途方もないくらい桁が大きくなれば時間も距離の単位も同じになるかどうか




「俺らに喧嘩売ろうなんざ1億光年早いんだよ」
「悟浄、光年というのは距離の単位であって、時間の単位じゃありませんよ」

 ざしゃん・・・という音がして、本日最後の刺客の妖怪の首が地面に転がった。
 すでに永遠に口を開けなくなった死体の山の中で、碧の瞳とこげ茶色の髪を持つ好青年が、にこやかに悟浄の言葉を訂正した。

 西へと旅に出て3ヶ月。

 自分たちのことを平気で下僕と言い放つ自称ご主人様実は世話焼かれ係の金髪の最高僧は、今回の襲撃もほとんど動かず、無駄なエネルギーを使わず、4人組の中で彼しかその言葉を使わない「下僕ども」に戦闘をまかせて自分は一人高みの見物だ。

「……ま、いーんだけどさ。八戒、いちいち細かいこと気にしてると若ハゲするよ?」
「……なんてひどい人なんでしょう、悟浄。僕は、貴方のためを思って言いづらいこともあえて言ってあげているのに…貴方がどこかで間違ってそんな恥ずかしいことを口にしないように、貴方が恥をかかないようにこんなにも僕が気を使っているというのを貴方はわかってくれないんですね」
 
 よよよと大げさに泣き崩れる八戒を悟空が慌てて支える。

「何だよ悟浄!八戒泣かすなよな!!ひでー男だな、おまえも」
「ああ、僕の気持ちをわかってくれるのは悟空だけです…ありがとう悟空…僕に何かあったときにはこの伝説の包丁を…悟空に…」
「え?ナニナニ??この包丁、何か伝説があるの?」
「……………………アホか」

 胸ポケットからハイライトをとりだして、かちりとライターを回すと、悟浄はそれに火をつけて、ふう、と大きくため息といっしょに紫煙を吹き上げた。そんな悟浄をまったく無視して、三蔵は小さく欠伸をし、八戒は悟空にこんこんと語りつづけている。

「いいですか、悟空。この包丁は幾多の修羅場を潜り抜けてきた本物の料理人だけが持つことを許された包丁です。道具というのは使い込めば使い込むほど、それをもつ人の魂を受け入れていきます。この包丁はかれこれ500年間、宮廷料理人の間で一子相伝で受け継がれてきたものなんですよ」
「なんかよくわかんね―けどすげーなっ。それでうまい飯をいつも作ってくれんだな、八戒は!」

 満面の笑顔をたたえて無邪気に悟空は八戒にじゃれ付く。八戒もにっこり笑って、悟空の頭をなでた。悟空は尻尾をふりちぎらんかのように振っている子犬のように、本日の夕食に思いをはせているようだ。

「ああ、悟空はこんなに素直でかわいくていい子なのに、同じ漢字がつくもう一人の人はどうしてああなんでしょうねえ」

 言い終わると同時に、先ほどよりもさらに派手にため息をついて、八戒は悟空の髪をなでつづけながらひとりごちた。

「女の人を見たら見境ないし、稼ぎはギャンブルオンリーだったし、イカサマ何度かばれかけてるし、洗面所で髪の毛勝手に切るし、何度言ってもほら今も空き缶を灰皿にしてるし……」
「あー――――!悟浄!!空き缶、灰皿にすんなってあれだけ八戒言ってたじゃんかー」
「……………だーーーーっ、もう、うるせぇ!このクソガキ!!」

 そう言って始まる喧嘩もすでに日常茶飯事となってしまうくらい、この3ヶ月間は大変密度の濃いものだった。
 普通に暮らしていれば決して体験させてもらえなかったこと。

 刺客に襲われるとか。
 行く先々で迫害されるとか。
 札使い野郎に封印されかけるとか。

 ……まともに思い出すと頭痛がしてきたので、悟浄はそれ以上を考えることを放棄して、改めてもう一本取り出したハイライトに火をつけて背中を丸めて本日の野営地の草むらの上に腰を下ろした。


 三仏神の命を受け西へ旅立つ三蔵が、選んだ従者(決して下僕ではない)。
 絶対に三蔵がこき使いやすいからという理由での人選だと信じて疑えない悟浄は、ここしばらくの野営続きで、キレイなおね―ちゃんともご無沙汰しているその八つ当たりの矛先を一体誰に向けようかと腕を組んで考えた。

 悟浄的には、旅のお供にもれなく美女さえついてきてくれれば、どんな過酷な旅だろうと続けていける自信はある。百歩譲って、ちゃんとした宿屋がある町でちゃんとイイ女と二人でベッドに入られるならそれでもまだかまわない。
 女の肌というものはどうしてああ郷愁を誘うものなのだろうか。
 どんな女でも、その胸のふくよかなふくらみに顔をうずめているのは悟浄は嫌いではなかった。
 ベッドでイイ汗かくときよりも、そちらのほうが気持ちイイことすらあった。

「……にしたって1週間も女と寝てね―……」

 町がないのだから仕方がない。襲ってくるのは有象無象とした気色の悪い男のしかも妖怪ばかりだ。

「あー―――。どっかにイイ女が困ってね―かなー。ピンチを救ったこのオトコマエな悟浄さんとシアワセな夜をすごしてくれるよ―な…」
「…貴方ってそればっかりですねえ」

 いつのまにか隣に立っていた、3年間を同居した碧の瞳の持ち主は、そのきれいな形の唇を苦笑でかたどって、悟浄のほうを向いた。

「…おーよ。だって他になーーーーーーーーーんも楽しむことないじゃん」
「AVはあってもデッキはありませんしねえ」

 くすくす笑いながらぽん、と八戒は悟浄の肩をたたいた。

「もうすぐご飯ですから、早くきてくださいね―――――」
「見つけたぞ!!三蔵一行だ!!!!!!」

 八戒の声を途中でさえぎって、耳障りな声ががなりたてていた。牛魔王とかいう妖怪は人的資源だけは大変豊富に持っているらしい。本日2度目の襲撃にもう全員うんざりだ。

「ここであったが100年目だ!!我らが実力、とことん見せ付けてくれる――!!」

 牙を剥き出しに下品に笑う男が三蔵に人差し指を突きつけていった。三蔵は心のそこから面倒くさそうに、その男を一瞥すらせずに、悟空に一言「行け」と言った。

「…もうすぐ俺は飯を食うんだからなっ!!邪魔するやつはゆるさね―ぜ!」

 元気よく悟空が如意棒をよびだして、升で量って計りにつむほどいる敵の中に切り込んでいく。悟浄も笑顔の八戒に見送られて、不承不承錫杖を呼び出した。

「…八戒、お前は?」
「僕、ご飯の仕上げしなきゃいけませんから。悟浄、できるだけ早く片付けて戻ってきてくださいね」
「……へえへえ」

 同居していたころから悟浄は八戒の笑顔には逆らえない。というか、世の中でその笑顔に逆らえる人間が(妖怪でもいいが)いたらそいつの顔を拝みたいものだ、ということは決して口には出さず、追い払わなければいつまでたっても食事ができないこともわかっていたので、悟浄は彼の手の中にある錫杖を一閃した。
 


 悟空と悟浄の活躍によって、敵の妖怪は残り二人となっていた。

「…ままままま待ってくれ!!」
「貴様らは妖怪だろう?何故同属の我らを切るのだ?」

 腰を抜かして片手で体を支え、片手を悟浄と悟空に向けて、震える声で妖怪どもがいう。

「…その言葉そのままそっくりのしつけて返してやるよ」
「あの世でゆっくり考えな」

 ズン・・・という音がして、それぞれ如意棒と錫杖に打ち倒されて、新たな死体が2個転がった。

「あー!!これでやっと飯が食える――。八戒、ご飯、ご飯できた――??あれ?」

 悟空が素っ頓狂な声を出す。どうも、如意棒をしまおうとしているらしかったが、いつものようにうまく耳に入らないようだ。
 しかも当然絶対に発光体ではない如意棒が淡い光を放っている。

「あれ、あれ、あれれれ?」
「一体ナニやってんだおめーは」

 悟浄が呆れ顔で、如意棒を貸せ、と言ってくる。しかし、如意棒はますます光を放ち、悟空の意図を無視して、その右手の中にぺたりととどまりつづけていた。
 ぶんぶん腕を振ったり噛み付いてみたりしたが、如意棒は今や激しい光を放って、悟空の右手からぴくりとも動かない。尋常ではない様子にようやく三蔵も気づいたらしく、真剣につまらなさそうに悟空の右手を調べ始めた。

「ふむ…」
「何か心当たりがあるんですか?三蔵」
「……いや、でもまさか……」

 それだけいって、右手であごをつまむと、三蔵は何かを思案するような顔をしていた。八戒が不安げに声をかけようとした瞬間に、そのプライドの高い最高僧は悟浄に錫杖を使えと命令口調でいった。

「おいおいちょっと待てよ。こんな猿を切っちまったら俺の錫杖さびちまう」
「ちょっと待てはこっちだ――!!何で俺がエロ河童に切られなきゃなんないんだよ!!」
「ぐだぐだいってねーでさっさとやりやがれ!!!」

 いらいらとヒステリーを起こす神の座に近きものの言葉に仕方なく錫杖を振りかざした悟浄の目に映ったものは……―――!

「ちょっとちょっと、手荒な真似はしてもらっちゃ困るんだけどねー」

 ひときわ大きな光が辺りを包んだかと思うと、悟空の右手からは如意棒が消え、代わりにものすごいものが現れた。

「……」
「…………」
「……………」
「…」

 全員がしばらくの間声を失った。
 そしてやはり一番最初に口を開いたのはこういうときには頼りになる(こういうときにしか頼りにできない)最高僧様であった。
 
「…………貴様、何者だ」
「そんなのあなた三蔵法師なんだったらわかるでしょう?」

 世間一般にいうところの黒いチャイナドレスを着て、豊かな黒髪を結い上げている、はちきれんばかりのナイスバディの美女が、スリットから長くて白い足を覗かせながらくすくすと笑って言った。

「ここのところ刺客が多すぎたからね。思ったよりも早くこの姿になってしまったわ」

 きれいに紅を引かれた唇から漏れる声は、琴の音のように美しく響いている。赤く染めた爪が美しい指先にかかり、絹糸のような髪を少し引っ張った。
 尖った耳にはらはらと何本か後れ毛がかかる。

「知ってるでしょう?1000の妖怪の血を浴びたらどうなるか?」

 黒い瞳がす、と八戒の碧色の瞳をなぞった。八戒は一瞬だけ表情を硬くする。

「……すると……まさか……」
「ふふ、お察しのとおりよ。紅い髪のイイ男さん」

 悟浄のほうを向き直って、そのあごを右手でするりとなでると、軽やかな足取りで、その美女は相変わらずにこにこと笑いながら言った。

「私は如意棒よ。1000の妖怪の血を浴びて、妖怪の姿になってしまっているけれどね」

 
「………………………………なにーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっ!!!!」

 
 一瞬の間を置いて、悟浄と悟空の絶叫が深い夜の闇に響いた。
 八戒は目を丸くして立ち尽くし、三蔵は、ふん、と鼻を鳴らしてマルボロに火をつけた。

 










 

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