串3本 



 西方の風習がここ長安に流れ込んでくるのは当然のことだった。

 あとにも先にもこれほど活発に人が行き来した町はないくらい、色々な風習が流れ込んではとけあって独特の雰囲気をかもし出していた。
 さらにいうなら長安を経由してあちこちに散らばっていった風習が再び長安に舞い戻ってきたときにはなんだか全然かわったものになっていることも珍しくはない。

 そう。例えば。

 西方の人間が言うところのエライ人の話がいつの間にか逞しい商人魂によってプレゼントを贈りあう話へとかわっていったとか。

 長安を通り過ぎていったときは確か単純にエライ人をたたえましょう、というだけの話が、東の果てへ行き着いたときにはなぜか茶色いカカオの塊を贈答する習慣へと変貌を遂げていたり、とか。


 逞しいバザールの商人たちはそれを見逃すわけがない。
 カカオの塊でなくとも贈答品には事欠かないのが長安なのだから。


「八戒さーん」

 ころころと転がる鈴の音のような声で自らの名前を呼ばれた八戒は、にっこり微笑んで振り返った。

「月明さんこんにちわ」

 胡茲燕の妻であるところの李月明が、自分の身長ほどはあろうかというなんだかよく分からない獣の肉を肩から担いでたっていた。店の仕入れに行った帰りだという。
 話し上手な彼女に乗せられて、いつの間にか彼女の屋台(いや、店と呼ばないと彼女に殺される)の方へと一緒に歩いていた八戒は、心の中で少し首をかしげた。しかし、八戒さえもまんまと手玉に取る彼女が三蔵に串を20本買わせることなど造作もないということがしばらく首をかしげていた八戒にはよく理解ができた。

「それでね、悟浄さんたらね、だんだん悟空さんと喧嘩する頻度が高くなってくるの」

 ころころと笑いながら月明が言う。

「もう、指数関数のきれいなお手本になるんじゃないかってくらいすごくきれいに喧嘩するのね。もうほんとにどうしようもないちょっとしたことで。私、よっぽどストレスたまってんだな―って思って悟浄さんに同情しちゃった」
「悟浄にとっては職場のいけてるお姉さま方とずーーーっと会えませんでしたからね」

 八戒はのほほんと答えた。実際、悟浄がよくもあれだけ長いこと保った(ナニを?)ものだと八戒は心のそこから感心していたのだ。

「……あら、そうかしら?」

 月明はなんだか意味ありげな含み笑いを八戒に向けると、自分の屋台…ではなくて店、にどさっと肉の塊をおろし、早速それを調理にかかった。
 月明のその笑みが八戒には何をさしているものかさっぱり分からなかったが、相変わらずおしゃべりな彼女は次々と話題を繰り出してくる。
 やはり、バザールの商人だ、と八戒は感心した。

「八戒さん今日が何の日だか知ってる?」

 腿肉を器用に切り出しながら月明が言った。

「何の日なんですか?」

 八戒が問い返す。実際バザールはなんだか活気付いていて、あちこちで特売だの大売出しだの威勢のいい声が聞こえてくる。

「今日はねー。西方の風習で…うーん、でも東方の風習で、って言った方がいいのかしら、日ごろお世話になってる人にプレゼントを贈る日なのよ」

 注意深く一切れ一切れがほぼ同じ大きさになるように細長い肉切り包丁を動かしながら、月明が説明をはじめた。

「プレゼントはね、茶色いものならなんでもいいの。東方では相場はカカオの塊だって決まってるらしいけど、甘いもの嫌いな人には拷問以外の何ものでもないじゃない?」
「もっともですね」
「だから、それ以外にも最近の東方では、おせんべいとかよく焼き色をつけたかまぼことか、いろんなものを考えているみたい」
「……食べ物ばかりですね」
「そうよ、その日のうちに食べきれる食べ物でなくっちゃいけないの」

 そう言ってそこで顔を上げて、月明はにっこり笑って八戒の碧の瞳にかちりと視線を合わせた。

「茶色い食べ物といったら、八戒さんの目の前にいっぱい並んでるじゃない、ほら」
「……よくわかりましたよ、月明さん」

 八戒は、降参のポーズで苦笑しながら月明にお金を差し出した。

「日ごろお世話になってる人でしたら……三蔵には買わなきゃいけませんよね……」
「八戒さん何言ってるの、玄奘三蔵様が肉なんてお召し上がりになるわけないじゃない」

 いや、そんなことはおそらくないんだけれど、という言葉は取りあえず飲み込んでおいて、(まあほとんどそれは真実に近いのだけれど)月明の突っ込みに八戒はもっともだと短く答えて右手で顎をつまみながら美味しそうな串を物色した。

「それでしたら、茲燕さん…は、お店の食べ物ですからあまり意味がないですよね。あ、そうだ。じゃあ僕、趙量に買ってもっていきます」
「……八戒さん、ちょっと待って、だめだめ、それじゃあだめ!」

 月明があわてて八戒を制した。何本か先に焼き始められた串から香ばしい香りが立ち上り、周囲の人間の食欲中枢を刺激した。

「……?何でだめなんです?日ごろ、お世話になってる人でしょう?」
「違うのっ、そうじゃなくって……うーんと、えーと、お世話になってるけど、なかなか御礼を言うきっかけがない人っているでしょう。八戒さんは趙量さんとこでよくお酒を飲んでいるじゃない。あれって立派なお礼だわ」
「……そうでしょうかね」
「そう、そうよ、絶対そう。だから、ほらもっと身近でなかなか御礼を言うきっかけがない人を選ばなくっちゃ」

 すっかり腿肉を解体し終わり、次に彼女は腹の部分とアバラの部分を切り出した。なんだか少しあわてているような気がする。

「そうですか…じゃあ、そうですねえ……」

 さらに考え込む八戒に、月明は何かをものすごくいいたそうだったが、それをぐっと我慢して、もくもくと内臓の始末をしている。
 八戒としては、日ごろお世話になってるほかの人を全く思いつかない。
 かといって、お金を渡してしまっているのだから、串を買っていかねばならないことは確かだから、どうしたものかと首をひねっていた。

「…もう、八戒さんたら。身近にいるじゃない、御礼を言うきっかけがなさそうで日ごろお世話になっててその串を喜んで食べてくれるような人が」

 痺れを切らした月明が腰に手を当てて八戒を諭した。

「……あ、なるほど」

 ぽん、と手を打って八戒は月明に向き直って言った。

「悟空ですね、いや、盲点でした。ありがとうございます、月明さん」
「そう、悟空さん……って、ちがうわよーーーーーっ。どうしたの八戒さん、マジボケ?」

 月明が思いっきりアバラ骨に肉切り包丁を突き刺して、がくんと頭をたれて下を向いて言った。

「あーのーねー、八戒さん。ほら、いるじゃない。背が高くって喧嘩っ早くてゴミの日もちっとも覚えないような人が」
「…………………なるほど」

 八戒は苦笑して、得心がいった顔で月明の手から串を3本受け取った。

「分かりました。悟浄にあげます。月明さん、お手数おかけしてすみませんでした」

 そうして、串を手に帰っていく八戒の隣を今度は香草を入れた籠を肩に担いだ茲燕がすれ違った。
 自分の屋台…ではなく店の商品を手に持ち、少し難しそうな顔をしている八戒に、声をかけるのがためらわれて、茲燕はそのまま月明のところへと向かって歩いていった。

「おい、今、八戒が持ってたの、うちの串だろ?どうしたんだい?」
「…さあ、でも、今夜の悟浄さんの顔が見ものねえ」

 月明はにこにこ笑って嬉しそうに八戒の後姿を目で追っていた。

「あれは、きっと明らかに照れ隠しよ。悟浄さんにお礼を伝えなきゃいけない、って類のね」
「お礼って……お前また適当なこと八戒に教えてないか?」
「また、なんて人聞きが悪いわね。きっと八戒さんだったら今日プレゼントを上げる意味なんてわからないだろうから、私がちゃーんと教えてあげたんじゃない」

 胸をそらす妻に、茲燕はため息をこっそりつき、苦笑した。好きな人にプレゼントを贈る、今日という日を利用して、どうも自分のこの逞しい妻はあの二人をからかいたかったのかもしれない、と茲燕は思い、そしてすぐ、もしかして、あの二人は本当にお互いに好きあっているのだろうか、と思ってみたりした。

「お前それ、冗談じゃなくなったらどうするんだ?」
 
 心配になって茲燕が月明に問い掛ける。

「あら、私は別になんともないわ。だいたいきちんとお礼を言いたい人にお礼を言うのはとってもいいことよ」

 そして、月明は解体し終わった肉を手早く串にどんどん差し込み、真っ赤に熾きた炭火の上に次々と並べていった。





「……からかわれてあげてもいいんですけどね」

 串を3本ぶらぶらさせながら、八戒は家路へとついていた。

「僕、そんなに情報に疎いように見えますかね」

 買い物袋の底に眠るものを思い浮かべて八戒はなんとも形容しがたい表情を浮かべてつぶやいた。

「悟浄に……僕があげないわけないじゃないですか」

 

 その日の夜、食卓にはなんとも奇妙な組み合わせの物体が並んでいて、悟浄は思わず碧の同居人の顔をまじまじと見返してしまった。
 串3本とチョコレートという異色の取り合わせをにこにこと並べる八戒に気おされて、悟浄は、何も言い返すことができず、その食事をきちんと平らげたあと、酒場へと足を向けた。




 その日。東方では、好きな人にチョコレートを贈るという風習あるという。

 聖バレンタイン・デー。















 

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