不慮の出来事 後編


「あ……」
慌てて身をかがめ、眼を手で拭う。そうしながら左の目は、話し相手に手を振って
こちらに向かってはずむような足取りで駆け上がってくる、ジャンの姿を見ていた。

ザッと土を蹴る音がして、その時にはもう黒髪の親友は目の前にいた。
「どうしたんだ? サービス」
ジャンは笑っている。どこまでも朗らかな笑顔で。目が合ってすぐに駆け寄ってきた割には、
彼はサービスの異変には気が付いていないようだった。
慌てて何度かまばたきをして、また一方で動揺している気持ちを必死で落ち着かせながら、
さっき高松が言った言葉を頭の片隅で思い出す。少し、その意味が分かった気がした。
ジャンの笑顔はなんだか不自然だ。この世界が楽しくて笑っているのではなく、
世界は楽しくあるべきだから笑っているような。だけど、その笑顔が愛おしかった。

「ジャン」
ささやくような呼びかけに対し、ジャンは耳を傾けようとして腰をかがめ、
そのままその場に膝を突いてかがみ込む。とても近い位置で、二人の視線は出会った。
「なんでしょう? トモダチ」
「彼らとどんな話をしていたんだい?」
「ああ、今朝鳥が巣を作っているのを見つけてさ……」
あまりに予想どおりの答えに、眼の痛みなど忘れて思わず笑ってしまう。

「なんだよー。サービスまで、俺のこと笑うわけ?」
彼は子供っぽく頬を膨らませた。
「いや、ゴメン。続きを聞かせて欲しい」
「もーいいよッ。俺だってたまには傷つくんだからなっ」
「そんなこと言わないで。聞きたいんだ。ジャン」
「やだねー」
懇願するサービスに対して、ジャンはそっぽを向く。
サービスは笑いながら、しかし心の奥では消しきれない必死さを抱えて、言葉を続けた。
「私は彼らとは違うから」

「……え?」
ジャンはきょとんとした顔をする。
サービスは自分が口にした言葉が信じられずに、思わず赤面した。
「あ、いや、だから……」
どもっている。自分らしくないと、なお慌ててしまう。
「違うんだ。そんな意味じゃない」
「? そんなことないさ」
ジャンは笑った。またあの朗らかさで。
「サービスはやつらとは違うよ。そりゃ、あいつらだっていい友達だけどさ」
言葉を切った彼は、少し真面目な顔になる。
そうしていると、いつもは子供のように笑っているジャンが、ひどく大人びて見えた。
「俺にとってはサービスの方が、ずっと大切だ」
黒い真摯な瞳が真っ直ぐにサービスを見つめていた。
サービスが抱え込んでいるいくつもの悩みを、吹き飛ばすような率直さで。
「そ、そう……」
耳まで赤くなるのを感じる。ジャンの言葉は嬉しかったし、素直に「ありがとう」と言いたかったが、
どうやって言えばいいのか分からなかった。また右の眼が少し痛くて、涙がこぼれそうになる。
誤魔化すように笑ってみたが、それでは足りない気がしていた。
口を開きかけるけれども、言葉は出ない。
ただ、距離が近づいて……。気が付いた時にはキスをしていた。

どちらが顔を近づけたのかすら、よく分からない。
サービスの方だったような気もするが、ジャンの頭が動かなかったとも思えない。
とにかく頭の中は真っ白になってしまった。
「っ!?」
触れ合っていた時間など、一秒もなかっただろう。それでも感触は鮮明に残った。
ジャンは何が起こったのか分からないという顔をしている。
サービスも実はそうだった。自分が今何をしたのか分からない。というより、分かりたくなかった。
これはまずいだろうと思う。何がまずいのか考える以前に、まずいだろうと。

自分でも驚く程のスピードで、意志の力を総動員して顔の表情を整え、深呼吸をした。
そうしてジャンの顔を確認すると、彼はまだ茫然自失の顔をしていたので、
安心すると同時に笑う。それは半分が作った笑いで、残りの半分は本心からのものだった。
「ジャン。どうしたんだ?」
「ど、どうしたもなにも……」
「なにも? 別に何もなかったじゃないか」
「え? ええッ!?」
大げさに驚いてくれるのが、却って有り難かった。
「彼らと何を話していたのか聞かせてくれないなら、もう行くよ」
「ちょ、ちょっと待てッ」
立ち上がって歩き出そうとすると、ジャンも足をもつれさせながら体を起こして付いてこようとする。
「待て、サービス! 今、確かに俺は何か……」
「話してくれるのかい?」
「は、は、話すって何を?」
「鳥の巣がどうとか」
「鳥!?」
ジャンの取り乱しようが、そしてこんな馬鹿馬鹿しい演技をしている自分が可笑しくて、
サービスはなおのこと笑った。
心の底では少し寂しかったけれど、それはもう慣れてしまった感覚だった。

「待ってくれ。何が起こったのか、少し考えさせてくれッ」
「何もしてないよ」
「嘘だ、い、今なにか、信じられない奇跡が……」
「何もないって」
いつだってサービスは表面に出すことと心の中がちぐはぐで、取り繕うことばかりがうまくて、
だけど今更変えることはできないのだと思う。それもこれも、向いていない人生を生きるためだ。
「鳥の巣ってどこにあったんだい、ジャン?」
「どこって……。あ、あれは、えーと……」
「どんな色の鳥だった? 種類は分かる?」
「色!? 色は確か茶色で、腹が白で……」
「じゃあヒバリかな」
サービスは天高く舞い上がりさえずる小鳥の姿を探して、空を見た。
足を止めると、横に並んだジャンも馬鹿正直に上を眺めてくれる。
そんな彼の存在が嬉しかった。たとえサービスにとってこの世界が楽しくないとしても、
世界は楽しくあるべきだと笑っているジャンが隣にいてくれれば、生きていける気がした。

「……。明日は晴れるかなあ」
しばらくの沈黙の後、ジャンが言う。もう追求は諦めたのか、彼なりに何か納得をしたのか。
口調はもう、先ほどのことなど忘れたかのように朗らかで明るい、いつものジャンだった。
それでいいのだと思う。高松には違和感があると評され、
サービスにもその意味は分かったけれども、ジャンはこれでいいのだと。
傲慢に、エゴイスティックに、彼はそう決めた。

それがつまり選択だった。
サービスはジャンを愛するという運命を、その日、空の下で選んだのだった。


2004.8.27

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