小さな君 後編


「ミツヤ? どうしたの?」
気がつくと、上着の袖をサービスが引いている。
どうやら椅子から降りて、こちらまで歩いて回ってきたらしい。
「大丈夫?」
覗き込んでくる瞳は、本当にミツヤの身を案じているようだった。……そうとしか見えなかった。
彼はただのいたいけな幼子だった。
「気分が悪そうだよ。執事を呼ぶ?」
うーんと困ったように眉根を寄せる。
「それとも、お水を汲んでこようか?」
本気で困っている様子だった。

さっき見たものは幻覚だったのだろうかとミツヤは思い、
とにかく落ち着かなければと自分に言い聞かせる。
「サービスは……」
「なあに?」
「サービスは……僕のことが嫌いかい?」
「嫌いじゃないよ」
言葉はきっぱりとしていた。気品を感じさせる、綺麗なクイーンズイングリッシュ。
「嫌いじゃないから、心配しているんだよ。こっちで休んだら? ミツヤ」

そうして彼の手を、窓際に置かれたソファのほうにいざなう。
なぜかそれには逆らえなかった。体から汗が吹き出すと同時に、疲れも吹き出していたからだろう。
補佐官としてのミツヤの仕事は多い。
その上さらに、この家の家族ともなり……マジックのための暗殺者もしている。
ミツヤはこの家らしい豪華なソファに横たわった。知らず知らずのうちにため息が漏れる。
自分はなんて無理をしているのだろうと……気づいてしまった。
でもこれはすべてマジックのためだから、彼を覇王にするためだから、
立ち上がらなくてはいけないのに、力が出ない。……悔しい。
それをまた、こんな小さな子供に指摘されてしまったことが。

「ミツヤ」
ひんやりとした小さな手が額に置かれた。
「無理しちゃダメだよ」
「子供がそんなこと言うもんじゃない」
少しきつく言ってしまう。ああ、まずいなと心では思っていた。
チャンスなのに、これはチャンスなのに。この末っ子の心を捉える……。
「ごめんなさい」
静かな声が振ってきて、ミツヤは目を開いた。
あの表情のない湖のような瞳が自分を見つめていた。

「あのね……ミツヤ……」
そこには……悲しみがあった。ああ、これだったのかと、ミツヤは気づいた。
幼くして父をなくした兄弟。長兄は総帥となり戦いの渦中へ身を投じた。次兄は士官学校に通っている。
この子は、この末子はさびしかったのだと、ようやく一番大切なことに気がついた。
「僕はミツヤがうちに来てくれて嬉しいよ。でも……」
サービスは懸命に言葉を捜している様子だった。
「あまり、無理はしないでね」
それは子供らしくない言葉だったかもしれない。
だけど、その言葉はミツヤの胸にすとんと落ちた。
優しい子だとそう思った。僕は、こんな子すら利用しようとしているのかと、ミツヤは考えた。
……今の自分が思ってはいけないことを、思ってしまったと、心では分かっていたけれど。
でもそれは、癒しだった。
疲れているミツヤにとっては癒しだった。

「ミツヤ」
サービスの声がする。天使の鈴のようなやわらかくて優しい音。
でも危険な小さなクイーン。
「僕は、ミツヤのことは嫌いじゃないよ……」
それを聞きながら、ミツヤの意識は落ちていった。

……それだけのことだった。
次の日、目が覚めたときは驚くほど気分はよかったけれども。
相変わらずサービスは捉えどころがない少年で、昨日のことはまるで夢だったのかと思うほどだった。
でも、たしかに二人の間には何かが芽生え始めていて……。

だけど、もう止まることも出来ずに……。
ミツヤはいざなう。ルーザーを、演習場へと。総帥マジックが兵士たちと対峙している場へと。

屋敷を出るとき、視線を感じた。
扉の影から、サービスが見ていた。

「行って来るよ、サービス」
ルーザーは微笑んで、ごく自然に弟の頬にキスをした。
――大丈夫だ、きっと計画は上手くいく。
ミツヤはなぜかそう直感した。

けれども。――瞳がこちらを見ていた。感情をたたえた湖のような、大きな瞳が。
「気をつけてね。ミツヤ」
それだけを言って、サービスは身をひるがえす。
そのことは……妙に心に残った。気をつける……何に、気をつけるんだろうと考えた。
ミツヤは――僕は。

青の光がせまっていた。
すべてを許さぬ青の輝き。一族だけが持つ破壊の力。
それに焼かれながら……ミツヤは、分からなかった。

僕は……何に気をつけるべきだったんだろう。
僕は……何を、間違えたんだろうか。

小さな、クイーン。


2007.1.14

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