「……だいぶ組織は固まってきてますねえ」
ルーペを片手に、私の右半面に醜く広がる傷痕を覗き込んでいた若い医者は、
そう言いながら使い捨てのゴム手袋を脱いだ。
私は彼の手が離れるとすぐに、こめかみのクリップを外して髪を下ろし顔の右半分を覆い隠す。
いつもの癖でつい神経質に垂らした髪を整えていると、嫌味たらしい声が聞こえてきた。
「その、髪で隠すってのも、本当は傷に良くないんですよ。サービス」
「患者に小言だなんて、すっかり医者らしくなったな。高松」
私の言葉を聞いて、旧友はあきらかに嫌そうな顔をする。その顔を見て少し満足した。
「まさか眼帯でも付けるわけにはいかないだろう。ハーレムじゃあるまいし」
彼ならきっと似合うに違いないと双子の兄の顔を思い浮かべながら言うと、
高松はニヤニヤ私の顔を見て笑う。
「案外似合うんじゃないですかねえ。基本的には同じ顔なんですから」
「やめてくれ」
手を振る。双子の兄と私は違う。確かに一見似ているからこそ、
ぼくたちはお互いの違いにこだわらざるを得ない。
「ま、確かにあなたの場合、眼帯だけじゃその傷は隠しきれないでしょうけどね」
右肘をついた上にかしげた首を乗せた格好で、面白くもなさそうに部外者は言った。
衝動的に目をえぐってから数年、私の傷は未だ完全には塞がっていない。
だから傷口から雑菌が入ったりしていないか、定期的な診察を必要とした。
「この調子なら、検診を半年に一回から一年に一回に伸ばしても大丈夫そうですねえ」
「それはよかった」
高松相手とはいえ、この傷痕を他人に触られるのは嫌だ。
しかし、事情を知らない他人ではもっと嫌だった。
だから私はしぶしぶながら、このドクターになったばかりの元同級生に主治医を頼み、
不本意ながら定期的にガンマ団本部に帰ってくるという暮らしをおくっていた。
……まあ、帰ってくる理由はもう一つあったのだけど。
私が運命を取り替えてしまった幼い甥っ子達の顔を思い浮かべている横で、
すっかり白衣が似合うようになった元同級生は
さらさらとカルテに記入をしながら、横目でこちらを見て言葉を続けた。
「いいことばかりでもないんですけどね。固まるってことは、
これ以上傷が広がらないってことではありますが……」
ペンを止め、指先でくるりと万年筆を回して、私の失われた片目を指す。
「もう傷痕が消える可能性はないってことでもあるんですよ」
「そんなこと、望んですらいない」
思わず吐き捨てた。顔の右半分がうずく。
……私はあの場で目をえぐり、兄に連れ帰られてからも、
しばらくは医師の手当すらこばんだのだ。
おかげで痕は酷く残り、まだ時々痛むのだけれども。今の私はそれすら満足だった。
自分が歪んでいることは分かっている。でもまだ前に進めない。
「あのねえ。あなたが感傷に浸るのは勝手ですが、
もし傷口が化膿してこれ以上広がりでもしたら……」
「誰が悲しむ?」
その時私が浮かべた笑みは、きっと歪んでいただろう。
でも高松はあの、人を斜めに見る独特の視線のまま、表情を変えることもなく続けた。
「私があなたのお兄様方に殺されます」
「……ああ。兄さん達か」
どうでもいいじゃないかと思う一方で、無傷の左半面が引きつるのを感じる。
そんな私の様子を見やって、高松は呆れたように言う。
「まだ乗り越えられてませんね、あなた」
「あんなことがあって、あんなことをして、兄に平然と仕えているおまえのほうが不思議だよ」
「……私にはするべき事があるんですよ」
ふんと視線をそらして不機嫌そうに言い放つ友の目の奥底には、確かに決意が見えた。
高松がこんなにも本気を見せるなんて、学生時代には決してなかったなと思う。
確かに私達は変わったのだ。もう以前のままではいられない――いられなかった。
白衣の科学者は断言する。
「どうせなら私に言ってくれれば、目だけ綺麗に取り去ってあげましたのに」
思わず笑った。
「おまえらしいな。高松」
自分が少しばかり若さを出してしまったことに気が付いたのだろう。
高松は再びふんと鼻を鳴らし、カルテに最後の一文を書き加えて、閉じた。
そして椅子ごと私の方に向き直る。
「それでこの半年、どこで何をしていたんです?」
「山にこもって修行だよ」
高松の目が一瞬広がった。
「意外かい?」
「意外ですね」
「感傷を癒すためにどこか南の島にでも行って、呑気にバカンスでもしているとでも?」
「ええ」
そこまではっきり肯定されるとさすがに傷つくなと思いつつ、
手を伸ばして荒れた肌と割れた爪を見せる。
おやまあとでも言いたげに覗き込んでから、彼は一応私の言葉を信じたようだった。
「あなたは私以上に努力という言葉とは無縁だと思っていましたよ」
「みんな私を何だと思っているんだ。
ちゃんと学生時代からおまえやジャンに付いていくために、一生懸命努力はしていたさ」
「でも、本気じゃなかったでしょう?」
執念深い友の目が光る。少しの居心地の悪さを感じながら、私はうなずいた。
「あなたはずっと二番手でしたね。私とジャンが個別科目でトップ争いをしている隙に
着実にポイントを拾って、総合ではトップ争いに絡むんですから。いやらしい」
「高松は昔から、意外と成績にこだわる」
「そりゃまあ私はあなたと違って、生まれながらのエリートではありませんからね。
上に行くためには認められないと、ね」
「けど、それだけじゃなかっただろう?」
私はジャンの事を思い出す。あの輝かしい日々の記憶。
例え最後が痛みに塗りつぶされていても。思い起こすたびに涙が出そうな程懐かしい。
「おまえはジャンとは妙に張り合っていた気がするんだが」
「あの脳天気バカが、格闘ならともかく学問分野でまで成績いいのが信じられなかったんですよ」
確かにそれは私にとっても謎だった。謎のまま、友は逝ってしまった。
――ワタシガ、コロシタ。
「……!」
思わずもう無いはずの右目に刺すような痛みを感じて、顔に手をやる。
そんな私の様子を見て、「バカですねえ」と高松は呟いた。
「いっそ忘れてしまおうとは思わないんですね、あなたは」
「絶対に、忘れない」
奥歯を噛みしめて虚空を睨みつける。
「私はあの頃、どんなに強くなってもマジック兄さんにはかなわない、
どんなに学んでもルーザー兄さんにはかなわない、そう思っていた。
だから士官学校内で一番になることにも、そんなに執着はなかったんだ」
残された左目が熱くなる。でも涙は出ない。
「今は違うんですか?」
感情を伴わない友の声は、あくまで静かだった。
「違わない。だが、おまえと同じように、私にもするべきことができた」
言葉を絞り出してから、目を閉じ気持ちを落ち着かせようとする。
額に汗をかいているのが分かった。そしてそれがすうっと蒸発していく感覚。
風を感じて視線をあげると、高松がわざわざブラインドを上げて、窓を開けてくれていた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
彼は胸ポケットから煙草を出して火を付ける。
窓の外からは子供の笑い声がした。シンタローかグンマか。
高松は余人には決して見せることのない微笑みを浮かべて外を眺めている。
その顔を見ながら、再度思う。
――私にもするべきことができた。
形にならないまま胸の中で渦を巻いていた思いが、今ゆっくりと一つにまとまり始める。
生きなくてはならないから。そして、私達はただ無為に時を過ごすには若すぎるから。
何かをしよう。そう、今からでも運命は変えられるのか。
私達はとんでもないことをしてしまったけれど、
あの子達を見ていると同じ過ちを繰り返さないで欲しいと切実に願う。
そのために、この私に出来ることがあるのならば。
椅子から立ち上がって友の側に歩み寄った。外には光が溢れている。
「まぶしかったあの頃、だね……」
私は一つだけ残った目を細めて呟いた。
2004.5.6
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