何の変哲もない暗闇の中で、布と肌が擦れ合う音がしている。

「…んっ」
「キノさん…」

 彼は繰り返し彼女の名を呼ぶ。



 どうしてボクはこの人と身体をあわせてるんだろう?



 皮膚の上を、さまざまな感触が。
 それはくすぐったくて、いとおしくてたまらないようで、気色悪くて、憎くて仕方がないようで。

 しばらくして、

「キノさん…」

 ふと、気づく。



 どうしてこの人は、ボクの名前を何度も言っているのだろう?


 
 その言の葉は針となり。
 どこかで何かが、小さく弾けた。



 ……名前?
 ボクの、名前は。



「キノさん…っ」


 
 ……『キノ』?



「ボクはキノって名前だ。あちこち旅をしているんだ。君は?」



 ……。
 私は……。



「…あっぅ」

 下の方に集中する、確かな痛み、痺れ、衝動、そして微かな甘美さに意識を戻される。

「ぁ、っ……ん、ぁあッ」
「キノさん………っ!」

 絶頂に達する瞬間。
 言ってしまう。

「…キノぉッ」

 初めての求める声。それは、明らかに声色が違っていて。少女の声で。
 その瞬間に、彼は理解した。

 相手に覆い被さるようにして。途切れ途切れの息を吐きながら、彼は問う。

「君は…誰なんだい?」

 『キノ』は虚ろな目で青年を捕らえずに、一言。

「…×××××」



 そうか。
 この人は似ているんだ。
 あの人に。
 だから、この人に抱かれてるときは。
 他の人にそうされてるときとは違う、何かを感じてしまうんだ。



 …キモチワルイ。









寓話 ―At First―










「ちょっと、お願いがあるのだけれど」
「お願い、とは?」
「腕枕、させてくれるかな?」

 いつもなら、すぐ断わってしまうのだけれど。

「…腕、しびれますよ?」

 『キノ』の声色でそう答えてみた。



「…何も、聞かないの?」

 それは、少女の声色で。

「…聞いても、いいのかな?」
「……」





 しばらく沈黙。





「……『キノ』って、誰のこと?」
「……」





 しばらく沈黙。





「一生、忘れられない人です」

 『キノ』の声色。


 少し沈黙。


「いえ、忘れたくない人です」

 『キノ』の声色。

「そうか…」

 彼は少し目を遠くへ馳せた。

「私にもいるよ」
「?」
「一生、忘れたくない人がね」



「その人は優しくて…少し頼りなかったけれど、意志はとても強い…強いという表現が当てはまるのかどうかはわからないけれど、とにかくそういう人だった」

 彼は優しい目をして、感慨深げに言葉を紡いだ。

「私が、おじいちゃん…先々代の国王と、同じくらい尊敬していた人だよ」
「していた?」
「ああ。…クーデターが起こったときに、離れ離れになってしまった。生きているかもしれないし、生きていないかもしれない」
「…もしかして、ご兄弟の方ですか?」
「ああ。兄上だよ。……よくわかったね」
「あの国の歴史の文献に、二人の子供のことが書かれていたので。それによると、二人とも生死不明としか」
「そうか……よく覚えていたね」
「たまたまですよ」

 ふと、思って。

「…もしよろしかったら、その人のお名前を聞いても良いですか? もしかしたら、以前お会いしたことがあるかもしれません」
「……×××××というんだ。珍しい名前だと思うから、一度聞けば忘れないと思うんだけど…」
「×××××…」

 少し、その名を全神経にめぐらせてみる。

「ごめんなさい、記憶の限りではそのような名前の方は…」
「そうか……」



「そしてもう一人」
「もう一人?」
「今、ここにいる」

 彼は、じっと彼女を見つめる。



 彼女は明かりを消した。

「キノさん…?」
「…こんなこと、頼むのは非常に失礼だとはわかっていますが…」
「今回、一度だけです。ですから…」

 沈黙。
 しばらくして彼が彼女を優しく、そっと抱き締める。

「シズさん……?」
「シズさん、じゃないよ」





 彼は彼女の願いに応えた。





「×××××ちゃん」





 沈黙。





 しばらくして少女は彼に抱きつく。
 そして『彼女』は『彼』の名を呼ぶ。 

「『キノ』…」










 互いにかわす呼び名は。
 『キノ』と『×××××ちゃん』で。
 その声は、いとおしく、切なくて、枯れていて。









「『シズさん』」
「ん…」
「起きてください。…そのままでも結構ですが」

 シズ、枕に顔をうずめたまま。

「『ボク』はもう行きます」

 シズ、ぴくりとも動かない。

「…さよなら」

 彼女、ドアの前で立ち止まる。
「…無理なお願い、聞いてくださってありがとうございました」

 シズ、身体を起こして、

「君は」

 彼女、振り向く。

「君は…誰だい?」









「『キノ』ですよ」



 ドア、閉まる。


 他愛もなく、彼と彼女が泣く事実もなく、閉まる。



 それが、はじまりだったこと。



 彼女は特に、信じたいとは思わない。






end.



Coccoの「寓話」から。
キノはきっと、一生”キノ”のことはわすれられないし、背負わざるを得ない。
そんな気持ちで打ちました。
かってにシズ様の兄上を捏造してますが;;



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