□画家□



 ひょこりと麦藁帽子がはえ、横にぴんとのびたおさげ髪がゴーイングメリー号への縄梯子を上がってきていた。
 画材の入ったリュックを背負い、とん、と甲板に飛び降りた瞬間、彼女の大きな黒い丸い目がまん丸に見開かれた。
 待ち構えていた憧れの作家の姿にウソップはあごをはずして肩もはずし、ナミはインクとペンを危うく床に落としそうになった。

「…ミミミミミミスゴールデンウィーク!!」
「…麦わら一味………!!!」

 お互いにお互いを認識するまでに数瞬を要した後、絶叫が夕暮れの赤い雲に吸い込まれていった。




「ロロロロビン」
「なあに、船医さん」
「あれは誰で、何なんだ?」
「さっきからそればかりよ、船医さん」

 メインマストに頭を隠し、チョッパーは傍らで座り込んで事の成り行きを楽しそうに見守っているロビンに向かって質問を投げかける。
 ウソップはがくがくと全身を震えさせ、サンジの背後に隠れているわ、ナミは天候棒を取り出して臨戦態勢に入るわ、相手のおさげの少女も画材を取り出して絵の具をパレットでこねくりまわすわで場は騒然となっていた。

「なんだ、お前ら知り合いか?」
 悪魔の竜と名乗ったドレイクが頭をかきながらのんびりと言う。ルフィはドレイクと差し向かったままではさっぱり状況がわからなかったので、首を真後ろに曲げてウソップとナミの視線の先を見た。
「あ!お前!!」
 ルフィがミスゴールデンウィークに気づくのとミスゴールデンウィークがルフィに気づくのは殆ど同時だった。
 慌ててルフィは飛び上がり、一瞬で体勢を整える。
「怒りの赤と和みの緑を混ぜて…!」
 何かいおうとするルフィの機先を制して、ミスゴールデンウィークはパレットの上で絵の具を混ぜる。悲鳴こそ上げなかったが、彼女の額からは汗の雫が滴り落ちていた。
「逃亡の灰色!」
「逃がさないで!ロビン!!」
 逃亡を図るミスゴールデンウィークにすかさずナミが反応する。ロビンは面白そうにミスゴールデンウィークの両足を掴んで引きとめた。慣性の法則にしたがって、ミスゴールデンウィークは顔から甲板にごん、と落ちる。
「ミスオールサンデー…!」
「覚えていてくれて光栄ね。ミスゴールデンウィーク」
 すりむいた鼻に少し涙を浮かべて恨めしそうにミスゴールデンウィークはロビンを見上げていた。ロビンは涼しい顔をして頑丈にミスゴールデンウィークの足を甲板に縫いとめる。チョッパーはわけもわからずおろおろとしっぱなしだった。
「おいおい、俺だけ蚊帳の外かよ」
 空になったジョッキを振り回しながら、ドレイクが言う。状況がよくわからないサンジは守備範囲としては微妙にひっかかるかひっかからないかのラインにいる目の前のおさげ髪の少女に、とりあえず危害だけは加えないでおこうと判断した。
「おい、黒いおっさん!こいつ悪ぃやつだぞ」
「海賊に悪いって言われるんならいい奴なんじゃないのか?」
「…一理ある」
「ルフィ!」
 あっさり説得されたルフィに向かってナミとウソップは同時に突っ込んだ。何せ目の前のおさげ髪の人畜無害な風に見える少女にはロウ人形にされかかった上(少し正確ではないがミスター3は直接ぼこぼこにしたことを考えるとこの表現で十分なようにナミには思われる)催眠までお見舞いされているのだから。リトルガーデンの森で最後まで後を追ったカルーに悲鳴を上げたっきり、行方不明になった彼女とこんなところで再会しようとは夢にも思わなかった。
「とにかくサインは書いてもらうわよ」
 天候棒を握り締め、背中にどす黒いものを背負ってナミは甲板でしりもちをついた格好になっているミスゴールデンウィークを見下ろした。その迫力にミスゴールデンウィークは半泣きになって、べそをかきながらナミの差し出した書類にサインをしていた。
「絵の具なんかじゃ絶対に書かせないからね。インクを使ってね。私のインクだから大切に取り扱ってちょうだい」





 ウソップがずっと盾にしていたサンジにはうすうす状況が飲み込めてきた。リトルガーデンで戦ったミスター3の相棒が目の前のこの少女だということらしい。とりあえずその少女―――ミスゴールデンウィーク、が抵抗をあきらめたため、レディが傷つく状況にはならないだろうということが少しサンジを安心させた。
 ならばリトルガーデンで直接この少女と対決した緑のハラマキの方を見ると、まったく興味がなさげに一人瓶から酒をくらっている。あのハラマキが野獣モードに突入しないということは、そう大して危険な敵ではないだろうとサンジは更に安心した。
 それならば、とウソップをほっぽりだして、サンジはキッチンへと向かう決心をした。
「ササササンジくん、おおおおお俺をひひひひ一人にしないで」
「ばーか、何ブルってんだよおめーはよ」
 嫌がるウソップを無理やり引き剥がして、サンジはミスゴールデンウィークの分の食事を作るために階段をあがり、キッチンの扉をばたんと開けた。






「おう、飲め飲め!」
「まだ飲み足りねぇのかよ」
「なんのこれしき。夜はまだまだじゃねーか!」
「…このザル!…いえ、ちがうわ、ワクねワク!!」
「ワクはねーちゃんだろう。ちっとも顔色変わってないぜ、がははははは」
 雅号・黄金週間、シークレットコード・ミスゴールデンウィーク、本名・不明、なおさげ髪の少女から由緒書きとサインをまんまと巻き上げたナミは、さっさとドレイクをつぶそうと次々と飲み比べの勝負を挑んでいた。ルフィはとっくに気持ちよく酔っ払ってふにゃふにゃしているし、いつの間にかウソップとチョッパーはミスゴールデンウィークに興味津々で絵の具を触らせてもらったりしている。飲み比べの要求にサンジはせっせと応えていたが、ドレイクのナミと同格の飲みっぷりに完全にお手上げ状態だ。
 こうなったら意地でもつぶす、とナミは変な方向に燃え、更にサンジに向かって樽いっぱいの赤ワインを持ってくるように所望した。
「おいコック」
 サンジが倉庫に向かって足を踏み出したとき、メインマストに背をもたせかけた緑の髪の持ち主から声がかけられた。
「なんだ、クソマリモ」
「酒が足りねぇ」
「……」
「あとつまみも足りねぇ。何か作れ」
 顔色も表情も変えずにえらそうに要求を突きつけてくるマリモ頭にサンジはしばらく無言で堪えた。しかし、いくらサンジが堪えようともあの男の要求はテコでも動かないことはよーくわかっている。こめかみに血管を浮き上がらせながらサンジはゾロの胸倉を掴み怒鳴り散らした。
「……このエンゲル係数男!調子に乗るなーーーーっっ」
 ゆさゆさと揺さぶられても一向に恐れ入らないこともわかっていたくせにこうつっかからずにはいられない。しかも結局自分は酒もつまみも持って行ってやるという結論に達するのだからコックというのは始末に終えない性を持つものだと半ば自分に向けてサンジはため息をついた。

 肩を落として倉庫に入っていく金色の髪のコックの背中を見ながら、ゾロは少々残念な気持ちになっていた。
 色気もへったくれも何もない先ほどまでの会話。
 あの金色の髪のコックとはあーんなことやこーんなことまでした仲であるはずである。しかし、コックはまるでまるきりそんなことなどみじんこもなかったかのように毛の先ほどもおくびに出すことはない。
 …別に構わないといえば構わないのだが。
 ただ、あまりに今までどおりの「普通」の「日常」が続くと逆にゾロは怖くなる。
 ついこの間もそうだが、このコックは、始終骨が折れただの焼け焦げただの意識がないだの捕まるだの拷問を受けるだの、このゾロをして「命大事に」と言わしめるアホコックなのである。

 最初に感じたのは、金色の髪がこの船にいない違和感だった。
 それが喪失感に変わるまでに時間は大してかからなかった。
 あの感情を思い出す度に、ゾロは冷たい汗が背中に浮かび、身体中の血が一斉に引いていくのを感じる。

―――突然、あのコックと喧嘩する自分、という状況が描けなくなることがある、と知った時の恐怖は

 失いたくないのだ。
 コックはここにいてほしいのだ。





 





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