□緑の髪の剣豪□



 麦わら海賊団のクルーの視線が集中した先に、真っ白なコートを羽織ったヌールの姿があった。
 ヌールは右手の短剣を、左手のボロ雑巾のような物体に突きつけ、微笑を浮かべている。

 その物体は、元はモスグリーンと思われるシャツと、元は黒だと思われるズボンをはいていた。元は、という注釈がつくのは、それらが元の姿を知っていないと、一体どんなものだったのかわからないくらい原型をとどめていなかったからだ。濃い赤色の液体によって、そのほとんどを全く違う色へと染め上げられている。
 だらりと下がった頭の金色はくすんで見え、後ろ手に縛り上げられた両腕と、大きな枷をはめられた、だらりとたれた両足は体重すら支える力を失っているようだった。

「いらっしゃい。麦わら海賊団」

 浅黒い肌を持つ、黒髪の美貌の女海軍が、唇の両端を吊り上げて言った。
 不気味な迫力がその言葉にはこもっていた。ウソップは思わず足を波打つように震わせ、チョッパーはガードポイントを取った。
 今にも飛び掛ろうとしていたルフィは、奥歯をぎり、とかみ締めた。ゾロもロビンも、他人にはそれとわかる状態ではない臨戦体勢をとる。

「このコックさんが命がけであなたたちを逃がしたと言うのに…わざわざ殺されに帰ってくるなんてね」
 ヌールはそう言って左手の中にある彼女にとっての「生かして利用する」海賊の方をちらりと見た。金色の頭はぴくりとも動かず、そのヌールの言葉も既に耳には届いていないだろうことは誰の目にも明らかだった。
「船の追走お疲れ様。余程優秀な航海士がついているのね」
「……そんなこと、どうでもいいから答えろよ。…サンジ、生きてんのか?」
 既にはっきりとお互いを目視できる位置まで近づいている。ルフィはメリーの船首にのぼり、4本マストのバーグの甲板に立つヌールに向かってそう言った。
「さあ?」
 そのルフィを面白そうな眼で見やり、ヌールがとぼけたように答えた。
「てめぇ…!!!ふざけんな!!」
「待てウソップ!挑発に乗るな!!」
 いつもなら自分が真っ先に切り込んでいく立場なのに、今日は誰かをとめてばかりだ、とゾロはほんの一瞬だけそう思った。後先考える必要のない敵なら今だって真っ先に切り込んでいく。しかし、今は後先を考えなければならないのだ。
 あのコックを、絶対に、死なせるわけにはいかないのだから。
「ゾロ…!でも…!!」
「あのクソコックは女で身を滅ぼす奴だが、拷問なんかで絶対に死にゃしねえ」
 まっすぐにヌールに視線を向けてゾロは言い切った。
「サンジーーーーーーーーーーっっっ!起きろーーーーーーーッ!!」
 ルフィが必死でそこに手を伸ばすのを我慢しながら、大声で怒鳴った。

 ぴく、と微かにサンジの金色の頭が反応した――――――

 が早いか、今まで体重を支えるのにすら苦労していたはずの、大きな樫の木の枷をつけられた足が、正確にヌールの握る短剣めがけて蹴り上げられた。

 カラン、と乾いた音を一つ残して銀色の短剣は宙に舞い、ヌールの頬に一筋の赤い傷をつけた。

 瞬間的にヌールはサンジの足を払い、甲板に組み伏せた。慌てて彼女の部下達がよって来て、サンジの上に折り重なる。
「この枷でもまだ足を封じるまでにはいかなかったのね」
「ヌール様!」
「ヌール様!!お怪我は…」
 頬の傷を人差し指でなぞってヌールは感心したようにつぶやいた。そして部下達をぐるりと見渡して、一番信頼している男の名前を呼ぶ。
「パスカル」
「はっ、ヌール様」
「このコックさんに”海の歌姫の首飾り(セイレーンチョーカー)”をプレゼントしてあげて」
「……セイレーンの……ヌール様、それは……」
 やけに血色の悪い顔でパスカルは返答に窮していた。ヌールの言うそれが、最も古典的ながらも酷く残酷な処刑法であることを当然パスカルは知っていた。
「パスカル。私の命令が聞こえないの」
「………はっ」
 …表情を消して、パスカルは深々と一礼すると、くるりと身を翻して船倉へと走っていった。2,3人の兵が後に続いている。

「さて、麦わら海賊団。よくお聞きなさい」
 ヌールはルフィをまっすぐ見下ろして言った。
「私たちはあなたたちの身体から、たった今すぐにでも一滴残らず血を絞り取ることができるわ」
 そこで台詞を区切ってわざとヌールはルフィに向けて静かに微笑む。ルフィはそんなヌールの挑発に全く動じることなく隙あらばその4本マストのバーグに乗り込もうとほとんど全身をばねにしてタイミングを見計らっていた。
 挑発が不発に終わっても、ヌールはそんなルフィを面白そうに見やって言葉を続ける。
「だけれど、私たちは一般市民に血を見せることを好まない」
「……だから何だ?」
 ルフィが右手をぱきりといわせて、ヌールを睨みつけて言った。
「このコックさんの命が惜しければ、私たちの船についてきなさい。あなたたちに相応しい死に場所を提供してあげる」
 そういうが早いか、白い「正義」コートを翻して、ヌールは操舵室に消えていった。選択の余地などないことを十分承知でそれでも煽ってみせるその黒髪の女海軍に対し、ルフィは隙を見つけることが全くできずに、その拳を彼の身体のそばから離すことは叶わなかった。
「行くぞ」
 白い波飛沫を上げて進みだしたヌールの船を思い切り睨みつけてルフィは言った。

 あのクソコックが気を失っていて本当によかった

 と、心からゾロは思った。これであのコックの意識が少しでもあったならば、間違いなく自分に構わず先に行けとか言い出して、事態を更に混乱させるに違いない。そしておそらく、あのアホコックには、どうして事態が混乱に陥ったのか理解すらできないに違いないとゾロは思った。それをわからせるためにも、とにかく生きてあのコックを連れ戻し、とにかくぶん殴ってやらないといけないのだ。言って聞かせて通用する相手なら今目の前で海軍にぼろぼろにされていたりするはずがない。

「サンジくんをまずは取り返すべきね」
 ヌールの船を追走しながら、ナミはいらいらと親指の爪を噛んだ。
「サンジくんという切り札を握られている以上、こちらからは下手に手出しはできないわ」
「…あの女海軍、もうサンジを殺しちゃったりしてないよね」
 先行する4本マストのバーグを注視しながら、不安を押し隠そうとして失敗しているチョッパーがその一番の不安を口に出した。
「それはないと思うわ」
 やけにきっぱりとロビンが言い切る。
「あの海軍の海賊への憎悪は尋常なものではないわ。おそらく彼女は、これ以上ないというくらい残酷に彼を殺すつもりよ」
「……ざざざ残酷に…って」
 ウソップが震える声で聞き返した。
「……そうね。例えば、仲間の目の前で、縊り殺す、とかね」
「ダメだ、それは絶対にダメだ」
 それまで沈黙していたゾロが、強くそう言った。
 あのコックは、生きて取り戻して、ぶん殴らないと気が済まないのだ。
 目立つ金色の頭がキッチンにあって、それで、グランドラインを共に航海していかなければ、ゾロの違和感は一向に消え去らないのだ。



 その頃、ヌールの船では、ヌールの言うところの「海の歌姫の首飾り(セイレーンチョーカー)」が、サンジの首にかけられていた。サンジ自身は、全く意識を取り戻すこともなく、されるがままになっている。
 足には樫の木の枷の変わりに、太く短い、頑丈な鎖がつながれ、その鎖の先は、サンジの頭よりも一回り以上大きな鉄球に続いている。

「ヌール様」
 パスカルが、彼の上官に向かって声をかけた。
「準備が整いました」
「ご苦労様。後は、麦わら一味の船を包囲する方にまわって頂戴」
 唇の両端を吊り上げて、ヌールはそう言ってパスカルを去らせた後、一人ごちた。

「この世の全ての海賊を、殺し尽くすことができますように」と。
 







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2003年10月25日



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