□相変わらずだね□







『なんだか…』

 夜になっても下がらない気温に、月も少々音を上げているらしい。ぼんやりとした輪郭のまま少し湿った黄色い光を倉庫にさしかけている。

『コックさんのことが』

 青い瞳をそのまままっすぐゾロに向けて、金色の髪を持つコックは少しだけ身じろぎをした。

『好きで好きでたまらないみたいよ』

 サンジの額から汗が一筋流れ落ちた。あまりに長い間お互いにお互いを見続けていたということにゾロはようやくそれで気付いた。

 頭の中がぐるぐるぐるぐるしている。
 アホだと思っていたコックに心の底からアホなことを聞かれて更に自分は混乱したらしい。
 どうしてこういうときに限ってロビンの言葉を思い出したりするのだろうか。

 好きでたまらないってどういうことだ。
 このアホエロコックを好きだなんて針の先ほど思ったことはない。


 ―――――そんなことより。

 とりあえずいくらアホでもこのコックは重症なのである。固い木の床に長時間座らせ続ける訳にはいかないだろう。
 だったら早く何か喋らなければならない。

 ゾロの頭の中はめまぐるしく回転し、右と左に向けて同時に思考が開始されているような大混乱振りを発揮中だ。

「…………本ッ当にアホだなお前は」

 従ってゾロの口から出たのはそんな言葉でしかなかった。
 ぴくり、とその言葉に反応してサンジは腰を浮かしかける。

「…なんだと」
「自覚すらねぇんだから終わってる。てめーのそれは天然か」

 更に立ち上がろうとするサンジを鋭い視線で制したゾロの口からはやはりそんな言葉しか出てこない。
 つい最近まで殴りたいと思っていたのだから(というか現役でそれは続行中のはずだ)そういう言葉が出てくるのは仕方のないことなのだろうが、ゾロは自分の頭の中が少しも一つにまとまらないことで余計に混乱を生じていた。
 サンジは青い瞳でゾロを見据えている。

「なんでてめーはあんなに簡単に俺らだけ逃がしててめーが死ぬことを選ぶんだよ」

 その青い瞳に吸い込まれるかのような錯覚をゾロは覚えた。そしてそのまま言葉が口からするするとついて出る。
 本当に自分はそんなことを聞きたかったのだろうか。
 もっと別のことを聞きたかったのではなかったのだろうか。
 …もっと別のことってどんなことだったのだろうか……

「……そんな当然のことして俺は殴られそうになるほど非難されてたのか?」

 目を丸くして心の底からびっくりしたと言う表情をしてサンジはまじまじとゾロを見た。
 ゾロはそのサンジの表情を見て心の底からあきれ返った。
 心の底からびっくりしたり呆れたりしている二人の視線が空中で衝突し、大混乱中のゾロもとりあえずこのコックには言って聞かせてもとことん無駄だという認識を新たにした。

「何が当然だ!100回死ねこのクソアホコック」
「なんだとコラ助けておいて死ねとは気でも狂ったかクソマリモ」

 眉間に皺を寄せたサンジは頭を振って、目に入りそうになる汗を飛ばしながらゾロに言う。

「本気でわかんねぇのかよ」
「ああ、全ッ然わかんねぇ。その程度のことで何で俺は殴られそうになるんだ」

 はあ、と盛大にため息をつき、がっくり肩を落としてゾロは両手で頭を抱え込んだ。
 そしてちらりとサンジの顔を見てため息と共に台詞を吐く。

「じゃあ俺が代わりに聞くぞ。てめーは何であそこに一人残ったんだ」
「は?そんなのナミさんとロビンちゃんに危害が及ばない為に決まってるだろ―が」

 ゾロの言葉にサンジが何を当然のことを、という顔をして答える。それ系統の答えが返ってくることはゾロも一応予想はしていたので、畳み掛けるようにサンジに問いを発した。

 知りたい、と思ったのだ。
 ひとりで残った理由を。

 ゾロを、置いて行った理由を。

「……だからどうしてそこでてめー一人なんだ。てめーが野郎の心配なんかするわけないだろう」
「そりゃそーだ」
「だから何で」

 そこまで聞いたゾロの言葉のあと唐突に沈黙が訪れた。
 やはり少しも下がらない気温に既に汗びっしょりになったサンジの髪の毛先は束になっている。
 汗の雫がぽたりと木の床に落ち、小さな染みを作った。

「……てめーらのようなアホに説明するのが面倒だっただけだ」

 かなりの間を置いて返答したサンジの白い顔をゾロはまじまじと見つめた。
 サンジのその言葉を聞いた瞬間、なぜか頭がぐらりときた。

「…てめー、ヌールが海軍だって殆ど最初から気付いてたんだよな」
「まぁな、この俺の鋭い観察眼にかかりゃそれくらいどーってことねー」

 ぽたりぽたりと汗の雫が木の床に落ちていく。
 ぼんやりとした月の光は淡くサンジを照らし、少し上気した頬をかすめて倉庫の中ほどまでその光を届けてきた。

「…相談する時間はたっぷりあったじゃねーか」
「……あ?」
「てめーが俺のことをどんなにアホだと思っていようが、俺とお前は毎晩顔つき合わせてたよな。その時に何で俺に言わなかったんだ」

 何か言いかけたサンジがいたことをゾロは覚えている。
 何かを自分に伝えたいと一瞬でも思っただろうのに、結局伝えられなかった自分がいたこともゾロははっきりと覚えている。

「てめーなんかに喋って俺の綿密な計画が漏れたらどーすんだ」

 視線を斜め下に落としサンジがポツリと言った。
 途端、ゾロはサンジがもたれかかっている倉庫の壁のサンジの顔の両脇にだん、と勢いよく両手をつく。

「…てめーにとっちゃ俺はその程度の存在か」

 びっくりしているサンジに覆い被さるような体勢でゾロは勢いよく言った。
 頭の中は更にぐちゃぐちゃの混乱を極めていたが、盛大に殴られたかのような衝撃がゾロを襲っている。

「そこまでてめーは俺のこと信頼しちゃいね―のかよ」

 過去に実際に食らったサンジのどの蹴りよりも、たった一言がゾロには効いた。
 ぶん殴られたような衝撃を受けた。
 痛かった。
 ……胸の一番奥が。

「てめー一人出全部抱え込んでてめー一人で全部解決しようとしやがって」

 壁についた後、握りしめたゾロの両腕の拳が小刻みに震えていた。

「俺なんかいてもいなくてもてめーにとっては同じだってことかよ」

 …そうこれは自分の強さに対する侮辱。
 そうゾロは思った。
 同じ船に乗っているクルーに信頼してもらえない自分の剣の実力。
 戦闘要員に数えられないただの足手まとい。
 
 だからこんなに悔しいのだと。
 だからこんなに痛いのだと。

 ゾロは思いたかった。
 それで正解のはずだった。

「………………てめーにゃわかんねーよ」

 自分の少し上にあるゾロの顔を見上げてサンジは小さくつぶやいた。
 ちょうど影になっていてゾロの表情はよく見えないが、サンジの表情はゾロからはよく見えるだろう。
 目をまん丸に見開いている自分の間抜けた顔。

「いいか、俺はルフィやてめーが1対1でヌールに負けるとは思っちゃいね―」

 ぽたりぽたりぽたり
 勢いよく汗が噴き出して、木の床の染みの数を増やしていく。

「だからてめーにはわかんねーと思ったんだよ」















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2004年2月21日



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