前世篇/(3-51さん)
朝焼けのもやの中、青竜王は水晶宮への帰途についていた。
官職には付き物であるが書類仕事(デスクワーク)は肩が凝る。
しかも徹夜明けだ。
ふと、女性の笑い声が耳に届いた…気がした。
視線を向けると鳥と戯れる美少女が雲海から突き出た山に
張り出した枝の上に腰掛けていた。
バランスを崩して宝貝から落ちかける青竜王を見て
おかしげにクスリと笑う美少女。
一瞬すれ違う…永遠と思うかのような一時。
水晶宮に帰り出仕の前に身体を休めていると
先刻のことは幻かと思えてくるが、印象は鮮やかに残っている。
一月ほどして、また同じく徹夜明けとなった。
青竜王、決心して同じ所に通りかかるとまさにあの美少女が。
同日午後、西王母のもとに参じた青竜王は視線を感じ
その相手をさりげなく見やった。あの美少女だ。
(なるほど、西王母の娘であったのか…)
美少女も、相手が青竜王だと気づいたようだ。
深窓の佇まいを見せる少女に青竜王は心惹かれるのを自覚した。
天界ではあまた美姫を見ている青竜王であるが
あの少女ほどに惹かれる相手はいまだかつて居なかった。
実際は「秋波に気づかない木石」と評されている始末なのだが。
青竜王としても、あの美少女をどうこうしようというのではない
ただ、心惹かれたままにもう一度、例えば会話をする機会を
少々持ちたいと、ささやかな希望を抱いていたワケなのだが
西王母の娘となれば直接に誘いをかけられるものではない。
こちらも名門、あちらも名門。となると、何かの機会のついで
という形でなければ周囲への波紋を過剰に呼んでしまう。
困った…責めあぐねている敵を攻略する以上の難問を
どうクリアしたものだが、数日青竜王は悩みに悩んだ。
眉間に皺を寄せる主人を思いやって世話の者が
茶の回数を増やしりするのだが、その気遣いには気づかず
「何か給仕が多いな?」と不思議に思うだけである。
ジャスミン茶が運ばれて来て、さすがに三度目ともなれば
多すぎる、次は止めてもらおうかと青竜王が思ったときに
「そろそろ、西王母の桃の宴の時期ですね」
「ああ、毎年参じてはいるが見事な庭には毎回感服する。
…!」
「いかがいたしました?」
「いや、なにも!ああ…うむ、もう茶はよい。下がってくれ」
西王母の宴ともなれば当然、娘達も参列する
となれば、その機会こそ好機。見逃す手はない。
竜王家は毎年参列しているのだ、不自然なことなど何も無い。
(よし、これだ。)
と、青竜王がひそかな決意を固め、着物を仕立て兄弟たちに
礼儀を仕込んでいるころ、彼の周囲は異様に盛り上がっていた。
特にすれ違う神仙たち神仙たちからこう声を掛けられる。
「桃の宴はまだかいのう」
こうも言われ続けては青竜王もハテナ顔であったが、宴席好きの
神仙のこと、宴を待ちわびている所為だろうと呑気に考えていた。
慎重にと心がける青竜王とは逆に更に盛り上がる気配である。
…なぜ神仙たちが知っているのかというと。
太真王夫人は毎早朝こっそり出かけていたつもりなのだが
姉、瑤姫はとっくに気づいており、姉の追及に降参した
大真王夫人は真相を姉に打ち明けていたのである。
そんな面白いこと、いやいや、可愛い妹の恋の成就のため
蘭藍和など男女の機微に聡い神仙に相談したところ
それをどこからか聞きつけた一人からさらに多数へと
さらに最近の青竜王の様子など合わせて考えてみるに
あっという間に崑崙中に二人の事情が広まった…というわけである。
「あの」青竜王が、好いた女にどう交際を申し込むのやら
神仙が二人寄ればその話題になるという始末。
主成分は二人に好意的なものばかりなのだが。
紅竜王がいち早く兄の面子の危機に気づいたのだが、
これが宴の当日、遠地への遠征が下ってしまった。なぜこの時期に
この処置なのかは(青竜王以外には)公然の秘密であるw
とうとう宴の当日がやってきた。
豪奢な刺繍の衣を纏った堂々たる青竜王の姿に、参列の女仙たちは
すっかり目を奪われ宴席にはホウッと溜息が満ちた。
西王母も洒落が分からない人ではない、ゆえに青竜王の目的を
知っているのに、いや知っているからこそ、こんな事を彼に言う。
「上の姉の琴などはいかが?」
「すぐ下の子の笙は?」
「それとも遠乗りに出かけられますか?」
青竜王はどれも謝辞した。
「無粋な私より優れた聴き手があちらで待ちかねておられるでしょう」
「それではなおのこと二人の合奏が楽しみというもの」
「ここまでの桃の盛りは今を逃してはありません、遠乗りはまたの機会に」
あっぱれな男ぶりだがそつが無い。西王母はさらに踏み込みたくなった。
「瑤姫、青竜王はいずれ遠乗りをなさりたいそうですよ」
乗った瑤姫は
「まあ、それは大変光栄なこと」
とあでやかに微笑んでみせた。
無責任な神仙たちは
「どっちに転んでもおもしろいやあ」
まだ紹介を受けない太真王夫人はどうにもヤキモキ。
気の毒に、本気で泣きそうになっておられると蘭藍和は助け舟。
「やあ桃といえば添うものは良き声の鶯でしょう。
こちらには無いのでしょうか?」
西王母も本来の目的と末娘の心配顔を思い出したが
ここは青竜王の出方を待つことにした。
「今年の桃の宴は本当に心待ちにしておりました。
見事な庭園はもとより、今日は秘蔵にしてらっしゃるのは
存じておりますが、それを押して、奥の庭の花を一つ
見せていただけますよう、お願いに参りました」
確かに、西王母が私的に管理する庭園はあるのだが
青竜王の真意はそれではないことを西王母はとうに知っている。
彼の誠意にはもちろん不安はない。だが母はそこで言い切る覚悟、
それを確認したかったのである。
心得た西王母は待ちわびているだろう末娘に声をかけた。
「太真王夫人、こちらへ。青竜王を庭へ案内さしあげなさい」
夫人は慎ましやかに母の申しつけを受けたがあふれる笑みを
いったい誰が見逃すものだろうか。
「さあ、こちらへどうぞ」
椅子から立ち上がった堂々の武将と並び歩くたおやかな美姫。
すばらしく絵になる二人が母の許しのもと引き合わされた。
これで目出度し目出度しではあるが、これで神仙たちが
おとなしく二人を見守る…わけがないw
さて、兄の危機の為常以上の能力で討伐を片付けた紅竜王
特急の獣に乗って宴席に駆けつけたものの、宴席は半ば空。
「これはどうした事か?」
真相は、体透明の宝貝を持って見物に出かけた神仙多数という話。
「兄さん!!」
「まあまあ野暮なことは、恋路を邪魔するのはナンとやら」
「してるのはあなた方でしょう!!」
激しい視線はあたり一体を焼き尽くすかの勢いである。
「ま、一杯一杯」「かけつけ三杯じゃあ」
迫力をものともしない多勢の神仙にみっしり取り付かれた紅竜王、
「兄さーーーーん!」
微妙な距離を置いて、ゆっくり庭を歩く美男と美女。
空中に浮かんで姿を隠した神仙たちは言いたい放題
「もっと近づけ!」
「ほらそこの段差で手を引くチャンスだろうに!この野暮天!」
「お嬢様も少〜し大胆におなりあそばされたらいいのにぃ」
「わたしゃなんかもうあの恥じらいの笑み一つで昇天ですわ」
「あれに参らないとは青竜王の堅物も筋金どころか鉄板ですなあ」
東屋にて夫人が手を伸ばすと鶯が寄ってきた。
「この子がここで一番の名手ですわ」
鶯が一声さえずる
「これは、見事に仕込まれましたね」
「いえ、この子はもともと熱心に唄う子で私は楽しませてもらってるだけ」
鳥と自由に意思を交歓する少女、あの一目見た衝撃を青竜王は思い出した。
本気でのんびりと庭見物だけに来たわけではないのだ。グッと腹を据えた。
「こちらの庭は十分堪能いたしました。素晴らしい庭で目が洗われました。」
「まあ。もうよろしいので?では茶の用意をさせましょう。あちらへ」
張り出したバルコニーの眼前に広がるのは靄かと思うほど山肌一面の桃。
ゆったりと深呼吸をする二人、息をつくのが同時で、思わず微笑みあう。
「あーもう焦れったい。なんで隣じゃなくて対面に座るか」
「肩を抱け!そこだ!ああっなんで腕組みなんか一人でしておる!」
「夫人も期待しておろうが、この甲斐性なし!」
紅竜王もようやく奥の庭に辿り着き二人を見つけることが出来たが
心配するほどのこともない、いい雰囲気である。
それはいいのだが、わが兄ながら十分以上の成果であると思うが
二人の周囲にびっしり鈴なりの見物人はどうだ!!
二人には見えないが、紅竜王のいる側からは透明マントを
ひっかぶった神仙の後姿が何十と丸見えなのだ。
「くっ…!」
二人を野次馬の視線からかばいたいのだが
かといって自分がどう出ればいいのやら紅竜王は窮地に陥った。
つと、先ほどの鶯が鋭く羽をひらめかせて周囲を舞った。
「お」「わわっ」
宝貝マントをかぶる姿勢を崩され、神仙達の首だけが
空中に浮かぶ様子となった。そのうち一人が夫人と目がバッチリ。
「もうっ」
一瞬目が険しくなったものの態度には出さず
「とっておきの場所まで、ご案内しますわ」
と青竜王の手を取る。
思わぬ柔らかな感触にドギマギした竜王であるが彼女の取った行動は
さらに彼を驚かせることであった。
「こちらへ」
と夫人はバルコニーをひらりと乗り越え、谷底に身を躍らせた。
手を引かれて青竜王も谷へと落ちていく。
神仙たちの慌てたの慌てないのって。紅竜王にいたっては
隠れてたのも忘れてバルコニーへと駆け寄り身を乗り出した。
二人の姿は見る見る小さくなっていく。光に包まれ二人が消えた。
宝貝の発動した光である。二人は無事であるようだ。
とはいえ、あの大胆な思い切りと度胸の良さ。
兄が思っていた深窓の令嬢というイメージは覆っただろうが
いい方向に違えたことだろうと紅竜王はほのかに予感した。
さて、堕ちゆくじゃなかった落ちていく二人はと言えば。
青竜王もいきなりのダイブに驚いたがそれも一瞬のことで
あとは頭を下に逆さになったまま、花のように笑いかける
夫人と二人、言葉も無くただ見詰め合っていたのであった。
光の輪を通り抜けると、どこかの洞穴の中に軟着陸をした。
外を覗くと上も下も絶壁で、どうやら崖の中ほどであるらしい。
だが景色は絶景。雲海の中に大小の山の頂が浮かんでいる。
「どこかぶつけたりしてらっしゃいません?」
「いや…どこも」
「強引に連れてきたりして、怒らないで下さいましね」
「神仙たちが見ていたからね、むしろ助かったよ」
「気づいてらしたの!」
「まあそれは、戦場に立つ身であるし」
生真面目に受け答えする青竜王。夫人も緊張がほぐれ
「いかが?」
ゆったりした服の袖から桃饅頭を取り出した。
「時々息抜きに、ここに休みに来るの。私の秘密の場所」
「ここに俺を連れてきたということは…」
予感はしているがそれでもやはり、胸には不安と期待が
同時に満ちてくる。
「そう、そういうことですわ」
いくら野暮でも鉄板の堅物であろうと「そう」とは何かぐらい
さすがに察しが付いた。夫人の染まった頬が、何よりの裏づけである。
「これからは、あちらに見える山の東屋でお会いしましょう。
あそこは母の屋敷の敷地内ですから。
…あと、こちらはここに入る鍵となる宝貝です。
受け取って、下さいますか?」
おずおずと差し出された宝貝を、青竜王は夫人の手ごと
そっと握り締めた。
「大事に、するよ。」
それは宝貝のことかそれとも自分の事なのか夫人は尋ねなかった。
すでに夫人の唇に優しく青竜王からの印を受けていたので。
「こちらに出入り口があるの」
手にした宝貝を岩壁に押し付けると音も無く空間が開いた。
そこを潜り抜けると、見覚えのある桃の木が目の前にあった。
「先の宴の席の裏手だから」
視線が合い、二人で先ほどの事を思い出して赤くなったりしていると
「あ、戻ってきた!」
瑤姫が軽快な足取りで二人の元にやってきた。
「宴はもうお開きよ。かといって飲み止む神仙たちじゃないけどね」
(…で、上手くいったの?)
(教えない!もう、さっきは本当にハラハラしたんだから)
(ごめんなさい許して、ね。でもあれで母様も納得されたんだし)
「じゃ、青竜王。妹を邸内に送り届けるようお願いするわ」
かくして、二人は崑崙公認の仲となった。