思い出すのはいつだって笑顔だ。
キラキラと光を乱反射して輝きながら、金糸のごとき髪が風に舞い散る。
片方はそのまま何もない空間にたなびき、
もう片方は顔にかかるものの、彼は気にした風もなく、ただかすかに頭をそらす。
それだけで彼の髪は、まつげや鼻や唇や頬骨といった、顔の表面にあるかすかな凹凸に
一瞬だけ引っかかり――というよりは撫でるように絡まってほどけて、舞い上がり
キラキラと輝きながら、他の髪と一緒になって風にたなびいていく。
もう、彼の表情を邪魔するものは何もない。
そしてサービスは微笑む。
切れ長の目が細められ優美な曲線を形作る。紅を引いたわけでもないのに朱い唇が
ほんのかすかに形を変えるだけで、そこにえもいわれぬ幸せの形が現れる。
白皙の頬すら、わずかに赤みがかっているような気がした。
……いやそれは夕陽のせいか。金色の世界の中に、すこしだけの赤。
奇跡だと思う。いつだって奇跡だと。
どうしてそんなに美しいのだろう。彼はあんなにもずるくて弱くて残酷な奴だったのに。
でもだからこそ美しかった。彼は紛れもなく人で、人そのもので、……自分じゃなかった。
違うから惹かれた。自分にはないものだったから、好きになった。知りたかった。欲しかった。
全てが、そう全てを、知って、自分のものにしたかった。
叶わないことだとは分かっていた。だからこそ、どこまでも追いかけた。
追っかけたって手に入らないなら、追いかけなかったら尚更遠ざかるばかりだろうと。
好きで好きで本当に好きで、ずっとずっと一緒に居たくて。
叶わなくても、思い続ければ思い続ける限りは、近づいていくことができるような気がして。
たとえどんなに近づいても、永遠に交わることはないとしても。
「……!」
マスターJは額を抑えた。酷い頭痛がする。思い出の中に入り込みすぎた。
意識が浸食される。思考が停止していく。
いや、停止せずにはいられないのだ。思考だけでなく全てが。
手の動きは酷く緩慢で、周りの世界はぶれながらゆっくりと回転し続けていた。
そこで彼の頭の中にあらかじめ仕掛けられた安全装置が作動する。
――リセットリセットリセット。
だが、あまりに強い想いはそれでも消し去りきれなくて、
彼は切り刻まれた時空間の中に一時、放り出された。
溺れるものが藁を掴むように、ジャンは考える。
「あの時、俺は何をしていたんだろう?」
あれはそう、帰ってきた後のことだった。
記憶の中のあいつはもはや若者ではなく、人生の晩秋の中にいた。
それでも彼は美しかった。春の日差しのような笑みも、秋の太陽のような冷たく乾いた暖かさも、
彼の中には全てがあった。冬もあった。夏は、知らない間に過ぎていた。
知らない間に……。死んでいる間に……。
「ああ……」
息を吐く。身体が痛い。きしみをあげている。
思い出す。あの青く輝く目に切り刻まれた時の事を。
まず一度、それからもう一度。彼は二度切り刻まれた。
最初はそう、痛くて、でもそれは身体ではなく心の痛みで、それでも、そう、分かっていた。
いつかこうなるであろうことは。心配だったのは相手のことで、彼自身はむしろ幸せだった。
逆よりはずっといいと、異能の力によって吹き飛び、血を流しながら感じていた。
彼が俺を切り刻まないなら、俺が彼をいつか切り刻むのだろうから。身体でないとすれば心を。
それよりはずっといいと、心のどこかで安堵していた。許しであるとすら、感じていた。
計算違いだったのは二度目の痛みで、それはもっとずっと唐突で、容赦のない消滅だった。
彼の兄によってもたらされた、瞬間の死。
それにより二人は25年間に渡って引き離され、その間にサービスの夏は過ぎていった。
守れなかったのだ。
次に出会った時、彼は相変わらず美しかったけれど、確実に何かを失ってもいた。
同様に、ジャンも何かを失っていた。
例えばその暗く陰った夏の間、ずっとサービスの傍らにいたもう一人の親友……だった男。
昏い宇宙の中で、黒い瞳が笑っている。
「……!」
危険度A、抹殺セヨ。これだけは消し去らなくてはならない。
――リセットリセットリセット。
今度の消去はうまく働いた。
少し時間が巻き戻されて、ジャンの意識は浮上する。
夕日の中で、サービスは相変わらず微笑んでいた。
あの時自分も死んでいればよかったのだと、彼は25年の間、ずっと悔やみ続けたという。
「そしてようやく解放されたよ」と、そう、それで彼は笑ったのだ。
笑って笑って、そうして置いていってしまった。次に置いて行かれたのはジャンの方だった。
じゃあ自分はいつになったら解放されるのか。
「教えてくれ」
マスターJは目を見開き、真っ白な壁に向かって問いかけた。言葉は空間に吸い込まれていく。
答えなどどこにもなくて、この時空間の中には存在しなくて、ただ涙が一筋だけこぼれて。
――リセットリセットリセット。
頭脳は度重なる急激な負荷に耐えきれず、一時的なシャットダウンを選択する。
闇に落ち全てを忘れゆく過程の中で、それでもなお彼は一つだけ呟いた。
「あいつは本当にずるい奴だったよ」
――リセットリセットリセット。
人ならざる機械に囲まれて、マスターJは夢のない眠りに堕ちていく。
意識は切り刻まれながらもなお失われた輝きに向けて愛の詩を歌う。
それは救いでもあり痛みでもあり、かつて異能の力に血を流した時の再現でもあった。
切り刻まれた時間軸。不連続な思考、それはもはや論理を留めない。
再構築不可能なまでに分解された「今」は経験として蓄積されず、
よって過ぎ去った時間は過去とはならず、それを足がかりに未来へと進むこともない。
ただ一つ彼が回帰する場所は、チャンネル5計画を実行すること。
もはやそれが何を目指していたのか、目指しているのか、分からなくなっていても。
愛しい者に壊されたあの時、彼は確かに幸せだったから。
それが許しであるのなら、何度だって切り刻んで欲しいから。
2004.7.3
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