初めて見たとき、なんて美しい人なんだろうと思った。
高松はその瞬間、恋に落ちた。
いや、それを恋と言うべきなのだろうか。
あの心の奥底からわき上がってきた直観を、恋などという言葉で表していいのだろうか。
いわばそれは、方程式を解き明かしてもっともシンプルな形を見いだしたときの、ときめきに似ていた。
物理法則を計算して、それが何度繰り返しても同じ値を示すことを確認するときの、満足感に似ていた。
自分の中の着想を言葉にして、一つ一つ解き明かしていき、最後に結論を提示する時の恍惚にも似ていた。
つまり高松は真理を見つけたのだった。
彼にとっての真理。その名前はルーザー。
けれども名前に意味はなく、その人の美しいまなざしすら本質ではなく、その声もその指先も、いわば欠片。
彼はかの人の全てを愛していたが、それよりももっと愛していたのは、その人の存在そのものだった。
誰もその人のようにはなれず、誰もその人のようには生きられない。
手が届かないゆえにあこがれた。望んでも手に入れられないために、切望した。
若き彼は望みに向かって果てしなく手を伸ばした。傷つくことを恐れずに。むしろ、傷つくことすら望んで。
けれどもその人は、その輝きのままに、生の向こう側へと消え去ってしまった。
最後まで美しく。まるで全てが幻であったかのように。
けれども高松は忘れない。彼は知っている。
その人が確かに存在したことを。その人の美しさを。その人のかけがえのなさを。
なぜなら、それは真理だから。彼にとっての宇宙の真理だったから。
彼を、ルーザーを、愛したこと。それだけは高松にとって、誇りだった。
その後の彼が人生の中でどのような渦中にあっても、ずっと胸を張って不敵に笑っていられたのは、
すべて、その人のおかげだった。
高松が生きた証。人を愛したこと。
彼の生は、たぶんその時に始まったのだと思う。
ルーザーと出会った、その時に。
2007.3.13
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