附在額頭
〜fu zai e tou〜

「…の、バカ猿!!!!!」
―――と勢いよくハリセンを振り下ろした、世間一般的には最高僧とあがめられている金髪の持ち主は、ベッドに座ると、煙草を吸い、新聞を読み始めた。
「おとなしくしてもらえないと困るんですけどねえ」
嬉しがっている悟空を尻目に、にっこり笑顔で刺だらけの台詞を吐くという器用な八戒の言葉もものともしない。

だいたい。

致死量の毒を、背中から腹に貫通している傷口から注入され、しばらく放置されたと思ったら、自ら起きて動き回り、その後炎天下の砂漠を車に揺られて、ようやくこの町にたどり着いた、という事実を並べれば、それはもうどこをどう考えても毒が体内に回りきっています、といわないほうがおかしいだろう。

それで、たった3日間の昏睡だけですんでいるのだから、この神の座に近きものは妖怪以上の体力を持っているとしか思えない。

「―――しっかし、三蔵サマってば、めちゃくちゃ頑丈ね」
悟浄が、自分も煙草をくわえながら言う。そういう悟浄もあばら骨を折っているとはとても思えない頑丈さを誇っているのだが…
「普通、死ぬって。あれだけの毒身体ん中はいっちまったらさー」
「まあ、そうですよねえ」
八戒が相槌を打つ。そして、何かに気付いたように、少し首をかしげてにっこり笑って話を続けた。
「きっと神のご加護ですよ」
「「神のご加護ぉ?」」
悟空と悟浄が同時に素っ頓狂な声を上げる。きっぱり言い切った八戒をありありと不審の表情を顔に貼り付けて振り返る。
「だって、仮にも三蔵法師サマですよ。世間一般の人たちは『神の座に近きもの』とか言って、三蔵を崇め奉ってるじゃないですか」
「そうかな―…」
「まあ、世間一般の人たちが三蔵の実態を知らないというのは幸せなことだと思いますけどねえ」
いぶかしげな表情の悟空とやっぱりにこにこしている八戒のとなりで悟浄はげっそりしていた。
「…神サマって、あの神サマ?」
ものすごくいやな顔をして悟浄がつぶやく。
「そりゃ――あの神サマでしょう。三蔵のコト、すごーーーーーーーーく気に入っていらっしゃいましたものねえ」
八戒がのほほんと言う。三蔵の機嫌はみるみる急降下していった。
「…あんなのを神と呼ぶな…」
腹のそこからとどろくような声で、背景に黒いオーラをしょって三蔵が言う。
「どしたの、三蔵。何で怒ってるの?」
悟空が不思議そうに尋ねる。
「ああ、悟空は眠ってたんでしたよね。
 実は、三蔵は、前に一度観世音菩薩に助けてもらったことがあるんです。」
「へー、観音様に?観音様って美人なんだよね。
 ―――で、どうやって助けてもらったの?」
…何でそれを聞くのか、という一番三蔵には触れられたくなかっただろうポイントを的確についた悟空の言葉に、三蔵はゆらゆら立ち上がり、ハリセンを振り上げた。
「わ――――――――ッ、何で三蔵そんなに怒ってんだよ――――ッ……あれ?」
いつまでたっても振り下ろされないハリセンの行方をちら、と見上げて悟空は三蔵の異変に気がついた。
同時に、成り行きを楽しそうに見守っていた悟浄と八戒も、表情を固くして三蔵を見つめる。
「…もしかして、三蔵、体調悪ィ?」
悟空が下から三蔵を覗き込んで聞く。…悪くないわけないだろう、という突っ込みはこの際おいといて。
「煩い、死ね」
それだけ言って、三蔵はベッドに腰をかけなおした。
「…もしかして、熱、出てませんか?三蔵」
普通、毒が体内に回ったら、それを排除するために身体は高熱を発する。身体のあちこちで、異物とその進入を食い止めようとする防御システムが戦っているのだから当然だ。
「…確かに、熱だな。―――おい、猿、水もってこい!」
悟浄の言葉に悟空が激しく抗議する。
「何で俺なんだよ!」
「つべこべ言ってね―ではやくしろ!」
「だって、三蔵、熱あんだぜ?!」
「だからさっさと行けッつーてるだろうが、このバカ猿!!!」
「こんな砂漠でこんな夜中に水なんてもらえるかよ。――それより、熱下げるほうが重要だろ!」
「…悟空、ものすごく説得力がありますが、何か熱を下げるよい方法でもあるんですか?」
珍しく理性的なことを言う悟空にちょっと驚いて八戒が尋ねる。

「ある」

思いっきり大きくうなずいた悟空に、悟浄と八戒はお互いを呆然とみつめ合ったあと、同時に悟空を向き直り、無言のまま悟空に続きを言うよう促した。
「前、俺、熱出したときあっただろ」
「ああ、悟空が30メートルのがけから落っこちて骨を折ったときですね」
「あの時、三蔵が俺の熱、下げてくれただろ」
「おお、そういえば世にも珍しいもん見せてもらった……って、悟空…?」
「だから、今度は俺がやる。俺が、三蔵の熱、下げる」
きっぱり宣言する悟空に、悟浄と八戒は再びお互いを見やり、再び同時に悟空を向き直った。
「俺、あのあとすぐ熱下がったから、三蔵もきっとすぐ熱下がるよ」
そう言うなり止めるまもなく悟空は三蔵の腰掛けているベッドに近寄り、三蔵の額に自分のその額を合わせようとした。
 チャキ、と冷たい銃口が悟空の額に突きつけられる。
「―――三蔵!」
「煩い、サル。俺に触るんじゃねー」
三蔵が、愛用のS&Wを悟空に向けていた。悟空はものすごく驚いた表情で一度三蔵から少し離れる。
「どーしたんだよ!三蔵!!そんなことしてたら、熱、さがんね―よ!」
「…てめーには頼まん」
「何でだよっ」
悟空が情けない表情で抗議する。しかし、そんな悟空には目もくれず、三蔵は八戒のほうを見やった。
「―――八戒」
「――はい??何で……」
そこで僕なんです?と続けようとした言葉を八戒は飲み込んだ。三蔵の紫色の視線が、自分の目に届いたとたん、自分が選ばれた理由を、八戒は理解した。
「…わかりました」
「…ちょッ…八戒、ずりィ!!俺が…!!!」
「あーーーもう、うるせーーー!サル、ほらこい!!あのガキ、たたき起こしてでも水もらってくるぞ!」
悟浄が、悟空の耳を引っ張って部屋を出て行く。どうやら悟浄にも三蔵の真意が伝わったようで、八戒はほっと安堵のため息をついた。ぎゃあぎゃあ騒ぐ悟空の声がだんだん遠ざかる。
「…もう、悟空いませんから大丈夫ですよ。いいかげん、横になってください」
そう言って、八戒がそっと三蔵の肩口をおさえる。―――隠しようのない熱さが、その手に伝わってきた。
「―――まったく、ほんとに後先考えずにムチャするんですから」
ベッドの隣の椅子に腰掛けて、八戒が言う。
ようやくベッドに横になった三蔵は、フン、と鼻をならし、自らの手で額の髪をかきあげた。
「…それだけの熱、悟空に知れたら、また落ち込ませちゃいますからねえ」
椅子の背もたれに両腕とあごをのせ、八戒は言葉を続けた。
「でも、いくら触られたらばれるからって、あんな方法だと悟空が拗ねて、なだめる僕たちのほうが大変なんですけど」
にこやかにちくちくと言いたいことを言う八戒に反論するような元気があるわけもない三蔵は、それでも少しだけ八戒をにらみつけた。
「…うるさい。お前はさっさと俺の熱を下げろ」
「…はいはい、わかりました」
少し笑って、八戒は立ち上がり、汗ばむ三蔵の前髪をかきあげた。
ひやりとした八戒の手の感触が気持ちよくて、三蔵は目を閉じる。そして、八戒はその額を三蔵の額にこつん、とくっつけた。

 ちょっとキスみたいだ、と目を伏せた三蔵の長いきれいな睫を見ながら八戒は考えた。
 こんなことが許されるくらい、三蔵の近くにいるのだ、と自惚れてもいいのかなとも思った。

 あわせられた額からは信じられないくらいの熱が伝わってくる。
 ただ、額を合わせているだけなのに、八戒も汗ばんできた。

 …やっぱり、この人も人間なんだ、と八戒は思う。少し、頑丈にできていることは間違いないけれども。

 その頑丈さは、三蔵の心の強さに拠るのだろう、と八戒は思った。何者にも屈しない、何者をも恐れない、この黄金の輝きを放つ人物は…
「…雨、降ってんのか」
うっすら瞳をあけて三蔵がつぶやく。月の光に濡れた紫の双眸は、アメジストを封じたかのようであった。
「降ってませんよ。…耳鳴りがしますか?三蔵」
額を合わせたまま、八戒が答える。
チッ、と短く舌打ちして、三蔵が、今度ははっきりと瞳をあけた。
「…何で、こうすることで熱って下がるんでしょうねえ」
やわらかい碧の微笑を浮かべて、八戒が三蔵に聞く。
「…知らん。知らんが、熱が下がるのは確かだ」
まっすぐ八戒を見て三蔵が言う。
「…あなたは、こうやって熱を下げてもらってきたんですね」
「…フン」

額を合わせたままの会話。
八戒の声が耳のそばに聞こえる。
吐く息が、頬にかかる。

熱のせいだ、と三蔵は決め付けた。

八戒が合わせてくれる額が、こんなにも自分の心にやすらぎを与えることを。

雨かとまごうような耳鳴りも、自分の心を侵食してはこなかった。
この額の先の碧の瞳を持つ存在が自分の近くにいたからだ、と思うことを、もう一度三蔵は熱のせいだと決め付けることにした。


…ぎゃあぎゃあ騒ぐ声が近づいてきた。ずっと騒ぎっぱなしだったであろう悟空のおもりを悟浄はよくやってくれたものだ。その声の主がこの部屋に入る前に、額をはなさないと、と八戒は思った。そして最後にもう一度三蔵をよく見ておこうと、左眼に意識を集中させた。

 ……三蔵は、眠っていた。やはり長い睫を伏せて、それでも先ほどよりはずっと苦しくなさそうに。
 それを見て、安心して八戒は額を離した。
 そして、三蔵の眠りを妨げないよう、ドアの前で悟空を阻止すべく立ち上がる。

「―――なんで俺じゃダメなんだよ!!」
「うるせーなー、水持ってきたほうが現実的だろう」
「八戒、ずるい、俺だって…」
「あ―、もう、悟空、いま三蔵眠ってますから、起こさないで下さい」
二人がかりで拗ねる悟空をなだめすかし、その夜はなぜか2人部屋に3人で窮屈に眠ることになってしまった。
「明日、熱下がってなかったら今度こそ俺がするからな!!!」
「…わかりましたから、あんまり大きな声出さないで下さい」
悟浄と八戒はうんざりした表情をお互いの顔の上に見つけ、同時にため息をついた。



…そして翌朝。三蔵の熱は見事に下がっていた。
悟空をなだめるのがおそろしく大変だったことは言うまでもない。





附在額頭:額をくっつける(口語北京語)転じて、「こつん」




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