□金色の髪のコック□



「ヌール様!!大変です…!」
「何事。私は今忙しいの」
 サンジの首にぴたりと当てられていた銀の短剣が今まさに横に引かれようとしたその瞬間、血相を変えたパスカルがヌールの元へ飛んできた。とりあえずヌールは手を止め、やや非難するような目でパスカルを振り返る。
「それが…その…!」
「落ち着いて話なさい。何があったの」
「……ドクロマークに麦わらの海賊旗を掲げた海賊が……!」

 その言葉にサンジは鋭く反応した。

 ドクロマークに麦わらをつけた海賊旗など世界でただ一つしか見たことがない。パスカルが実は船のマークをみまちがえました、という落ちをつけることをサンジは希望はしていたが期待はしていなかった。パスカルがそういうのであれば、その船にはドクロマークに麦藁帽子が描かれた海賊旗がはためいているのであろう。ヌールに嘘の報告をこの男がするわけがないのだ。

 それにしてもエターナルポースまできちんと細工して渡したというのになぜあの船がここに戻ってきているのか―――


「違う!そんなマークは麦わら海賊団じゃねぇ!いいからさっさと俺を殺せ、もう俺には利用価値がなくなったんだろ!!」
 この浅黒い肌を持つ美貌の女船長は危険だ、とサンジは心の底から思っていた。サンジは彼の仲間が強いことを勿論知っていたが、無傷でこの海軍に勝てるとも思ってはいなかった。

 だから。

 だから、自分が一人ここに残ることで、仲間が無事でいてくれるのであるならば。

 そう思ってサンジは行動した。
 途中まではなかなかうまくいっていた。

 とりあえずお宝という言葉にナミは反応するだろうし、ルフィには冒険を囁いておけばよい。自分が一人ここに残ることに何の疑問ももたずエターナルポースを手に海へと出発するだろう。

 それなのに―――

「おかしなコックさんね。あなたを私が殺すということと、あの船が麦わら一味の船だというのは別問題だわ」
 漆黒の瞳に冷たい炎をちらつかせてヌールが笑いながら言った。銀色の短剣は、とっくに美しくくびれた腰の見事な飾りがついたさやに収められている。
「俺を殺せ!!!」
 どこにそんな力が残っていたのかと自分でも不思議に思うほど、サンジは腹のそこから大きな声を張り上げた。吊るされている手と、鎖につながれている足――大腿部をぱっくり切られているためもうそんな太い鎖は彼には必要はないのだけれど――が、前のめりにヌールに向かって身体を投げ出すサンジの前進を食い止める。
「…そして、あなたの死体をあの船に晒せば、目的を失ったあの船はすごすごと帰っていくという算段ね。まったく海賊はこれだから…」
「いいから殺せ!」
 必死の力で顔を持ち上げて、ヌールを睨みつけながらサンジは叫んだ。ヌールはそんなサンジを面白そうにちらりと見やってから、パスカルに向かって声をかけた。

「その海賊を甲板まで連れてきなさい。手と足は厳重に縛っておいてね。枷をはめた方がいいかもしれないわ。今にも死にそうなくせに、多分、その蹴りはまだあなた一人を殺せるくらいの威力を持っているでしょうから」






「状況を報告しなさい」

 甲板に上がってきたヌールは用意されていた真っ白な新品の海軍の「正義」コートを羽織った。浅黒い肌にその白はよく映える。
 ヌールがそのコートを羽織ったときは、狙った”獲物”を全滅させるときだ―――と、長年ヌールに仕えてきた部下達は背筋を伸ばし、最敬礼を行った。
 あの姿のヌールに出会って生き延びた海賊は今の今まで誰一人としていなかった。だから彼らは今回もヌールが決してまけるわけがないということを確信していたし、過去の戦いでそれが事実だということを彼女はその身をもって証明しつづけてきた。
 海賊との戦いが終わった後ヌールのそのコートは、いつだって海賊の返り血で真っ赤に染まっているのだ―――

「はっ、麦藁帽子の人影を確認しました!モンキー・D・ルフィだと思われます。ロロノア・ゾロも確認済み。以下4名のクルーも全員いる模様です!」
「…4人?麦わら一味はアラバスタでは6人だったと聞いたけど?」
 そばの兵士から双眼鏡を受け取って、ヌールは全速力で近づいてくる麦わらの船を眺めた。
「…それが…あの、ニコ・ロビンが麦わら一味についたとの情報が入っておりまして…何分手配書の写真が幼い頃のものでしかないので確証は得られませんが、あの子供がそのまま大きくなっているとすればおかしくはない年齢の黒い髪の女が乗り込んでいます」 「ニコ・ロビン…それはまた大きな獲物がかかったわね」
 双眼鏡をおろし、目を細めてヌールはその海賊船を見た。真上に昇った太陽がきらきらと海に反射し、熱い反射を幾重にも折り重ねていた。

「…ちがうっつってんだろ!お前らマネマネの実の能力って知ってるか?あの黒檻のヒナですら騙した能力だぜ」
「……本当に大したものね」
 パスカル以下5名の屈強な兵士達に囲まれて、両腕を後ろ手に縛られ、足には大きな樫の木の枷をはめられて、ずるずると甲板に引きずり出されてもまだサンジは言葉での抵抗を試みていた。その姿に半ば呆れ声でヌールがつぶやく。

「ヒナ大佐はスモーカー大佐と仲がよいわ。そのスモーカー大佐は最近はわざとお疲れになってみたり、海賊を追い詰める寸前に突然部下に任務を押し付けたり、不思議なことばかりなさるのよ」
 横目でちらりとサンジを見やってヌールは楽しそうに言った。
「…いいから俺を殺せ!」
「いサギイイ男ね。気持ちがいいわ」
 こんどはちゃんとサンジに向き直ってヌールは言った。サンジの前まで歩み寄ると、がくりとひざを折り、ヌールを見上げることしかできなくなったサンジを、冷たい炎を宿した眼で見下ろした。

「でもねえ、殺して欲しい人間を殺してあげるほど、私は親切ではないわ。幸いあなたの大好きな仲間の皆さんもきたようだし、せいぜいあなたを生きて利用させてもらうだけよ」







「あれか?あの島か?ナミ!」
「まちがいないわ。あの商船と、あんたが見た4本マストのバーグが隣に並んでる」
 商船の追走をナミとロビンは完璧にやり遂げた。
 羊の頭の形をした船首の向こうに見えるのは、サンジが一人残っているはずのあの島だ。
「よし!行くぞ!!ゴムゴムのーーーーーー!!!!」
「待て!ルフィ!!」
 これでもかと後ろに向けて引き伸ばされたルフィの両腕をゾロが掴んだ。その視線の先がある一点に注がれている。
 そのままの体勢でゾロはぴくりとも動かず、顔面を蒼白にして、額から汗を一筋流した。
「………サンジ……」
 そのゾロの視線の先を追ったウソップが、両腕をだらりとさげて、魂が抜けたような声を喉の奥から振り絞った。
「嘘だ…あれ、サンジか……?」
「……!サンジくんっ」
 重量ポイントのままのチョッパーが、へなへなと甲板に座り込み、泣きそうな声を出し、ナミが悲鳴寸前の声をあげた。










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2003年10月20日



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