うたかた。 ―What I Cannot Understand―



 そこは、ある国のある区域のあるホテルの食堂だった。

「…よく食べるんだね」
「意外ですか?」
「いや、まあ……」

 キノのちょうど向かい側に座っているシズは、なにやら少し困惑しているような様子でキノを見ていた。
 ふ、と微かに息を吐き、少し微笑みを浮かべてシズが言った。

「久しぶりだね。あれから一体、どのくらい経ったかな?」
「さあ…覚えていません」

 キノはそう言って淡々と、鉄板の上で焼きあがった肉や野菜を手早く自分の皿に取り分ける。すぐにそれは山盛りになった。鉄板の上に載っていたものが半分消えかけると、キノは上目遣いで、

「食べないんですか?」
「え? あ、いや、食べるよ」

 シズは慌ててトング(注・パン屋でパンを掴むとき等に使うもの)に手をかける。
 キノはそんなシズの様子をこともなげに見ながら、ホルモンを一枚、口に入れた。歯で噛むとじわっ、と肉汁が広がって舌に浸透する。その少し食べにくい物を喉に通したあと、

「そういえば、陸君はどうしたんですか?」
「……」

 シズは苦い顔をして無言のままだった。
 だが、その口元にはうっすらと笑みも浮かんでいる。
 キノが少し怪訝そうな顔をしたとき、ふと、ホテルの自動扉が開く音が聞こえた。そして、子供たちが大声ではしゃぐ声が聞こえてきた。
 その声の方へキノは顔を向けた。
 ホテルの入り口付近に子供たちの輪ができていた。かなり大勢だ。

「わああ、ほんとうにふさふさだあ」
「かわいい〜、真っ白〜」
「ああ! ずるいよ! 次はぼくの番だって!」
「ねえねえ、うえに乗っても大丈夫かなあ?」
「ば〜か、お前みたいなデブが乗ったら、こいつ潰れて死んじゃうよ」
「なんですって!」

 扉付近にいた子が離れると、やがて扉は閉まった。 
 キノは顔をシズのほうに戻した。シズの顔は完璧に笑顔になっていた。

「ここに入る前に捕まってしまってね。このホテルの支配人の子供たちや従兄弟たちらしい」
「なるほど」

 キノは特に表情を変えることなくそう言うと、手前の塩タンを何枚かトンクを使って挟み、鉄板に寝かした。すぐにじゅううううう、という音が響き、同時に口の中にあるものもあふれてくる。塩タンを焼いている間に、少し冷めてしまった骨付きカルビを味わいながら食べ、また食べている間にちょうど頃合いよく焼けたタンを実に手際よくひっくり返していく。

「……」
「動物の舌は嫌いですか?」
「え? あ、いや、好きだよ」




「…はあ」

 エルメスはホテルの地下にある駐車場にいた。エルメスを部屋の中に入れられるようなホテルがこの国にはなかった。

「…ヒマ」

 断腸の思い、やむを得ずのことだった。

「…死ぬ」

 ただ、このホテルのセキュリティは万全のようなので、それは救いだった。キノもエルメスも納得の上だった。

「…もうイヤ」

 灰色の暗鬱なコンクリートの壁で、冷や冷やしていて心地が良い。エルメスのほかに何台か乗り物が止まっているほかには、静寂だけがそこにはあった。

「こーゆーときは眠っちゃうんだけど。なんかヘッドライトが冴えるんだよな〜」

 独り言に答えるものは、なにもない。

「…なんか、やな感じがするしさ……」

 ひたすら、静寂がそこにはあった。 




「そろそろ、失礼しますね」

 寝る時間が近づいて会話も底を尽き、キノは椅子から立ちあがった。
 キノは、シズの部屋にいた。「互いに旅の話でもしませんか?」と誘われたので何の抵抗もなくその誘いに乗ったが、思えば男の人の部屋に、それも夜に入り込むなんて少し無用心だったかもしれない。

(…陸君はまだ帰ってこないのかな?)

 この国は暗くなるのが遅い。そのせいか、すっかり遅い時間までシズの部屋に居座ってしまっていた。
 部屋を出ようとドアノブに手を伸ばそうとしたとき。

「…キノさん」

 すぐ後ろからシズに声を掛けられた。

「はい?」

 それは、一瞬のことだった。

「…っ」

 シズがいきなり後ろから抱きしめてきた。




 確かにこのホテルにつくまでずっと野宿だったから、久々のふかふかのベッドに
気が緩んで油断していたのかもしれない。
 それでも不覚だった。
 振り向く間もなかった。
 ドアは目の前だったが、両腕をシズの両腕に塞がれていて、ドアを開けることも右腿のホルスターに収まっている『カノン』を抜くこともできない。両足も全身をドアとシズの間に挟まれているので、動かすこともできなかった。
 キノはなんとか身を離そうとしたがその前にだき抱えられ、指一本動かす間もなくすとん、とまるで何かの型にはまったかのように、身体を真っ白いシーツのベッドに横たえられていた。
 シズはその上にキノの顔を挟むように両手を、キノの下半身を挟むように両膝をついた。そして、真摯にキノのことを見つめる。若干の戸惑いを、匂わせながら。
 その様子はまるで、見かけや年齢にはまったく似合わないが、純朴な少年のようだった。
 そんなシズを見つめるキノの表情には、怯えも、怒りも、驚きも、呆れも、喜びも、何もなかった。
 ただ、シズを見つめていた。

「……」

 これから彼に何をされるかはわかっている。
 しかし、だからとはいえ、身体を動かそうという気にはならなかった。怖かったからでもないし、諦めきったからでもない。彼に蹴りかなんかを入れてひるませて、ベッドを抜け出して、右腿に収まっている『カノン』を抜けば、もうそれで大丈夫なのだから。その気になれば、最悪シズを殺してでも部屋を脱出することはできる。それなのに――。

「抵抗、しないんだね」

 突然、目の前のシズが表情を変えないで尋ねた。声はいつもより、わずかだが上擦っている。

「…そうですね」

 特になんの感情もなく、キノは答えた。

「私はてっきり…その右腿のパースエイダーで撃たれてしまうのではないかと思ったよ」

 シズは少しおどけた声でそう言うと、今度は短く尋ねた。

「何故?」

 少しだけ考えて、

「…わかりません。自分でもわからなくて、正直今驚いてます」

 そうキノは答えたが、その表情は困惑しているようでも、驚いているようでもなかった。そんなキノの態度にシズは困ったような顔をした。
 キノは言った。

「随分と強引なんですね」
「ああ。自分でもわかっている。どんなに非道いか、というのも」
「元王子様だから、こういうことはしないと思っていました」

 非難のような声でもなく、淡々と続ける。

「違うんですね。元王子様だから、手段は選ばないんですね」

 他人事のような声のキノの言葉にシズは苦笑して、横暴、ってことか、と小さく言うと、

「皮肉かい?」

 と聞いた。

「そうですね」

 キノはいつもの声で即答した。シズはキノから顔を背けて小さくため息をつくと、呟くように言った。

「親に駄々をこねて泣く子供だよな。自分でもそう思う」

 しかしすぐにキノに真摯な顔を向けて、

「でも、だからってやめたりはしないよ」

 そう言うとシズはそのままの表情でほんの少しだけ…本当に微妙に、顔をキノに近づけた。
 そして言った。

「嫌じゃ、ないのかい?」
「……」
「…このまま、続けてしまうよ」
「……」
「それでも…いいのかい?」

 シズの囁くような言葉に、キノは口で答えなかった。
 …ただ、シズの両頬を覆うように両腕を伸ばした。『カノン』は、そのまま右腿のホルスターに収まっていた。少女の両手は少しだけ下がって、青年の両肩にそれぞれ添えられる。
 その顔は、今までとは全く違っていた。
 まるで、夢でも見ているように惚けていた。
 ……ただの錯覚だろう…が、微かに微笑んでいるようにも見える。
 シズは別人のようなキノの様子にかなり驚いたが、すぐにまた真摯な表情に戻ってその頬を手でそっと撫でると、キノの白いシャツの前ボタンを上から一つずつ、ゆっくりと丁重に……ぎこちなく外し始めた。小さなボタンが全て外れると、その白い生地を左右にそっと捲くる。二つの小さく膨らんだ乳房が露わになった。
 ようやく闇に包まれた夜のひんやりとした空気が、少女の隠れていた素肌を撫でる。
 キノの身体が、硬くなった。
 シズの右手が、キノの片方の乳房の上に添えられていた。キノは目を閉じた。そのほかに、表情の変化はない。
 シズは乳房に触れたままキノの様子を黙って見ていたが、やがて手を離し、パースエイダーが収まっているホルスターごとキノのベルトを外し、ベッドのすぐ側の小さなテーブルに置いた。
 次に、自分の両肩を少し強く掴んでいるキノの両手を優しく下ろさせた。
 そして、自分の着ているものを脱いで、テーブルの上にあるホルスターの上に積み重ねた。
 最後に、キノの着ているものを完全にその身体から離して、自分のと同じようにテーブルの上に積み重ねる。
 少女は、目を閉じたままだった。




 シズはキノの前髪を指で撫でるように上げ、剥き出しの額に顔を少しずつ近づけて、ぎこちなく唇で触れた。次に閉じられている瞼、次に鼻の頭に触れ……それから少しの間顔を離してから、唇に。
 そのまま少し時間が流れる。
 やがて唇が、唇から離れる。
 シズの口から熱を帯びた息がゆっくりと、途切れ途切れに漏れる。
 シズは改めて、目の前のキノを見た。
 キノの目は閉じられたまま――シズからキスを受ける前と同じだった。まるで、眠っているようだった。何も身に付けていない姿であることを除けば、その様子は普通にベッドで眠っているのと変わりないに違いない。
 その一見無防備な姿が、シズから緊張感を多少紛らわせたのか。
 あるいは、奥底にある熱が改めて芽生えたか。
 シズは自分の顔を素早くキノの首筋に近づけて、そこから鎖骨を通って下へと唇…というより、舌で肌をなぞっていった。その肌が一瞬だけ動いて、ふ、と小さい息が漏れたのが聞こえた。なぞった跡が古びた灯かりに照らされて、鮮明に映える。
 それが胸の真ん中当たりまで下りていったとき。

「シズさん」

 キノがしばらくぶりに口を開いた。
 シズは少しだけ我に返ったように驚いて、顔を上げてキノの顔を見た。相変わらず両目を閉じている状態で、やはり眠っているように見えた。

「…なんだい?」

 シズが答えると、キノは両目を閉じたまま、いつもの口調で尋ねた。

「シズさんは…どうしてボクにこんなことをするんですか?」
「どうしてって…」
「楽しいですか?」

 楽しいですかと聞かれて、シズは困ったように苦笑した。少しあと、シズは困惑を消した笑みを浮かべて答える。

「…そうだな。楽しい…というか、なんというか…ううん、楽しいんだろうね。少なくとも君とこうしていたい、という欲求がある」

 そして普通にこう言葉を加えた。

「君のことが、好きだから」
「そうですか」

 キノは普通にそう即答した。
 シズは再び顔をキノの胸の真ん中らへんに埋めた。シズの指と唇が、キノの小さく膨らんだ乳房に触れる。そっと、指と舌がその上を這い始める。小さく、音が粘る。みしっ、と音が軋む。
 今度はシズが尋ねる。

「君は?」
「え?」
「君は、どうなんだい?」
「…どちらを、聞いているんですか?」

 この行為は楽しいか、

「どっちでもいい」
「…どっちにしても、さっきと、同じです」
「……? ああ、そうか。なんでこうして…私を、受け入れたのかも、わからないんだったね…」
「そうです、だから……」
「…だから?」
「だから…何も言えま、せん………でも……」

 それとも、

「不快では…ないです……っ、……ん………でも」

 シズのことが好きかということか。

「わからない…わかりま、せん……」

 そして、会話は終わった。




 夜の冷えて澄んだ空気が震えている。
 シーツと肌、肌と肌が擦れる音によって。
 遠く、小さく粘った音によって。
 近く、大きく軋む音によって。
 重く、熱い吐息によって。
 囁くような、喘ぐような声によって。




「……は……ぁ……」

 触れている部分に、少し歯を立ててみる。愛しさを込めて。

「………んっ、…ん……ぁ」

 触れている部分に、少し爪を立ててみる。…どこか虚しい、寂しさを込めて。

「……く…ぅ………っ、ぁ、はぁ…」

 耐えるように小刻みに震え始めた細い肢体を、少し強く抱いてみる。
 一瞬ぴたっ、と止まって、少しした後、はあぁ…とその身体から途切れ途切れに息が吐き出される。
 それから、指を、唇を、舌を、その白く細い肢体の下へ下へとなぞらせていく。
 ……下の、方へ。
 ぴちゃっ、と小さく…でも今まで以上に大きく、粘った音が響いた。

「………っ?!」

 触れている肌が急激に硬直したのがわかる。予想していなかった、と言っている。同時に、怯えている。
 顔を上げて、一回、その一見普通に寝ているような顔を…冷たい汗が流れている顔を…手で優しく、そっと撫でる。その頬に口づけをしたいと思うが、彼女は嫌がるだろう。汚い、と思うだろう。
 そう思って、もう一度顔を細い脚と脚のわずかな間に移動させて、舌で愛撫をする。ぴちゃ、ぴちゃと、音が続く。舌を動かすたびに、声にまで達しない荒い息がどこからともなく聞こえてくる。
 不意に、その熱くなっている場所に指で触れてみた。

「……ゃあッ…」

 これまでより別段高くて大きい声が流れた。突起を舌で愛撫しながら、そこを少しずつこじ開けるように指を入れて、奥まで。
 シーツをきつくきつく握る小さな手が、小刻みに震える。ベッドの軋みと同調するように。
 しばらくして顔を上げた。そして震える細い脚を、なるべく強引にならないように少しずつ開いて、持ち上げて……

「………………ッっぁ」

 びりぃぃぃ、と布が裂ける音がした。ベッドは軋んだ悲鳴をせいいっぱいに、上げ続けていた。




 そして。
 これ以上にないとてつもなく強烈で、奇妙な…でもどこか心地よい刺激に襲われた。




 深夜。
 病的なほど真っ白なシーツのベッドの上に、身に何も纏っていない二人の人間が横たわっている。
 一人は窓側で目を閉じてすうすうと息を立てている少女。
 もうひとりは、その少女を横でいとおしそうに見つめている青年。
 その青年は、何とはなしに思っていた。
 少女は自分のことを恋愛感情の対象に見てはいない。また、自分が少女にそういう目で見られることはこの先ありえないであろうことが。そしてなぜ今夜、この少女が傲慢な自分をそのまま受け入れてくれたかが…自分に一生わからないであろうことも。
 それが、少女にとっても。




「…それでも、俺は……」

 シズは隣で眠るキノから視線を外そうとしなかった。それなのにキノの髪ですら触れようとしないのは、これ以上この少女に触れると何となく胸が苦しくなりそうだったからだ。
 シズは深いため息をつくと、シーツに左手をついてベッドから降りようとした。
 するとふと、左手に何かかすかに暖かいものが触れてきた。シズは驚いて振り向くと、細い指をした手がほんの少しだけ、自分のごつごつとした手の上に添えられていることに気づいた。

「……キノさん?」

 返事はない。
 軽く寝返りを打ったキノは相変わらず両目を閉じていて、すうすうと規則正しい息を立てている。

「……」

 シズはしばらく信じられないような目で、自分の左手とそれに重ねられているキノの右手を見た。
 やがて視線をそらし、眩暈を起こしたときのように右手を額に当てた。その表情は、さっきまでその少女を抱いていた青年だとは、とても想像できないものだった。
 まるで、意中の相手に告白された少年のように、顔がひどく紅潮していた。




 それからすこしして、キノが軽い寝返りを今度は反対側に打って、右手は左手から離れた。
 シズは思わず口を開けたが…すぐに苦笑いをして、ベッドから降りると側のテーブルに手を伸ばした。そして、いつも着用している服をいつものように身に纏う。

「少し、風に当たりに行って来るよ」

 シズはそう言って、愛用の刀を携えて部屋を出た。もちろん、用心のため外から鍵をかけて。




 シズの部屋にはキノ一人だけが残っていた。
 キノは呟くように言った。

「はやく、戻ってきてくださいね」

 大きい目が、開いていた。



end.




なんかヤってるだけな意味不明文で申し訳ありません…;
表題の「うたかた。」はご存知かもしれませんが、Coccoの歌から。この歌大好きです。とても美しくて、綺麗で、脆くて、痛くて…そんな感じの歌。心のマイベストキノソング。

生まれて初めて、完結させることができた小説、第1号でした。ぱちぱち。



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