おとぎ話のその後で


「なあ、俺たち三人ってずっと一緒だよな」
――そんなことを言ったのは誰だったか。

遠い遠い昔のことだ。まだ自分たちが世界のなんたるかも知らず、穏やかな楽園の中にいた頃。
ガンマ団の士官学校で共に学び、競い合っていた頃。
もっとも、実のところ考えなくても分かっている。そういうバカなことをいう男は、決まっている。
ジャンだ。

サービスならこう言っただろう。「ずっと一緒にいられるといいね」
自分――高松ならこうだ。「ずっと一緒にいてあげてもいいですよ」 ……そんなこと、言うはずもないが。
しかし口には出さなくても、それくらいのことは思っていたのだ。あの頃は。

遠い遠い、昔のことだ。

「永遠? 何バカなこと言ってんですかアンタは」
「え、だって不可能なことじゃないだろ?」
ジャンはキョトンとした顔でそう聞き返した。あれはまだ、最初にパプワ島から帰って間もない頃。
ひょっこり戻ってきたジャンが、サービスにプロポーズ――だろう、あれは――をし、共に暮らし始めた頃。

むかつくことに意外にも白衣が似合ったあの男は、
早速高松の周りにいりびたって、訳の分からない研究を始めた。
もっともガンマ団などという組織は、訳の分かる研究をしている人間の方が少ないという、希少な、
いやまったく貴重な組織だったので、誰もそのことを気にしなかったのだが。
永遠を手に入れるんだとか子供のように顔を輝かせて言っている科学者がいても、
誰も気にも止めなかったのだ。……あれはあれで、一つの奇跡のような場所だった。
科学者にとっては、間違いなく楽園だった。

「だってさ、俺は実際に永遠に近い年月を生きてきたんだし。これからも生きる予定だったんだし」
「アンタはそれを放棄したんでしょうが」
「だけどさー」
ぷうと顔をふくらませる。
その癖、子供っぽいから止めなさい、アンタ何歳だと思って居るんですかと聞くと、
あっさり「忘れた」などと言われてしまった。
「とにかくさ、一回手に入れたものなんだから、もう一回手に入れるのは不可能じゃないだろ」
そういってニコッと笑う。ジャンにしか持ち得ない脳天気な笑顔で。
「……どうでしょうねえ」
高松はそうとしか答えられなかった。我ながら、なんともつまらない答えだと思いつつ。

楽観、脳天気、それは科学者として決して悪い素質ではない。むしろ必要不可欠のものと言える。
研究において挫折は付きものだ。
それでもなお前に進めるだけの強さを持つ者にのみ、真理への扉は開かれる。
――イヤですねえ。
と思った。ジャンがこれほど素質に恵まれているとは。
生来、創造主によって与えられた知識、頭脳、肉体、その上にこの楽観性まで加わるとなると……。
あるいは案外、永遠にも手が届くかもしれないと思った、思ってしまった。

そしてそれは――自分にとっても魅力的な話だったのだ。
永遠――その可能性を拒める科学者がいるだろうか。
特に自分のような遺伝子学、生物学を修めているものにとっては。
生物は生まれては死んでいく。では死なない生物は……? それは素朴で、だからこそ究極の問いだ。
もっとも、自分が実際に永遠を生きたいかと言われると、また別の話なのだが。

ともあれ、「やってみればいいんじゃないですかね」とは言った。
そのための研究費も設備も工面してやった。
ジャンが時々どこかにふらりと出かけては、持ち帰ってくる「標本」の分類にも手を貸した。
そうしながら、その研究については常に目を光らせていた。
時々は、手伝ってもやった。……つまりは共犯者でもあった。
ただ高松は言わなかったことがある。「果たして彼はそれを望みますかね?」。

どうして言わなかったのか……。ジャンが永遠への探求を諦めてしまうことがイヤだったのだ。
それだけだ。それ以上の理由はない。
自分は友情だの友人たちへの愛情だのより、科学者としての本能を優先した。
……それだけだ。

今はもう、楽園などどこにもない。

汚染された地球、宇宙に散らばっていった開拓者達。
開拓とは名ばかりで、実際には置き去り、あるいは追放。
残ったものは生存者たちの醜い争いと、惑星間での戦争と、一部の特権階級たちの勝手なゲーム。
自分はもちろん、一番最後の組に。……そして、あの男も。

いや、あの男――ジャンこそが、このすべての元凶。――マスターJ。
そこまで達したことは、素直に賞賛に値する。永遠を求めた科学者――永遠を手に入れた科学者。
幸せな幸せな、おとぎ話の王子様。そして二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました
……とは、いかなかったのだが。

「ねえ、ジャン」
「なんだ。用件なら手短に済ませろ」
スクリーン越しの会話。直通のプライベートコード。今ではそれだけが、二人がかつて友人であった証。
「永遠ってなんでしょうね」
「人々の夢だ」
「あなたの子供達は永遠に生きるんでしょうか」
「もちろん」
「それって、幸せなことなんですかね」
「当たり前だろう」
ためらいもなくうなずくその視線に迷いはなく、口元に笑みはない。
あのかつての脳天気な笑顔はどこにもなく、タイを結べるようになった青年は、永遠を知った。
そして同時に失うことも知った。記憶の消去。それも繰り返し繰り返し。飽きることなく。
飽きることなどできもせず。

「じゃあ、あなたのお姫様はどうして"いない"んでしょうね」
「いない……?」
いぶかしむ声。なんだそれはと無言で訴えてくる。
「どうしてあなたは失ってしまったんでしょうね」
「何をだ?」
「おや、分かりませんか?」
「くだらん会話なら切るぞ」
「いえ、これは必要なテストなんです」
「何のだ?」
「あなたと私とが、今でも正常かどうかを試す」
「そんなこと、試す必要すらない」
言葉を重ねるごとに思う。彼はどこへ行ったのかと。
彼は――かつてジャンと呼ばれた青年は、
タイすらまともに結べなかった青年は――どこへ、行ってしまったのだろうか。
……こんなはずではなかったのに。

「まあ、いいでしょう。……ジャン」
「時間の無駄だったな、高松」
「……我々には永遠の時間があるんですよ。無駄なんて一つもありません」
「いや、オマエの存在は無駄だ」
「はいはい」
「今度こそ、排除する」
マスターJはこちらを睨みつける。それが彼の本気を物語る。
高松は笑みを浮かべた。凄惨な微笑みを。
「やってごらんなさいな。"誰か"と同じように。私も消してみせなさいよ」

ガッと画面の向こうで、ジャンは椅子を蹴って立ち上がる。
なぜ自分がそれをするのかも分からないままに。ただどうしようもない怒りが彼を突き動かし、
その衝動は彼の中に蓄えられた記憶の痕跡に触れ、それを揺り動かし、呼び覚まし……。
「あ、あ……」
マスターJは頭を抑える。
その姿を高松は頬杖をつきながら、興味深く見守った。
"消す"ということが一番難しい。どうしても何か痕跡が残ってしまう。脳細胞をいかにいじっても。
これもまた、一つの実験だ。
それが確認できれば、まあいい。
「さようなら、ジャン。ではまた、マスターJ」
そう言って通信を切断した。どうせ相手はもう、まともに話せる状態ではなかったので。

そうして椅子をくるりと回転させながら考える。自分たちは結局、飽いてしまった。永遠に。
そしてジャンはもう一度、一から新しく創りなおそうとし、高松は今度は「無」に執着している。
永遠を手に入れたら、今度は終わりが見たくなった。
それもまた、科学者としてはごく自然な成り行きだろう。
有限、無限、その先にあるもの。生きること、死ぬこと、永遠を手にすること。
すべてを手に入れてもなお、欲望は限りない。だから自分は科学者なのだ……今でも。
ただもう楽園ではないけれど。あるのは人間の欲望だけ。限りない人間の欲望だけ。

マスターJは、あれは……なんだろう。
――マスター、ですか。アナタ、人に自分を主って呼ばせるような人でしたっけ?
分からない。長く生きすぎたからかもしれない。

しかし……ただどうしても……こんなはずではなかったと思うのだ。
そのようなこと……とても自分らしくないと、分かってはいるのだが……。
ただこれを忘れてしまうと……消してしまうと……それこそ、自分もあのようになってしまう……。
あの男のように……。

「執着、なんですかね」
止めどない思考を振り切るかのように、言葉に出してみた。
「どうして記憶の痕跡は消去できないんでしょうか」
だから自分は暗黒物質を作ったのかもしれない。それは宇宙を無に還すものであると同時に、
記憶も無に還すものだった。だからこそ脳に投与した。
そうすれば彼も忘れられるかもしれないと……それが救いなのかもしれないと……。
つまりは、――私が消してあげますよ。と。アナタの苦しみも、その存在も。宇宙ごと。

ただ一つ確かなことは、高松は決して自分自身には、暗黒物質を投与しないということだ。
――当たり前じゃないですか。
高松は科学者、観察する側であって、実験対象ではない。
――私はいたってマトモですよ。
そう思いながらも分かっている。たぶん、自分も狂っている。永遠の前に。永遠の中に。
そして永遠の後に。

やはり人は永遠には耐えられなかったのだ。それは素直に認めよう。
ジャンがあの時……サービスのために永遠を手に入れると言った時、
高松も確かにそれには興味があった。
でもそれ以上に興味があったのは、「永遠に生きると人間はどうなるのか」ということだった。
おとぎ話はこうして終わる。「そして二人はいつまでもいつまでも幸せに暮らしました」と。
そんな馬鹿げた夢……でもだからこそ、知りたかった。
私たちは……そう、一人ではなく、複数ならば……永遠に、永遠を、生きられるのだろうかと。

「なあ、俺たち三人ってずっと一緒だよな」
そう言った青年は、もうどこにもいない。彼はもう、忘れてしまった。
「ずっと一緒にいてあげてもいいですよ」 
自分はまだ、こう思っているのだけれど。

楽園を喪い、おとぎ話は終わってしまった、その後でも。

「ずっと一緒にいられるといいね」
……結局一番正しかったのは、そう言った彼だったのかもしれない。


2007.2.8

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