[tremolo]

唇を当てた喉元から漏れる、くすくすとした楽しげな笑い声に、ロッドは眉を潜めた。
覆っている烏の髪を指で抄き上げ、隠れていた右眼に自らの姿を映し出す。
少しだけ見開かれた眼は直ぐに伏せられ、己を写す漆黒の鏡は消え失せた。
「嫌やわ。そない見つめられたら熔けてしまいますわ」
心の篭っていない甘い声に、ロッドは繰り返し瞼にキスを落とす。
彼自身、アラシヤマに思い入れがあるわけではなかったが、据え膳食わぬは男の恥。
頂けるものなら、美味しく頂きたいと思うのは当然の権利だろう。
それでも…。
「マーカーが知ったら殺されるな」
それでも踏み込めないのは、幼さの残る柔肌の所為だろうか…。
「わてが?ロッド兄はんが?」
嬉しそうに笑った顔に、ロッドは心底寒気を覚えた。
魔性なんて生易しい素質ではない毒に、身体が言う事を聞かなくなる。
「ロッド兄はんが殺されたら、それはお師匠はんが嫉妬に狂ったからですやろ?」
朱く熟れた唇を甘噛みすると、細くしなやかな腕が首に回された。
「わてが殺されたら、お師匠はんが裏切ったわてを独り占めしたくてですやろ?」
どちらでも問題ないと、再びくすくす笑う。
溜息を噛み締めて唇を合わせると、ロッドはゆっくりと舌を絡め取った。
蛇が手中に収めた獲物を締め上げるようなキスは、彼の師匠がするそれと酷く似通っている。
大きくはだけた着物の裾から、引き締まった内股に沿わせて指を潜り込ませた。
「焦らさんといて。汚れたら面倒臭いんやし、ロッド兄はんもわても脱がせて」
僅かに開いた唇の隙間からそう漏らすと、宛がった脚を動かしてロッド自身を緩く刺激する。
中途半端に脱いだズボンの冷たい金具が、アラシヤマの白い肌をひっかいた。
言われたとおりに支給品の皮パンを脱ぎ捨て、目を細めていた彼の柔かな布地に手をかける。
上半身を露出させて手を帯に掛けたが、暫し置いて解くのを止めた。
「どないしはったの?気が引ける?」
襟を肩に辛うじて残した姿で、上半身を起こす。
密着したロッドから聞こえる鼓動があまりに穏やかで、アラシヤマはつまらなそうに唇をヘの字に曲げた。
「酷いお人どす。わてのことその気にさせておいて…」
性格をそのまま映した、陽気な空色の眼を覗き込む。
戯れに唇を掠めると、蜂蜜の熔けた優しい髪がアラシヤマの頬を滑った。
「何で京美人は俺と寝たがるわけ?」
返事の代わりに全体重を掛け、アラシヤマは彼をシーツの海に沈める。
見せ付けるように自分の指に舌を纏わせ、舐った指で組み敷いた彼の唇に色をつけた。
「お師匠はんが一番嫌がるの、ロッド兄はんでっしゃろ?」
狂っている、そう思うだけで彼は口にするのを諦める。
こんなにも歪んだ愛を嬉しそうに話すアラシヤマの唇が、これ以上言葉を紡がない様に自分のそれで塞いだ。

ヤマアラシは、極寒も独り切りで乗り越えなければならないのだと、幼い頃に本で読んだ。
暖を取ろうと身を寄せれば、互いが互いを、その研ぎ澄まされた針で傷つける。
かと言って、完全に離れてしまえば、その寒さに身を引き裂かれる。
付かず離れず…そんな生き物だと、印刷物は語っていた。

「京美人さぁ、ヤマアラシって知ってるか?」
口一杯に性器を含んでいた為に、アラシヤマは視線だけをロッドに向ける。
薄っすらと涙の浮かんだ瞳に、彼の師である中華美人の姿が重なった。
癖の一つ一つが酷く似通っていて、己が誰を抱いているのか、時々分からなくなる。
何を突然聞くのかと、そう語る眼に少しだけ心が痛んだ。
「近付くと互いの針が刺さるから傍に寄れないんだとさ」
マーカーと違うのは、明らさまに興味のない顔をしないところだと思う。
後、唇が少しだけ彼より柔らかい。
彼の顔を引き剥がして、壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
こんなことで何一つ変わりはしないのは分かっていても、
こんなこと一つしなければ、違う自分の声に目を覚まされてしまいそうになる。
丹念に舐めさせた指を身体の中に埋めると、アラシヤマは苦しそうにロッドの胸に頭を押し付けた。
必死に押し戻そうとする臓器に抗って、奥へ奥へと突き進むそれに、荒々しい息が漏れる。
「苦しい?京美人」
やめんといて、呟きながら首を左右に振る姿に心は更に乾いた。
中指を曲げて擦り上げる度に、痙攣をするように身体を硬直させ、喉から引きつった声が漏れる。
その姿が目に入らぬように、ただ機械的に繰り返すうちにそこは柔らかく誘う素振りを見せた。
「ちっとキツクなるけど我慢しろよ」
増やされた指を拒む様子に眉を潜め、放られた性器を空いた手で緩く刺激する。
大きく波打つ内壁の隙を見て、更に指を増やし、奥まで飲み込ませた。
意識的に締め付けているのではない、その淫靡な動きは彼の師と寸分違わぬ色気を醸し出す。
「…お師匠はんにするみたいにして」
泣き出しそうな小さな声に、ロッドは目を見開いた。
「お師匠はんと同じにして…手加減なんてせんといて」
掠れた言葉を繰り返す乾いた唇を、アラシヤマはロッドの唇に重ねる。
ロッドは彼の背に腕を回し、衝撃を与えぬようにそっとシーツの上に寝かせた。
慣れたことを確認して指を抜こうとすれば、そこは離すまいと絡みつく。
「京美人さぁ、そんなにがっつかなくてもいいんじゃねぇの?」
意識しているわけではない生理的反応だという事は知っていても、アラシヤマの頬はカッと熱くなった。
やはり重なるマーカーの姿に、ロッドは目を伏せ、
一気に引き抜いた指でアラシヤマの腿を掴み、腰が浮くように彼の腹に押し付ける。
「いいの?京美人?」
こくりと頷いたのを視界に捉え、そのまま自らの腰を彼の両足の間に重ねると一気に貫いた。

「ヒッ…ァ」
喉を仰け反らせ、見開かれた目は焦点の合わないまま宙を彷徨う。
腰の脇にぴったりとつけられていた腕の先で、立てた爪を中心にシーツが乱れた。
反射的にギリギリと締め付ける内壁に、気を抜けば意識諸共引き摺られてしまう。
「力抜けって…マーカーとヤるときも、そうやって食い千切ろうとするわけ?」
耳元で囁いて見せれば、細切れに荒く吐き出す息に紛れて喘ぎ声が上がった。
収縮の度合いが緩くなるまで待つなど、到底出来そうもない。
「悪ィ、待てそうにねぇわ」
言うと同時に痛みに顔を歪めるアラシヤマにも構わず、欲望のままに中を乱暴に掻き乱した。
奥歯を噛み締め、必死に片腕で涙の溢れる目元を隠そうとする姿は酷く情欲をそそるもので、
先程までの戸惑いが嘘の様に、雄の欲が膨れ上がる。

初めてこの蠱惑的な蝶を目にした時は、ただの標本に過ぎないと思っていた。
マーカーという標本箱の片隅に、虫ピン代わりの恐怖心で張り付けられた哀れな蝶。
あの蝶は、どうして今になってこんなにも箱の中から抜け出そうとするのだろう。
誘うように鱗粉を散らし、まるで、より一層太い針で繋ぎ止められることを望んでいるかのように…。

繋がっている部分が立てる生々しい音に、身体中が聴覚器官になったかのような錯覚を覚える。
呼吸がままならず、逃げ場を失った熱が身を焦がさんと駆け巡った。
師匠に抱かれる時は、こんなに変わっていく自分を冷静に見つめることなどない。
師匠が喜ぶから、女みたいに喘いで、獣みたいに腰を振る。
だから、自分の事を省みる余裕などない。
「ロッド兄はん…」
ドアの隙間から覗いた時、確か師匠の脚はロッドの腰に絡み付いていた。
いやらしく唇を半開きにして、虚ろな目でロッドを見つめて…。
『抜くな、ロッド。』
「抜かんといて、ロッド兄はん」
脚に力を込めて、離れようとしたロッドの身体をより一層自分と密着させて、言を紡ぐ。
浮かんだ悲しげな色は、一瞬で目の前の深い碧の奥に沈んだ。

絡み付く細い脚は見た目ほど弱くなく、引き剥がすのには力がいるように思える。
薄く開いた唇を啄むと、底のない黒い瞳がざわざわと揺らめいた。
誘われるままに奥に突き上げれば、身体を弓形(ゆみなり)に反らせながら快楽を貪る。
何度目かの突き上げに、蠢いていた内壁が一際強く締め上げた瞬間、白濁とした液体が腹を濡らした。
特有の臭気が鼻腔をつき、アラシヤマはぐったりと肢体を投げ出す。
その様子を見止めて、ロッドは己が精を解放する為だけに腰を揺さ振った。

「京美人?」
倦怠感の強い身体を起こし、だらしなく横たわる少年を覗き込んだ。
頬をシーツに抱かれ、横を向いたアラシヤマの目から、ぽたりぽたり雫が伝う。
「………」
音声にならない唇の軌跡を追い、ゆっくりと一度瞬きをしてロッドは黙って部屋を出た。
装飾のないドアを閉めると、冷たい風が頬を撫でる。
「マーカーもアラシヤマも…同じこと言ってんじゃねーよ!!」
力任せに拳を振り上げた金属性の壁は、凄まじい音と共に大きくひしゃげた。

頭からシャワーを浴び、アラシヤマは身体中に媚びりついた情事の痕を洗い流す。
師匠が知ったら怒りそうな程の湯のぬるさは、火照った身体から熱を奪うのに好都合だった。
明日はマーカーが本部から戻って来る。
「お師匠はん、スキ、スキ、スキ…」
決して伝わらない掠れた声は、流れる水と共に排水溝の中に消えた。

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