落ち込むことで相手を傷つけることがあるということをようやくわからせることが出来た功績は誰の手によるものか




「こんなに情けなくて、こんなに悔しい思いをどうして僕がしなくちゃいけないんですか」
「八戒」
「僕はあなたにこんな思いをさせられるくらい酷いことを何かしましたか?むしろ僕はあなたを助けたとばかり思ってたんですけれど」
「八戒」
「なんで人様を助けた方がこんな風になってるんですか。なんですか僕のこれは。どうしてくれるんですか」
「八戒」

 しばらく唇をかみ締めて下を向いていた八戒が、こらえきれない涙をとうとう諦めて、悟浄をきっと睨みつけながら言った。
 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら悟浄ににじり寄る。

 そんな八戒を見たのは悟浄は初めてだった。

 悟空がはじめてなのはともかく、3年間一緒に暮らした悟浄も初めて八戒が感情を爆発させるところを見た。

 疲れていたのだろうか。

 悟浄はそう思って、そう思った自分に呆れて果てた。それは勿論その通りだ。つい先ほどまでうんうんうなっていたのだから疲労してないなどとはとてもいえない。
 
 とにかく目の前でぼろぼろ泣きながら悟浄を攻め立てる八戒をどうにかしなければならないと悟浄は思った。
 どうにかするためにはどうすればいいかと悟浄は考えた。

 自分が相手を助けたその結果、相手がそれを理由に落ち込んでいるなどということは悟浄にとっても許されることではない。
 例えるなら、八戒を助けたその結果、助けたというそれを理由に悟浄に迷惑をかけるといって八戒が落ち込んでいたとすれば。


 ――――――アホか、俺は。


 自分のアホさ加減に悟浄はようやく気がついた。
 誰に強制されたわけでも頼まれたわけでもない。
 自分がしたいと思ってした行為の結果、相手がそれを受け取ってくれなければ、それは悔しいしそれは情けない。自分の全てを否定されたと思っても過言ではない。

 八戒はそれを知っていたのだ。
 とっくに知っていたのだ。

 だから、迷惑をかけたことに対してしか謝らなかった。「自分のせいで」悟浄が三蔵に発砲されたり投げ飛ばされたりしたことを謝られはしたが、少なくとも悟浄の目の前でそれを理由にうじうじと落ち込んでいたことはない。

 そんな八戒の前で、ナニに自分は酔っていたのだろうか。


 子供を人殺しの道具に使うことを悟浄は決して許さない。
 それは今だってそう思っている。今後一切それに揺らぎはないだろう。

 しかし、それは自ら判断できない子供をそそのかして道具に使うから許すことが出来ないのだ。
 自ら考え、行動することを否定してはならない。


 そこまで考えて、悟浄はもう一度目の前の、同じくらいの高さにある碧色の瞳を見た。睨みつけているそれに自分の紅い瞳を重ね合わせる。
 八戒の表情が、少し緩んだ気がした。

 悟浄は、笑って、八戒の頭をぽんぽん、と2回叩いた。
 そして、そのままくるりと背を向けて、上を向いて、背中越しに八戒に言った。

「―――わりぃ、俺が悪かった」

 八戒は涙に濡れた瞳をまるく大きく見開いた。

「ホントごめん」

 そう言って悟浄はまたくるりと振り返り、ポケットからぐしゃぐしゃに丸めたなんだかよくわからない布きれを取り出して、八戒の顔をごしごし拭いた。

「…ちょ…っ!悟浄!!」
「黙って拭かれてろ。そのまんま帰ってみろ、イイ男が台無しだぜ」

 ごしごし涙を拭いて、鼻水も拭いて、悟浄はその布きれをもう一度ポケットにしまった。そしてすたすたと歩き出し、手近に見つけたあけびの実などを肩に担ぐ。

 八戒は少し呆然とその背中を見送ったが、悟浄の足取りと、何よりもその瞳の色が元の悟浄に戻ったことを思い出して、知らず笑顔で悟浄を追って駆け出した。







「見つけたぞ!三蔵一行!!」

 洞窟の入口で金棒を持った妖怪の集団が仁王立ちになって三蔵を指差して言った。

「そりゃ見つかりもするわよね。ここでこんなに長く滞在していたら」

 如意棒が心の底からうんざりとして立ち上がった。悟空もいない今、三蔵が発砲するだけでは間に合わない妖怪たちは自分が始末するしかない。

「見たところ怪我人と病人のオンパレードのようだが、おとなしく経文さえ渡せば考えてやらんこともない」

 ナニをどう考えてくれるのだろうと如意棒は更にうんざりして豊かな胸の下で両腕を組んで妖怪たちを睨みつける。
 下卑た笑いが妖怪たちから立ち上った。

「三蔵法師の肉は不老長寿の妙薬らしいぞ」
「ならば刻んで塩辛にして食おうか」
「そこの上玉の女はどうする」
「そうだな、あの気の強そうな女を組み敷くのも楽しかろう」

 好き勝手に己の欲望を口にする妖怪どもに嫌悪の表情をあらわにして三蔵は無言でS&Wをいきなり構えて撃った。
 銃声が洞窟にこだまして、妖怪が一人血を吹いて倒れる。

「…貴様…!!」
「おとなしく経文をよこせ…!」

 一斉に妖怪の集団が三蔵に襲い掛かる。それを見て如意棒は三蔵の前に立ちふさがった。

「女、どけ!」

 鋭い爪を振りかざした妖怪を軽くいなして、如意棒が首筋に手刀を叩き込むと、妖怪は綺麗に気絶してそこに倒れた。

「……おとなしくしとかないと痛い目みるぜ」

 リーダー格の妖怪が怒りでこめかみの血管を浮き上がらせながら低い声を押し出した。
 如意棒は構えを解かず、三蔵はぴたりとS&Wの銃口をそのリーダー格の妖怪に向ける。

「くだらない。あんたたちの相手なんかしてるほど暇じゃないの」

 如意棒は右足を一歩踏み出した。長いスリットから白い足があらわになる。一瞬それに目を奪われた妖怪が、2人まとめてあっという間に蹴り倒された。

「…まて!こいつがどうなってもいいというのか?」

 なおも続けて攻撃を仕掛けようとする如意棒に、鋭い声がかけられた。

「…錫杖…!」

 目を覚ましただけまし、という状態だった錫杖の背後に一人の妖怪が回り込んでその細い首を締め上げていた。常の彼女なら決してとられない後ろを取られて苦しそうに顔を歪めている。

 如意棒はしまったとつぶやいて、三蔵をちらりと見やった。三蔵はまっすぐリーダー格の妖怪に銃を向け、微動だにしない。
「やれるものならやってみろ。貴様らの親分が死体になって転がるだけだ」
「…そんな脅しが通用するとでも思っているのか。我らは経文を手に入れるためならどんな手段も辞さない」

 額から汗をだらりと流してリーダー格の妖怪が言った。

「……どんな手段も辞さないのか」
「ああそうだ」
「お前が死んでもか?」
「…そうだ」

 立ち寄った寺で自爆した迷惑な妖怪がいたことを三蔵は思い出した。
 妖怪たちに死をも強いることのできる強力な妖怪のリーダーがいるのではと三蔵は思った。S&Wの引き金に力を入れる。

「なら死ね」

 じゃきいいん と音がして、そのリーダー格の妖怪と周辺の妖怪たちが鋭い刃で切り裂かれる。

 錫杖の首をしめていた妖怪が呆気にとられたその隙を捕まえて、再び刃は旋回し、その妖怪を真っ二つに切断した。

「……遅いぞ、このクソエロ河童」
「主役はいつも観客を焦らして登場するもんよ」

 錫杖を肩に担いで、ハイライトを上向きに銜え、右手をポケットに突っ込んだ紅い髪の持ち主がそう言った。









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