「今度の苗はちょっと離れた場所に植えて下さい」
あらかた植え終わったところで、ルーザーは今までのものとは様子が違う苗を取り出してきた。
草の苗ではなく、木の苗木で、それもそこそこに成長している。
「……今度はどういう毒があるんだ?」
「毒なんてありませんよ。ただの白木蓮です」
「木蓮?」
「ほら、裏の池のほとりにも、何本か植わっているでしょう。春に白い花をつける」
「あ、ああ」
ルーザーのいう木のことを思い出し、それからマジックは真っ当な疑問を口にした。
「どうしてそれを今更ここに植えるんだ?」
「サービスが好きなんです。僕が育てた木に咲いた花を、髪に飾ったら素敵だろうなと思って」
「……」
けろりとした口調でそんなことを言われても、反応に困る。
マジックが固まっているうちに、ルーザーはもう一本の木を取りだした。
「こちらも植えて下さい。どっちも大きく育つから、ある程度離して、あ、そのあたりがいいかな」
「……今度はなんだ」
木蓮だけじゃ足りないつもりなんだろうかと、背中を冷たい汗が落ちる。
いい加減、断固とした態度を取るべきかもしれないと糸が切れかけたところで、
ルーザーの返事が聞こえた来た。
「柊です。尖った葉の形がハーレムの髪の毛みたいでしょう」
予想外の返事にしばし固まってしまった。
「……うん、ああ、なるほど」
どこか安心する。彼が双子の兄のほうを忘れていなかったことに。
「兄さんは、僕がハーレムのことを嫌いだと思っているんでしょう」
心の中を見透かしたように、ルーザーは言った。
「嫌いじゃないのか」
まず木蓮のほうを植えながら、振り返らずにマジックは問う。ただ言葉に真剣さだけを乗せて。
ハーレムのためという以上にルーザーのために、彼には弟を愛して欲しかった。
「好きじゃあないですよ。彼は乱暴で感情的で理性がないから。でも、興味はあります」
「興味ね……」
「どうして彼はあんなに乱暴なんだろう、感情だけで動くんだろう、考えってものがないんだろう、
面白い観察対象だと思っていますよ」
くつくつと笑う声がした。本当に楽しそうだ。
マジックには分からない。そういう興味の持ち方がいいことなのか、分からない。
ただ一つ言えることは、ルーザーにとって興味を持つということは、紛れもない好意だ。
彼は興味がないことには本当に興味がなくて、そして興味がないことには本当に残酷に
……全てを捨ててしまうことができるのだから。
次に柊のための穴を掘り始めた兄を見て、ルーザーは口を開いた。
「この柊は魔よけの木だそうです。冬になると赤い実をつける。
今度ハーレムが悪さをしたら、この枝で尻をぶってやりますよ」
そう語るルーザーは本当に楽しそうで、多分、彼なりにハーレムを愛しているのだろうと思う。
それでもマジックは言わずにはいられない。
「もっと普通に愛せないのか。弟を」
「普通ってなんですか、兄さん」
「普通は普通だろ。抱きしめたり、面倒を見たり……」
「そんなの兄弟じゃなくでも出来るでしょう。使用人たちにだって出来る」
「それはそうかもしれないけどさ。使用人がすることと、家族がすることは、同じでも違うんだよ」
「ふうん」
まるで納得していない相づちをルーザーはうつ。彼には本当に理解できないのだろう。
柊の苗を土にさして、穴を埋めながらマジックは溜息をついた。
ルーザーには欠けたところがある。それは確かだ。
でも、欠落していて何が悪いのだろう。欠けていることがルーザーという人間であるならば、
丸ごとそれを愛してやるのが兄としての務めなんじゃないだろうかと、思った。
ずっとずっと意識してきた。幼い頃から。彼の天才ぶりに嫉妬もした。
だけど、それでも、こいつのことを分かってやれるのは、たぶん僕だけだから。
植えた柊の根本を、ぽんぽんと叩きながら整える。そうして考える。
――「もっと普通に愛せないのか。弟を」
さっき自分が言った言葉だ。でもそれは、自分自身にも返ってくる言葉ではなかったか。
立ち上がり、手に付いた土をぱんぱんと払ってから、ちょっと深呼吸をして勢いを付け、
マジックはくるりと振り返ってルーザーをしっかりと抱きしめた。
人に触れられることが嫌いな弟は反射的に身を引こうとしたが、逃げられないように
しっかりと掴まえる。ルーザーも、それ以上抵抗はしなかった。
そうして耳元でささやく。
「愛しているよ、ルーザー」
「な、な、何を言い出すんです、兄さんっ」
珍しく弟が動揺している。
マジックは笑った。心の傷がふさがっていくようだった。自分たちはなんてちっぽけなことで
意地を張り合っていたのだろう。大切なのは、たった一つのことだけだったのに。
「僕はおまえを愛している。おまえがどんなやつでも、天才でもなんでも構わない。
僕はルーザーという人間が好きだ」
「……」
返答はなかった。ただ腕の中にある体は一切の抵抗をせず、体重を兄にあずけていた。
その重みをマジックは心地よく感じる。自分が愛し、守るべきものは今この手の中にある。
それだけで彼は幸せだった。
「ルーザー…?」
しかしあまりに反応がないので、心配になって少しだけ体を離し、相手の顔を見ると
ルーザーは泣いているような笑っているような、不思議な表情で、
ただ普段の彼ならば絶対に見せない表情で、顔全体を歪めて微笑んでいた。
「……兄さん」
呟く声は弱々しく、消えてしまいそうにはかない。
「泣くなよ」
「泣いてなんかいませんよ」
「……泣くなよ、ルーザー」
――それがおまえの選んだ生き方だろ。天才ルーザー。
マジックは再び弟の体を強く抱きしめて、その唇にキスをした。
――僕はずっとおまえが羨ましかった。だから気が付かなかったんだな、
おまえがこんなに苦しんでいたことに。
それを言葉にすることは出来なかったので、かわりにキスをした。
唇にしたのは、頬ではこの気持ちが伝わらないと思ったから。
――愛しているよ。僕がおまえを守ってやる。この世界のすべてから。
ルーザーは抵抗しなかった。彼もまた瞳を閉じて、兄のキスをただ静かに受け入れていた。
唇が離れる瞬間にだけ、ルーザーはかすかに目を開けて寂しそうに微笑んだ。
それでマジックも、自分の気持ちが相手に伝わったことを確信することが出来た。
「さあ、作業を続けるか!」
気恥ずかしさを押し隠すようにくるりと背を向けて地面にしゃがみ込み、
わざとオーバーな身振りで次の苗を寄越すようにルーザーに向かって手を出したが、
次の苗は来なかった。
「これでもう終わりですよ、兄さん」
静かに言うルーザーの声はいつもとまったく変わりなく、愚かな兄に呆れているようにも聞こえる。
「……え、あ、そうなのか?」
マジックは照れ隠しに笑ってみせた。
「そうです。これでお終いです」
言う声は抑揚がなく、顔には表情がない。
それでもルーザーがこの状況を楽しんでいることを、マジックは分かっていた。
だから彼は幸せだった。
「じゃあ、帰るか」
「はい」
立ち上がる。未だ植えられたばかりの、小さな植物園を見まわして満足する。
悪くないなと思った。いかにもルーザーらしい、植えている種類は滅茶苦茶なくせに
全体としては規律正しい小さな庭。
毒草だのなんだのと怪しげな苗が並ぶ、その一番奥に並んで立つ二本の苗木。
白木蓮と柊のまだ小さな枝を見ながら、飽きっぽいルーザーではあるけれど、
今度の趣味は意外と長く続くかもしれないなと思った。
少なくともルーザーは、木蓮が白い花をつけ、柊が赤い実を付けるまで
この庭を壊したりはしないだろう。
◆
けれど、その予想は裏切られる。
それからわずかに1年の後、父は死に、庭は急速に荒れ果てた。
ルーザーはもはや植物を育てようとはしなかった。
彼はもっと純粋な研究に没頭するようになり、一から植物を育てるのではなく
それを精製した薬品だけを扱うようになる。
彼の手はますます白く、太陽の光を受け付けなくなった。
そんな弟を見かねて、ある日マジックはルーザーを庭に連れ出したのだった。
彼はもう忘れてしまったかもしれない、あの庭の残骸へと。
「ルーザー」
マジックは弟に呼びかける。
「なあ、僕はおまえに手伝って欲しいんだ」
あの時一緒に、庭を造ったように。今度は。
「世界を手に入れるんだ」
本気だった。絶対に絶対に、本気だった。
「僕は、世界を手に入れる」
――そうしておまえを守ってやる。この世界のすべてから。
ルーザーは、しばらくの間考え込んだ。その横顔は美しく、強いて言えば神に似ていた。
神に似た人、それを天才という。
「わかりました。兄さん」
彼は答えた。弟はもうほとんど笑わなくなっていたけれど、マジックには見えていた。
ガラスのように儚くて脆い、美しいルーザーの微笑みが。
自分が守るべきもののかたちが。
◆
……だけど、それもまた、壊れてしまう。
それはわずかに十数年の後。あるいは、十数年という長き時間の後。
「どうして? どうして?」
片目を失い傷ついたサービスを抱きしめる白い手。それが真紅の血に染まっていることを、
マジックには見えていた。ハーレムにも見えていただろう。
ジャンを殺した白い手。赤い血。もう落とせない。汚れは決して消せない。
だからルーザーは旅立ってしまった。汚れを消すために――自分ごと――汚れを消すために。
――私は守れなかったのだろうか。
マジックは自問する。
しかし答えは出ない。
ただ弟は旅立ってしまった。永遠に手の届かない場所へ。
――手を汚すべきは私だった。
マジックは苦悩する。
今度は間に合わなかったのだ。弟を追いかけることが、間に合わなかった。
ジャンを殺すのは、あの時と同じように自分こそがすべきだったのに。
だが、それももう過ぎたことだ。
たった一つ確かなことは――あの白い手を、誰も汚してはならなかったということ。
土に汚れた白い手。
それを不快だと感じたあの時の直感は、決して間違ってはいなかったのだが……。
2005.10.2
このSSは「ABOUTER☆831」のK♪様に差し上げました。
光に満ちた絵と、溢れてくるような愛のある語りを思い浮かべながら……この拙い作品を捧げます。
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