり笑っておわんをひざに置くと、悟空をちゃんと見て答えを返した。

「ま、本格的に敵さんがきてから考えるのも悪くないんじゃない?あなたに悪いようにはならないわ。孫悟空」
「そうなの?」
「そうよ」

 にこにこと笑う如意棒につられて悟空も満面の笑みになった。いつの世も人の笑顔は人を笑顔にするというのはかなり本当だと悟浄は思い、猿まで笑顔にさせてしまうその美女度580%の如意棒に今のところ手を出せない自分を大変歯がゆく思った。
 そんな悟浄を首をかしげて錫杖が見上げる。そして、悟浄の視線が熱心に如意棒のスリットから見える白い足に注がれているのを見ると、自分の足を見て、ため息をついた。
 悟空は如意棒がいった言葉にかなり言いくるめられて、不安が一応は払拭されたようだ。興味津々の体で、如意棒に質問を浴びせかける。

「如意棒ってナニ食っていきてんの?」
「うーーん、本当は何も食べなくてもいいのよ」

 そう言いつつもお粥を口に運ぶことをやめずに如意棒は答える。

「悟空、あなただって500年も飲まず食わずでいられたじゃない」
「そっかーー。なるほどな。でも、うまいメシは食えるときに食っとかなきゃな!」

 そう言って悟空は大変上機嫌で、八戒に元気よく「おかわり!」とおわんを差し出した。

 ぴしゃん

 水のしずくがおわんを差し出した悟空の手と、それを受け取ろうとした八戒の間におちて、そして、乾いた大地に音を立てて吸い込まれていった。

 ぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃんぴしゃん

 たちまちその水滴が数と勢いを増していく。雨かと仰ぎ見た空にはそのような雨を降らせる雲は存在しなかった。
 
「見つけたぞ……三蔵一行!!!」

 地の底から轟くような声があたりに響いた。

「経文ついでに魔器ももらって行ってやる。魔器を使いこなせないやつが魔器を持っていても宝の持ち腐れだ」

 
 ざああああああん、どおん、どおん


 一段と水滴が激しくなり、一転、墨を流したような雲が青い空を見る間に覆った。
 もうもうと水煙が上がる中―――――

 漆黒の髪と瞳を持つ、偉丈夫が、真っ黒の雲に乗り、腕を組んで6人を見下ろしていた。






「おいおい新手の敵さんかよ」

 お粥を食べるスプーンを口にくわえたまま、悟浄が面倒くさそうに言った。

「イイ男がびしょぬれだぜーーー!」
 
 といいかけて突然思い当たって悟浄はものすごい勢いで如意棒のほうを振り返った(本人は確かにそこに如意棒がいると思ったのだ!)こんな突然の雨に打たれた彼女の身体を覆うチャイナドレスは……!
 期待にハナを膨らませて悟浄が見たものは雨にぬれてびっくりしている錫杖と、彼女を肩布でかばう八戒の姿であった。
 悟浄の視線に思いっきり冷酷な視線を八戒は投げつける。

「……悟浄。こんな小さな子供に……ナニ考えてるんですかっ!!」
「ナニ、ってそんな俺は…」
「そーんーなー、顔してナニのいいわけですか!!ハナの下伸びきってますよっ」

 う、と言葉に詰まって悟浄が言い訳を考えているうちに、八戒はひざを折って錫杖の目線に降り立ち、その白くて長い大きな手で彼女の顔にかかった水滴をぬぐってやりながらやさしくかたりかけた。

「ほんとひどいご主人様ですね。いっそ悟浄なんか見限って僕のところへきませんか?」
「おいこらそこ!そんなあっさり寝返るな!!」

 こくん、と首を縦に振った錫杖に悟浄は人差し指を突きつける。今にも泣きそうな顔でびっくりして錫杖は一歩後ろに下がった。

 法衣がずぶぬれになりぴたりと黒のアンダーウェアに張り付いているのが大変気に入らない最高僧様は早々とS&Wを取り出して黒尽くめの敵に銃口をぴたりと定めた。
 にや、と唇を片方だけ上げて男は笑った。

「そんなもので俺は殺せやしないな」
「やってみなくちゃわからんだろう」

 まっすぐに心臓を、しかも生物学的に人間の形っぽいその男の正確に左心室からねらいをはずすことなく三蔵は言った。

「…さあ。魔器でもないそのただの銃に俺は殺せん。もっとも魔器だろうが、俺を殺すことはできないがな」

 ますます口を歪めて腕組みをしたまま男が面白そうに答える。視線が如意棒と錫杖の上を滑ったが、鼻で笑っただけでその上に視線を留めることはなかった。

ガゥン

 黙って1発三蔵がS&Wの引き金を引いた。少年漫画ならありえない突然の攻撃に、その男はまったく動じることもなく、腕組みを解くこともなかった。

どおおおおん

 銃声とほぼ同時に漆黒の空から稲妻が走り降り、そして弾丸を叩き落した。

「……効率が悪い技だな。弾丸ひとつにそれだけ派手なことしかやらかせないとはな」
「生憎だがおれの一番ちゃちな技はこれだからな」

 再び三蔵が右腕を上げその男の今度は眉間に狙いを定める。もちろんその男はそよとも動揺しなかった。

「…懲りないやつだな。俺の力は一度見れば十分わかるだろうに」
「間抜け技を覚えるほど俺は暇じゃないからな」
「…ふ…言ってろ」

 腕組みすら解かずに偉丈夫は口元をほころばせた。再び三蔵の銃が激しく鋭い音を立てると、先ほどと同じように派手な稲妻が弾丸を叩き落した。

「…くだらん。貴様など俺が直接手を下すまでもない」

 そう言って真っ黒の雲の上に乗りすっと飛び上がった真っ黒の男は腕組みを解くと、右手をまっすぐ肩口まで上げ、口訣をとなえた。見る見るうちに男の周りに水滴が集まってくる。

「……出でよ。我が眷属!玄奘三蔵の持つ魔天経文を我が手に…!」

 言葉と同時に、それ自身がまるで意思を持っているかのように水滴が一斉に三蔵をめがけて襲い掛かってきた。
 ただの雨粒なら三蔵も身を守る必要はないのだが、その水滴は2・3発あたった悟空の頭ほどの大きさの岩をいとも簡単に砕くような水滴だった。木っ端微塵に飛んでいく欠片も雨粒に叩き落され四散することなく地面に這いつくばる。

「三蔵、危ない…!!」

 悟空が三蔵の死角から攻撃を仕掛ける水滴の一群から三蔵を守ろうと咄嗟に三蔵を庇い、二人は既に沼地と見まごうほどどろどろとした地面にごろごろと転がった。
 水滴は次から次へと現れて間断なく三蔵に攻撃を仕掛ける。腕でその水滴を払いのけようとした悟空の努力は、水滴に腕を抉り取られただけでまったくの徒労に終わっていた。それでもうめき声ひとつあげず、悟空は水滴から三蔵を庇うように腕で、足で、水滴を払いつづけた。

「孫悟空!」

 豪雨の中にもひときわ通る声が悟空を呼んだ。

「如意棒…!」
「孫悟空!!いつもと同じように私を呼びなさい!」

 襲い掛かる無数の水滴を完璧な中国武術の型で一つ一つ叩き落しながら如意棒は悟空に向かって言った。
 しかし、悟空は無言でごろごろ転がりながら水滴をはねのけている。

「孫悟空!!」

 一斉掃射を見事に交わして如意棒は高く飛び上がると、悟空の隣に見事に着地し、いきなり悟空の胸倉をつかんだ。

「孫悟空!!ナニを躊躇しているの。いつものように私を今すぐ呼びなさい!」
「……」

 視線をそらして無言のままの悟空に如意棒は表情を険しくして、恐ろしく冷たい声で言い放った。

「私は魔器よ。選ばれた使い手が私を使わなければ私の力は解放はされないわ」
「……でも……っ」

 悟空は雨に濡れた自分の胸倉をつかんでいる腕を見た。その腕は白くて細くて、悟空をつかんでいるそのパワーが秘められたような腕にはとても見えなかった。
 腕の先には華奢な肩があった。その肩は薄く、少し力を入れれば折れてしまいそうに悟空には思えていた。
 肩の先には雨に濡れて乱れた黒い髪の毛があって小さな顔があった。
 その小さな顔には笑ったり笑ったり笑ったり、面白いことを言ったり悟空をからかったり悟浄をおもちゃにしたり八戒を怒らせたりする小さなきれいな口があった。
 
「……孫悟空」

 如意棒は胸倉をつかんでいた手を離し、す、と一歩後ろに下がった。思い切り悟空を見下ろして、これ以上ないというくらい感情の読み取れない冷たい声で悟空に宣告した。

「あなたが何を考えているのか私には大体想像がつくけれど、それはまったくお門違いと言うものよ」

 水滴が執拗に続ける攻撃を右手の手刀一閃で切り裂き、交わし、如意棒は言葉を続ける。

「昨日まであなたは今考えていることなどまったく気にかけることなく私を使って1000の妖怪を殺してきたわ」

 更に目を細め、如意棒はぺたりとひざをついた悟空を冷酷に見下ろした。

「この姿になった私を見たからといって私をつかって大切な人を攻撃から守ることすらできないような勘違い野郎がご主人様だなんて私の人生一生の不覚よ」 

「…!危ない!!三蔵!悟空!!」

 八戒の声が悟空を我に返らせた。一瞬3人の周りの雨が止んだかと思うと、何千、何万、何億、という水滴が、経文を肩にかけた三蔵をめがけてまるで鋭いダイヤモンドの槍のように一斉に恐ろしい勢いで襲い掛かってきた。

「……小ざかしい!」

 八戒が気孔でバリアを張り終えるより前に如意棒は全身からすさまじい光を発し、瞬時にその周りの水滴を全て蒸発させた。
 白い光を放ちながら、ゆっくりゆっくり如意棒は黒尽くめの男に歩み寄る。

「…この程度の技で私に対抗するつもりか。笑わせるな」
「…ほう。貴様にはそうでもそこにいる人間には大変有効な手段のように思えるがな」

 唇の片端を上げて黒い男は愉快そうに笑った。男の周辺に集まった水滴が見る見るうちに竜の形へと成長していく。

「敖家の末弟が、ナニを偉そうにぬかす。貴様はただの人間にしか己の力を誇ることができないのか」

 ぴくりと男の眉が動いた。水滴の竜が恐ろしい勢いで完成体へと近づき、轟くような咆哮をあげる。その男の内面の感情をそのまま映し出したかのように猛り狂ったその竜は大きな口を開き、牙を剥き出しにして如意棒に襲い掛かった。

「…」

 今まさに竜が如意棒に襲い掛かろうとしたとき、無言で如意棒は右手をその竜の前に突き出した。途端、竜はただの水の塊と化し、ばしゃん、と派手な音を立ててぬかるんだ地面に落下する。

「……ただの魔器かと思っていたが……貴様、如意金箍棒か」

 豪雨は勿論止む気配すらなくざあああああという雨の音があたり一面を支配する。
 雨に濡れてぴたりと身体に張り付いたチャイナドレスをまったく気にすることもなく、如意棒は軽く構えをとってその美しく紅のひかれた唇を開いた。

「だからどうしたというのだ、北海黒竜王。一目見て私を判別できぬほど衰えたか」
「………………ほざけ!!!」

 逆上した竜王と呼ばれたその男が再び無数の水の竜を呼び出した。如意棒に対して十分に間合いを詰める。


 ぬかるんだ地面から立ち上がり、悟空はその、この世のものとは思えない戦闘を凝視していた。
 先ほど如意棒が悟空に向けていった冷たい声が耳から離れない。

「『大切な人を攻撃から守ることすらできないような勘違い野郎』……」
「危ない…!悟空!!ナニボーっとしてるんですか!」

 黒尽くめの男が放った雷が悟空のすぐ真横に落ちた。
 既に足元は沼地と化し、たたきつけられる雨粒が途切れることなく地面に泥の輪を描いていた。




 

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