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二人は庭に出た。
庭と言っても、隊士たちが訓練や稽古に励む場所なので、遮蔽物は何もなく、広い。
その向こうに標的となるわらで作った人形を用意し、山崎は距離を取った。
片手には、山南の巨大手裏剣が収まっている。
もう、彼がずっと使ってきた武器のように、それはしっくりと姿になじんでいた。
山南は満足だった。
「山南さん……」
山崎は振り返る。
「な、なにかな?」
思考を中断されて、ちょっと慌てた。
「下がっていてください、危ないですから」
あれ、そうかなと思ったが、山崎くんが言うならそうなんだろうと思って、三歩ほど後ろに下がる。
それを見やってから山崎はふっと投擲姿勢を取った。
無駄のない動き、必要最小限度に抑えられた効率的な姿勢。
山南にだって、いや山南だからこそ、それは分かる。思わず、見とれてしまう。
投げられた手裏剣は鋭く回転しながら、まず地面に向かって沈み込むように、
ついで浮かび上がるような弧を描きながら、
迷わず標的の人形を切り裂き……その先の壁に突き刺さった。
「戻ってきませんでしたね」
あっさりと、山崎はそう言った。
◆
二日後。
手裏剣は作り直された。いや、刃の角度を調整しただけだ。
それが悪かったのだと、山南は分かっていた。しっかり検討したのだ。
「投げ方が悪かったんじゃないかな?」と応戦してみたところ、山崎は黙って二十回以上、
実に様々な角度からそれを投げ、一度として戻ってこないことを証明したので。
「では、投げます。……山南さんは下がっていてください」
同じことを言われて、また三歩下がる。
山崎はまた一番最初と同じ投擲姿勢を取った。ただ、それでも少し手の角度は変わっている。
どれが一番最適なのか、彼なりに検討した結果なのだろう。
あの二十回は無駄ではなかったのだ、と山南は自分に言い聞かせる。
そんなことを言い聞かせねばならないのは、やっぱり少しは申し訳なかったと思っているからだ。
……ただ、何故かそれを上手く口に出すことは出来ないのだけれども。
ともあれ投げられた手裏剣は、標的のわら人形を切り裂いた後、くるくるとこちらに回転しながら
戻って……来る途中で、横の壁に突き刺さった。
「ダメですね」
率直すぎる山崎の感想が胸を刺す。
「な、投げ方が……」
「標的に到達するまでの軌道は円でしたが、戻ってくる軌道は線になっていました。
何十回投げても同じです」
うーと考え込んでしまう。それは落ち込んだからというより、山崎の言うことはまったく正しくて、
そして自分はそれを是非解決したいと思ってしまうからだった。
――山崎くんは有能だよ。
山南はそう思う。作ったものをちゃんと使いこなし、
自分なりのベストを尽くした上で、何が悪かったのかを判断してくれる。
それは本当に、貴重なことなのだ。
……だから、自分は彼のことが好きなのだ。
す、好きといっても、そんな変な意味じゃないのだけれどもッ。
◆
さらに三日後。
「今度は根本から手を加えてみたよッ」
そのために精工所の職人には無理をさせた。予算も上乗せされてしまった。
――それでもいい。山崎くんのためなんだから……。
山南は真摯にそう考える。
その予算上乗せの帳尻合わせをするのは当の山崎であるということは、山南の頭にはない。
彼はそのあたりのことは、あまり理解できない人間だった。
「はい。では投げます」
山崎は嫌な顔一つ見せずに、再び庭に立つ。予算のことを彼はまだ知らないことは幸運だった。
「山南さんは下がっていてください」
彼が気にするのは、そのことだけだった。
そうして再び、山崎は巨大な手裏剣を投げる。
それは狙い通りに標的を切り裂き……今度はちゃんと戻ってきた。
「うわあっ」
飛びすぎて頭上を通過し、屯所の屋根に突き刺さりそうになったが。
その前に山崎が跳躍して、それをつかみ取る。
ああ、またダメだったか……と落ち込む山南に対して、山崎は膝をついた。
「お見事です。山南さん」
「え?」
「ちゃんと戻ってきました」
山南には見えていた。山崎が笑っている顔が。
彼が笑顔を浮かべるなんて想像も出来ないと皆は言うけれど、本当にそうなんだろうか。
そう思う。こんな時には。……こんなに素敵な、笑顔なのに。
「あとは投げ方だけ……僕の問題です」
「うん……」
そうなのかい?と無言で尋ねた視線に対し、山崎は深くうなずいた。……ことが山南には分かった。
「ちゃんと使いこなしてみせます」
胸に暖かな気持ちがこみ上げる。達成したのだという、制作者としての喜び。
でもそれ以上に、彼が、山崎が褒めてくれたことが嬉しい。
「ああ、でも、山崎くん……」
「はい」
「腕に怪我を、しているよ……」
ぽつぽつと血が落ちている。彼の左手から。
やはり無茶だったのだ。戻ってくるようにするにはかなりの回転の速度を持たさないといけない。
それをつかみ取るというのが、どれだけ難しいことなのか。
山南には想像もつかないけれども、想像もつかないからこそ、難しいということはよく分かる。
それなのに……。自分はつい優先させてしまった。機能を、性能を。いつもそうだ。
分かってはいるのだが、つい……。
「大したことではありません」
山南の感傷を、きっぱりした声が断ちきる。
「武器を扱えば怪我をするのは当然です。これは僕の未熟さです」
山崎はかすかに首をかしげた。
「でも、気にしてくださって、ありがとうございます。山南さん」
そうして彼はまた、笑顔を浮かべたのだった。……山南だけに、見える笑顔を。
「あとは練習を重ねるだけですから。もういいです。冷えるでしょうから、部屋に戻っていてください」
腕の怪我を簡単に止血し、山崎は再び庭に立つ。
その姿は美しく、左手に納めた手裏剣がよく似合っていた。
「ええ、そんなッ。僕もここで見ているよッ」
「今度は何百回の単位で投げますから。退屈ですよ」
「そんなことはないさ」
それは本心だった。本心から言った。絶対に飽きるなんてことはない。山崎くんを見ていたら。
絶対に飽きるなんてことはない。こんなに表情豊かで優しくて面白い……そしてちょっと手厳しい若者を。
「というか、どこに戻ってくるかまだ掴めていないので……
怖いんですよ、あなたに当たったらと思うと」
山崎は身を翻しながら、ぽつりとそう言った。
――え?
その意味を計りかねて、いや意味は分かるけれども、何か簡単には理解しきれないものが
そこには込められていたような気がして。
つまり、ドジでそそっかしい副長が邪魔だという……他の皆がそう思っていることくらい、
山南は知っていた……だが、それだけではない気がして。
でも聞き返す暇など与えず、山崎は投擲姿勢にうつる。
◆
それに見とれながら、山南は思っていた。
――ああ、そういえば、山崎くんって左利きだっけ。
彼は最初からずっと、左手で山南の手裏剣を投げていた。
――違う、彼は字を書くときは右手だし、他の時も右を使う。
「両手利きなんですよ」とは、何かの時に言っていた気がする。「忍びとして、それは当然です」とも。
でも……それでも、彼は最初から左手で手裏剣を投げていた。
……そう設計したからだ。山南がそのような向きで刃を取り付けてしまったからだ。
何も考えていなかった。山南はただその時夢中で、自分の思いつきを図面にしていただけだった。
でも……山崎は何も言わず、最初から左手で。
胸に何かがこみ上げてくる。それはなんだろうと計り兼ねつつ、山南は見ていた。
投げては戻ってくる手裏剣を、その無茶な軌道に振り回されつつも、
懸命に使いこなそうと努力する、山崎の姿を。
そんな一人の若者の姿を。
――他の何よりも美しいと、そう思いながら。
2007.1.24
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