龍と虎が出会うとき 後編


「お正月明けだし」
「理由になってねーよ」
「鏡餅がわりっ」
「俺で遊ぶのも大概にしろーッ」
こいつは俺のことを、自分の所有物か何かだと思っているんじゃないかと、時々考える。
――え、違ったんですか。などと、山崎ならしれっと言いそうだ。
そう考えると、むかついてきた。
「おまえな……」
そろそろ本気を出すかと考える。剣先に力を集め、体内の気を練り上げる。
殺人剣。それが斎藤ハジメの剣だ。活人剣――そう呼ばれる、道場剣とは違う。
壬生の狂犬などと呼称されるが、幹部達は大抵どこかの道場の皆伝を持っている。
近藤は自らが道場主だし、土方も沖田もそこの門下だ。永倉はまた別の流派だが、やはり免許皆伝。
原田もあれで、槍の免状持ちだと聞いている。
心戦組――心で戦うものたち。その呼称は確かに間違ってはいない。
生き方がどうであろうとも、彼らはその剣に気後れするものなど、何一つ持っていないだろう。
……斎藤を除いて。

「俺は負けねーぜ」
そう呟く。――勝つか、負けるか。
先ほどの問いがいかに愚かであったか。永倉はそれを相手に決めさせることを許しはしないだろうし、
斎藤自身も決める気などなかった。勝たなくてもいい、だが決して負けない。
それが斎藤ハジメの生き方。彼に誇りというものがあるとすれば、それ。ただ一つ。
そして……。
「上等だよッ」
永倉シンパチ相手に、対等に向き合える資格があるとすれば、それだった。
彼――永倉は、どこかの国の真っ当な武士の家に生まれたという。
それが何故、心戦組に流れ着いたかといえば、一つにはその剣があまりに強かったから。
もう一つは、その剣があまりに……激しかったから。

打ち合う。木と木がぶつかり合い、気と気がお互いを削り合う。
「あははっ」
永倉は笑った。彼は激しい戦いになるほどに、笑う。追い詰められるほどに、微笑む。
彼――永倉シンパチは、そのような人間なのだ。たぶん、生まれながらに。
ゆえに彼の剣は活人剣――道場剣でありながら、その枠には収まりきれずに、飛び出した。
「ひゅうッ」
華麗に跳躍してみせる、その"龍飛剣"とも称される、剣の動きのように。
「おらっ」
――龍か。
斎藤はその剣を受け止める。その恵まれた体格にものを言わせて。
その、ひたすらに社会の底を這いずってきた、己の生き様に賭けて。
永倉が龍であるなら、斎藤は虎。彼が天空を飛翔する龍であるなら、己は地を這いずる虎でいい。
だが――。
「うりゃあッ」
跳躍すればかならず着地がある。その時こそ、永倉の剣は最大の威力を示すが、
同時にその時が彼を捕まえる好機でもある。――決して、負けない。

「はあッ」
気合いと気合いがぶつかり合い、お互いがはじき飛ばされた。
永倉は上に、斎藤は横に。だが――。
「うおッ」
片足に力を込める。無理矢理にでも、軸を作って体を立て直す。真っ直ぐに。
斎藤ハジメの剣はそうだから。
「えいっ」
永倉シンパチの剣が円を描くのとは対称的に。ただひたすら、直線の剣だから。
「うおおッ」
力は互角。――いや、違う。――本来ならば、斎藤が勝るはずだ。体格に優れている斎藤が。
なのに――そうならないのは――、永倉がそれだけ、優れているから。勝ちたい、から。
「はああッ」
彼らは三度、打ち合った。そして吹っ飛ばされた。お互いに。
その手にした剣が、めきめきと音を立てて裂けるのを感じながら。

いやそれは、剣――真剣ではなく、木刀だったから。
真剣ならばたぶん、どちらかが、いや、お互いが、血を吹き出さずにはいられなかっただろう。
腕の一本や二本は飛んでいてもおかしくない。

「……」
にらみ合う。お互い、その視線に殺気を込めて。
そして同時に、手にあった、木刀――の残骸を、放り投げた。
「……」
「……なにやってんだかな」
そう呟く。
「まったくだね」
永倉も答えた。しかしまだ、構えは解かない。

周囲の人垣ははるか遠く、その中に山南と山崎の姿もあることを、確認していた。
おそらく誰かが、お節介な誰かが呼んだのだろう。――止めてくれと。
愚かしいことだ。止められるはずなどないのに。二番隊組長と三番隊組長の自分たちを。
いかに副長・山南ケースケと、助勤・山崎ススムとはいえ、止められるはずなどないのに。
――頭の隅でそう考える自分は、かなり冷静になってきているなと思った。

「俺、何がしたかったんだろうな」
思わずそう呟いていた。
「ハジメちゃん……」
永倉は呆れたようにこちらを見ている。
殺気はあっさりと、どこかに飛んでいった。
「馬鹿だね、ハジメちゃん」
永倉はそう言って笑う。にっこりと、朗らかな笑みを浮かべる。
それは彼本来の、戦いの中で見せる笑みとはまた違った種類の微笑みで、だから、そう、
斎藤はそれが見たかったのだと、永倉のその笑顔が見たかったのだと――気がついた。

「ま、いっか」
ぽりぽりと頭をかく。そのことに気がついたから、まあいいかと。
コブの1つや2つ――3つはさすがに多い――作らせてやっても、これで謹慎処分になっても。
「なにがいいのさー」
そう言いながら、永倉が笑っているから、まあいいかと。
どうやら、溜まったストレスは解消されたらしい。

くるりと山崎と山南が背を向けるのを、視界の端に捉えた。――もういい、ということらしい。

「ははっ」
斎藤は笑った。そこに永倉が飛び込んでくる。三歩の間合いで。軽々と。
「相変わらず、強いね、ハジメちゃん」
屈託なく笑う。彼本来の笑顔で。
「オメーも、相変わらず、無茶苦茶だな、シンパチ」
それは斎藤なりの、最高の褒め言葉だった。もちろん、永倉はそのことを知っている。
型破りな男が型破りだと相手を評する、そのことの意味を。
自分たちは同類で、そして無二の親友なのだという、その意味を。

――勝つか、負けるか。
そんなことはどうでもいい。永倉のこの笑顔が見られるなら。
そしてそれが可能なのは、斎藤ハジメは勝たなくても負けなければそれでいい人間で、
永倉はたぶん、勝つとか負けるとかは、本来どうでもいい人間だからだろう。
ただ、戦うことが楽しいという――そういう、どうしようもない人間なのだ。お互いに。

天空を飛翔する龍と、地を這いずる虎でありながら。彼らは出会う。その天と地の狭間で。
その瞬間。その一瞬。それこそが無上の喜び。

「なあ、シンパチ」
「なあに、ハジメちゃん?」
「オマエって本当に強いよな」
「ハジメちゃんも強いよ!」
「まあな!」
「でも僕のほうが強いけどね!」
「あ!?」
なんだ、もう一戦やるかとこぶしを振り上げてみせる。永倉は頭をかかえて、朗らかに笑った。
彼は逃げ足も速い。全力で戦うか、全力で逃げるか。それもまた、大切なことだった。
斎藤だって、逃げるのは得意だ。生き延びるためには、それもまた、必要だった。

だから彼らは逃げ出す。まわりを取り囲んでいる、懲りない野次馬達をかきのけて。
「後片付けはしておけよッ!」
そんな風に、用事は押しつけて。
どこか馴染みの汁粉屋にでも行こうかと考えていた。
汗を流した後には、甘いものがちょうどいい。

永倉を小脇に抱えて、斎藤は走る。地を蹴りながら。
腕の中に大切なものを抱えて。生きる喜びを体中でめいっぱい感じながら。


2007.2.27

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