間違った選択 後編


「どうぞ」
サービスは答える。彼らしい優雅さで、ちょっと芝居がかった仕草で。
「いざとなったら……逃げよう」
「ははっ」
金髪の彼は朗らかに笑った。軍隊においての禁句をあっさり口にした親友を、たしなめるでもなく、
非難するでもなく、ただ受け入れてその上で笑った。
「まったくおまえらしいよ」
クスクスと笑いの発作に取り憑かれたように、サービスは笑い続ける。
心の底からの楽しげな笑顔で。

「なんだよー、俺は本気だぜ」
だからジャンは言いつのる。わざと、わざとらしく。でも本気で。
逃げて逃げて、どこまでも逃げて、あの楽園の島に二人で行くことが出来たら……。
頭のどこかにはそんな考えもあった。切ない考えが。
「分かっているよ。おまえはいつだって、そうだから」
サービスは笑う。嬉しそうに。……どうして嬉しいのか、ジャンには分からない。ただ胸が痛くなる。
「じゃあ一緒に逃げてくれるか?」
「それが必要な時はね」
本気の言葉は、あっさりとかわされた。サービスはきっと、最後まで逃げない。
不利になったら真っ先に逃げるなんてことは、絶対にしない。
でもだからこそジャンは、彼を守らなければと思っているのだった。

心はこうして、いつも微妙にすれ違う。だからこそ、手を伸ばす。
「うん、でも、それも悪くないかもね」
「何が?」
「逃げようと思いながら、戦うこと。私にはそれくらいがちょうどいいのかもしれない」
「そうだろ!?」
勢い込んで肯定する。そんな自分は道化でも、構わなかった。
サービスが無事に明日を生き延びてくれるなら。明日も明後日も、ずっと。
「うん。本当におまえがいてくれると助かるよ、ジャン」
そうしてまた、思い出したかのようにサービスは笑う。美しい、切ない、思わず手を伸ばしそうになる。
……失いたくない。もう二度と。

「笑っているせいで、作業が進まないな」
照れたように言いながら、サービスはあらためてジャンの銃を手に取った。
丁寧に優しく磨いていく。まるでそれがジャンそのものであるかのように。
さっき自分の銃を磨いていた時よりも、そのまなざしはずっと真剣で優しかった。
ジャンはその横顔をただ見つめ続ける。切なさに苛まれながら。裏切りの呵責を覚えながら。
だからせめて守りたいと、そう願いながら。

「ねえ、ジャン」
彼の銃の手入れを終え、組み立てなおしたところでサービスはぽつりと言った。
「なんだ?」
ジャンは尋ねる、真剣なまなざしで。
「……実は私も怖いんだよ」
サービスは微笑んだ。優しく、壊れそうな切ない笑みで。
「だからおまえは、本当に危なくなったら逃げ……」
「言うな」
それ以上は、言って欲しくなかった。サービスもまた怖くて、でもその怖さは自分が死ぬことではなくて、
相手が死ぬことなのだと、この短いやり取りで分かってしまったから。
……自分がこんなにも深く愛されていることを知って、それでもなお……自らの裏切りを知るから。

「俺はずっとおまえの側にいるよ」
ジャンは両手をサービスの頬に伸ばした。
「絶対に守るから」
そう言って、そっと顔を近づけていく。唇にキスをする。軽く、しかし万感の思いを込めて。
「な?」
顔を離してぱっと笑う。
「……バカ」
そう言いながら、頬を赤らめてサービスも微笑んだ。

案の定、戦いは負け戦だった。それも、想像以上の。
彼らに出来ることなど何もなく、ただ逃げることで精一杯で、気がつけば二人っきり。
他の仲間がどうなったかなど考えたくもないくらいに、酷いものを見た。これが戦場なのかと。

二人ともが怪我をしていないことは、奇跡に近かったが、助けは当分やってこない。
岩陰に隠れながら、彼らは困ったように顔を見合わせる。
いつだって現実は、想像を超えていくのだと無力感に苛まれながら。
だからこその、やけっぱちな明るさをにじませて。
これでお互いがいなければ、本当にどうしようもなかっただろう。
だが少なくとも、まだ大切なものは側にある、ジャンにとってはそれが重要だった。

彼らは会話を交わす。わざと明るく。お互いを支え合うかのように。
ジャンは追い詰められた挙げ句に、自分の心がいつもの明るさを取り戻していることを感じていたし、
サービスもまた、いかにも彼らしい静けさをただよわせて戦場を眺めていた。
――まだ大丈夫だ。
ジャンはそう信じていた。そう、信じたかっただけなのかもしれないが。

しかし敵兵が現れる。ジャンは、昨日の言葉とは裏腹に、自分が真っ先に敵の前に立った。
自分の身ならなんとでも守れると過信していたし、それ以上にサービスを守りたかったから。
だがそのサービスの背後にも敵が現れる。
――しまった。
そう思った。力を使うべきだろうかと。

けれども、何故かジャンはためらってしまって……。
なぜなのか、力の使い方を忘れてしまったかのように……。
恋したから。敵に恋してしまったから……。

青の力が辺りをなぎ倒す。サービスはためらわなかった。
彼はジャンのように秘密を抱えていなかったし、彼もまた、強く相手を守りたいと願っていたから。
けれども……その力は暴走した。

――「……実は私も怖いんだよ」
吹き飛ばされながらも、サービスの言葉がジャンの頭に甦る。
――そうだ、あいつはいつだって臆病で弱いヤツだった。
――それを懸命に押さえつけているのがサービスってヤツで……。
神経質に銃を磨いていた姿。地面に叩きつけられ、頭を強く撃って一瞬意識が遠くなる。

ジャンはよろよろと身を起こす。体中が痛かったし、自分が大怪我をしていることは分かっていたが、
そのことは別に構わなかった。
中央で気を失っているサービスの姿が無傷であることだけが、大切だった。
まわりの敵兵の死体など、視界にも入らなかった。
青の力……破壊の力……。使わせるべきではなかった。自分にはそのための力があったのに、
どうして迷ってしまったのだろう。サービスを守ることよりも、自分の正体を守ることの方が
大切だったのだろうか。そんなこと、天秤にもかけられないのに。これが人のエゴなのだろうか……。
人……ヒト……、いつから自分は、人になどなってしまったのだろう。永遠を生きる赤の番人が。
頭の中にはいくつもの考えが明滅する。
……分からない。

ジャンはそれでも懸命に、サービスの身体に手を伸ばした。
守りたかった。守れなかった。けれども、どうしても……守りたい。まだ……。

ザッ。
その時、近づいてくる足音がした。
死神の足音が。ジャンにとっての死神の足音が。


2007.3.28

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