□002.囚われた娘□



 どんがらがっしゃん…ズサッ
「てめーそこ一歩でも動いてみやがれ!!命ねーぞ!!!」
 びいいいん
「……」
 のどが渇いたからといってキッチンへのドアを開けた瞬間、コックの怒鳴り声と包丁をお見舞いされる日がくるとはグランドラインというところは余程とんでもないところらしい。眉間に皺を思い切り寄せて、「戦闘員」というお墨付きを頂いている緑の髪の剣士は、まだかすかにゆれつづけている右のこめかみのすぐ脇に刺さった包丁をにらみつけた。
 しかし当のコックはというと、険悪な表情でドアを振り返りもせず、その青い瞳で何かを一心不乱に追っているようだ。包丁が壁に刺さったとか間一髪だったとかそういうことはどうでもいいらしい。
「…クソコック」
「……」
「…きいてんのかこらてめぇはよ」
「………」
「…無視かっ」
「いちいちうっせぇんだよこのクソまりも。俺ぁ今てめーなんかの相手してる暇ねーんだよっ」
 怒り狂っているらしい金髪のコックは全くゾロを相手にする気がなさそうだったので、ゾロは激しくむかついてとにかく一言謝らせようと隙を伺うことにした。ゾロはこのコックを人に包丁を投げつけておいてごめんなさいも言えないような人間に育てた覚えは全くない。(当然サンジはゾロに育てられた覚えは全くない)
 港に停泊して3日目。空はあくまで青く高く風は湿気を適度に含み大変居心地のよい島だった。ログがたまるのに1週間かかるとかでその間船番を残してめいめい好き勝手に行動している。
 今日の船番はあのクソコックで、ゾロは別にどこかに出かけてもよかったのだが、トレーニングするほうを優先させてしまったがための現状だ。
「…で、あいつは何してんだ?」
 そこまで考えてようやく肝心なところに目がいった。何を奴はそんなに追い掛け回しているのだろうか。
 
 しゃーーーーっっっ

 突然ゾロの耳に大変その場に不似合いな声が聞こえてきた。サンジが目から火花でも出るんじゃないかというくらい、目の前にいる一匹のやせた牛柄の猫とにらみ合っている。
 右手で間合いを計り、そろりそろりと移動しているが猫のほうもそれに合わせてそろりそろりと移動している。牛猫が口にくわえたそのやせた身体には不釣合いな大きさの魚もそれにあわせてそろりそろりと引きずられていく。
 ゾロは確かにその魚に見覚えがあった。ここ数日コックがキッチンの大きな大きなボウルの中に泳がせていた魚だった。
 何ですぐに食べないんだと聞くともっとうまく食べる方法があるんだから待てと蹴りをお見舞いされたあの魚だ。
 腕組みをしてゾロが何か考えている間にもサンジと牛猫の間の空気はますます張り詰めたものになっていく。

 ひょい
「……へ?」
 間抜けな声をあげて牛猫の行方を追ったサンジの目に緑の髪の剣士のたくましい左腕に首をつかまれた牛猫がじたばたと暴れている様子が飛び込んできた。
「要するにこいつ捕まえればいいんだろ?」
 にやりと笑ってゾロがサンジに向かって言う。ゾロの足元にはあの魚が転がっていた。
「…………うわーーーーーーーっっっキャシディーーーーッ!!!」
 魚を見た途端サンジはものすごい勢いでゾロの足元に走っていき、腫れ物でも触るかのようにおそるおそるその魚に触れた。牛猫は相変わらずじたばた騒いでいる。
「…大丈夫かキャシディ。お前になんかあったら俺は…どうしたらいいんだ―!」
「…てめぇこそ大丈夫か」
「ふぎゃぎゃぎゃにゃ――――――っっ」
 くねくねじたばた暴れる猫の首を容赦なく引っつかみながらゾロは真下に見える金色の頭に向かってそう言った。
「ああ?てめぇ喧嘩売ってんのか?」
「てめぇの頭がおかしーんだよっ。どこの世界に魚に名前つけるアホがいるか」
「はあ?」
 心のそこからバカに仕切った声でサンジは「キャシディ」を抱えて立ち上がった。
「てめぇの頭こそおかしーんじゃね―のか?この魚、キャシディっつー種類だぜ?」
「……は?」
 文字通り目を点にしてゾロは思わず左腕で捕まえている牛猫と顔を見合わせた。
「正式名称は『クジラサケ』っつー魚の幼生だ。こんくらいの大きさのときのメスが一番うめーんだよ。だから愛称がついてるってことくれー常識だろう」
「…知るかっ」
 一瞬目を合わせたときには同時にサンジのほうを振り返った牛猫とゾロだったが、すぐにお互いの立場を思い出し、牛猫は盛大に暴れ始め、ゾロはますます首を掴む手に力を入れた。
「こいつ捕まえたらよ、きれいな水に1週間放しとくんだ。そうしたら体の中の汚ね―もん全部外に出てくっから、そのあとで食うのが一番うめーのよ」
 シンクに大きなたらいを出して水をため、サンジがキャシディをそこにそっと横たえて牛猫に引きずられたためついた泥を洗い落としていく。
「ああもうくわね―とだめだ。ほんとはあと2日おいときたかったんだけどなあ…」
 ぶつぶついいながら丁寧に泥を落とし終えると、サンジは何事もなかったかのように入り口入ってすぐの壁にふかぶかと突き刺さっている包丁を抜いて、キャシディをさばく準備をし始めた。
「てめェ…」
「ふぎゃふぎゃふぎゃ―――っ」
 ゾロと牛猫が怒りに打ち震えているのはまるで無視され、サンジは案外楽しそうに魚をさばき始めた。
「人に包丁投げつけといてごめんなさいもいえね―のか?ああ?」
「…ああ?なんで俺がてめェなんかに謝んなきゃいけねーんだ?大体そのクソ猫がキャシディを狙ってくれたりしたから話がややこしくなったんだろうが」
 怒るゾロにしぶしぶ振り向いたサンジはぎらりと光る包丁を牛猫の鼻に突きつけながらべらべらとしゃべる。牛猫は途端におとなしくなり冷や汗をだらだらとかきまくっていた。
「…ちゃーんと一週間きれいな水で泳がせてみろ。キャシディの肉の臭みが全く取れてこれ以上ないってくらい真っ白で上品な切り身になるってーのによー。それをうすーくスライスしてオリーブオイルとバジルとグレープシードビネガーと岩塩で食ってみろ。どんなに鈍いアホでもぜってー「うまい」って言うはずだ…」
 ゾロと猫がおとなしくなったのでサンジはまた料理に没頭し、独り言をぶつぶつつぶやいていた。
 ゾロはなんとなくこの間サンジが言っていた「自分をぎゃふんと言わせる」料理を作ろうとしていたのかななどと思い、再び猫と顔を合わせてみた。猫はまるっきりそんなやり取りなど知らないので、いつまでたってもしゃーしゃー言って怒っている。

「とにかくクソ腹巻。そいつを外におっぽり出せ」
「…まあ猫なんざ飼う余裕はうちにはねーだろうな」
 開けっ放しのキッチンのドアから甲板に出て、ゾロは景気よく猫をぽーんと桟橋の方へ放り投げた。怒り狂った猫の鳴き声がきれいに放物線を描いて聞こえなくなると、今度はドアを閉めてキッチンにゾロは戻ってくる。
 とりいそぎ、今はのどが渇いてたまらないのでゾロはサンジにそう訴えてみた。するとサンジは「何えらそーに言ってんだ」といいながら「今は魚さばいてっからこんな生臭い手で飲みもんなんか作れねェ」と言い出し、「とりあえずこれ食ってろ」と、今しがたおろされたばかりのキャシディを薄く包丁で引いて、それをゾロの口に放り込んだ。
 今まで食べた中で一番うまい白身の魚だとゾロは思ったが、勿論それを決して口に出すことはなかった。

 
2003年6月16日



…一応フォロー。囚われた娘=囚われたメスの魚キャシディということで許してください




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