新しく注がれた高濃度のアルコールが氷を溶かし、グラスとぶつかって軽やかな音を立てる。
「私はそんなおまえが好きだよ」
「簡単に人に好きとかいうもんじゃありません。本気にされますよ?」
「本当に、好きなんだけどな」
「はいはい」
「真面目に受けとめてくれない君が大好きだ」
「いい加減にその口を閉じなさい」
「キスでもしてくれたら黙るよ」
「……っ!」
不覚にも思わず酒にむせそうになった。
もう酔ったんですかと疑いの視線を投げると、確かにその頬はほんのり赤い。
白い肌だから、余計に目立っているだけかもしれないが。
「冗談だよ」
ともあれ、そう言ってグラスを掲げてくるサービスの視線はまだ確かで、
酔ったというよりはあくまで機嫌がいいということらしい。
「あなたの場合、冗談に聞こえない所が恐ろしいんですよ」
「ここは居心地がいいな……」
忠告などまったく聞いていない様子で、サービスはソファに深々ともたれかかった。
「今日は本当に気持ちがいい。私は愛されていないほうが楽でいられるよ」
また話が飛んでいる。しかし普通の酔っぱらいとはこういうもののような気もする。
今晩に限って何度も思い出す士官学校の頃、深夜にこっそり酒盛りをした時も
サービスはこんな酔い方をしていたような記憶があった。
「高松はなにも信じてくれない。ジャンはすべてを信じてくれる。それが心地いい」
「それだと私が酷い人間みたいじゃないですか」
「実際酷いじゃないか」
「ええ、まあ、酷いのはいいんですけど。ジャンと比べてというのが承知出来ません」
「そうだね……」
「それって肯定ですか、否定ですか」
「気にすることじゃないだろう?」
サービスはまた声をあげて笑う。どうやら本当に酔っていると呆れながら、
高松もさらに自分のペースをあげた。こんな時に一人だけしらふなのは却って損だ。
「……それはともかく、感謝しているんだよ。
他の人間は選ぶから。
何を信じて何を信じないのか、自分が聞きたいことを聞いて見たいものを見る。
そのままの私を見てくれるものは少ない」
誰だってそうですよと心の中で返しながら、だけど今それを言葉にするのは
あまりに卑俗な気がして、黙っていた。黙って琥珀の液体を喉に流す。
「ずっと、ずっとね。今も士官学校時代も、その前だって」
酔いで語尾が怪しくなりながらも、生まれつきの綺麗な発音で繰り返される言葉。
「おまえ達は見てくれた。今も見てくれている。大好きだよ」
高松はそれを背後に流れる音楽のように半分聞き流しながら、
ゆっくりと場の空気に浸っていた。そういえばいつの間にか、サービスは残りの一人が
ここにいるかのように話しているなと、頭の片隅で認識する。
「会いたいなあ……。ジャンに会いたいよ」
だからついにサービスがそれを口にした時も、彼は驚かなかった。
「それはこの世でですか、それともあの世で?」
意味のない問いだが、本当の目的は話を続けることにあったので、口にする。
サービスも特に気にした様子はなく、クスリと笑って答えた。
「そうだな、この世で会いたいな。私にはまだやることがあるからね。
シンタローやグンマの成長も見届けたい……最近少し欲が出ているんだ」
「いいことですね」
素直にうなずいた高松に、サービスは「医者みたいだよ、その言い方」と笑う。
高松もフンと笑って返した。
「私の本分はあくまで医師ですから。それでいいんです」
「ルーザー兄さんは医者じゃなかった」
「……そうですね」
その言葉には、はっと胸を突かれる。
「ああ、すまない」
「いえ……」
額に手を当ててかぶりを振った。確かにルーザーは科学者であっても医師ではなかった。
少しずつ道は分かれて、隔たりは大きくなるばかり。原因はどこにあったのだろうと考えると、
それは体の弱いグンマの養育のためであったり、
もっと以前の――封印している罪悪を、確実に隠蔽するためであった気がする。
さらにその原因へとさかのぼれば、あの人の死があって……。
だけど、それだけなのだろうか。何が原因で何が結果か、
何が本当の自分で、何が成りたかった自分なのか。ぐるぐると思考は回る。
どうやら酔いも相当に回ってきたらしい。
「大丈夫か? 高松」
顔を上げると、サービスがふと真面目な顔に戻って覗き込んでいた。
「あなたに言われたくありませんよ」
「そう。じゃあ私は私の記憶に帰ることにする」
彼はあっさりそう言って再びソファに倒れ込むと、とりとめもない話を再開する。
「ジャンがね、今でも呼べばふらっと現れてくれる気がするんだ、その辺りの角からさ」
片手で顔を覆ったまま、もう片方の手がゆらりとキッチンへ続くコーナーを指した。
「あいつはよく変な場所から出てくる癖があったから……。生け垣とか、裏口だとか。
どこにいても落ち着かない。なんだかいつ現れても不思議じゃない気がするんだよ。
いつの間にか探している。期待しているんだ、ジャンが会いに来てくれることを」
「……」
もう相づちすら必要としていないその様子に
高松は黙ったまま、またさらにペースをあげてグラスを傾ける。
「会ったら何を話そうかとか、つい考えてしまったりね。
どんどん話さなきゃいけないことは溜まっていくから、早く会いに来て欲しいって思ったり。
だけど本当に会えたら、もう話すことなんて何もないんだろうな」
顔を隠した手の影から、透明な物がこぼれ落ちる。その有様は哀れで、美しかった。
いっそ憎むことが出来れば楽だったのに、そうできなかったのは、このせいだった気がする。
「酷いんだよ私は。殺してしまったのに、まだ彼に会いたい。私を見て笑って欲しいんだ……」
「……彼ならきっとそうしますよ」
高松は本心から言った。
「あのバカならきっと、何回殺されたって付きまとってくるんです。あの脳天気な笑顔でね」
「はははっ」
美しい人は鼻声で笑う。やはり声は軽やかに耳から抜けていく。
上質の酒がもたらす酔いは、ゆるやかに頭をまどろみで満たす。
少しだけ羨ましかった。
高松は、ジャンのことを話すサービスのように、ルーザーのことを話すことは出来ない。
永久に出来ないのかもしれない。
言葉に出来るようになる頃には、記憶は完全に過去になってしまう気がする。
良くも悪くも割りきってしまうことが出来るのが高松で、
いつまで経っても割りきることなど出来ないのがサービスなのだろう。
そうして時間は過ぎていった。
「ジャン……。あいつは今、どうしているんだろう……」
繰り返される言葉の中に、生き続けることが罰だという言葉の重さを感じながら、
苦い酒の中に自分が覚えている限りのルーザーの姿を繰り返す。
だけどそれを言葉にすることは出来ない。
誰かと分かち合うつもりはなく、それでもまったくの一人で背負っていくには重すぎる追憶。
あるいはそれだけのために、高松はサービスを許したのかもしれないが、
そんな不確かな真実よりも何よりも、
今はただ、心に染み込んでいくこの悲しい調べだけが救いだった。
こうしている間にも、記憶は過去になっていく。
すっかり酒に耽溺して、意識もろともソファに崩れ落ちようとしている友に、
たぶん同じく立ち上がれないであろうもう一人は尋ねた。
「それで、あなたはいつまで過去に浸っているんです?」
「とりあえず、明日が来るまで……かな」
2004.8.4
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