東の国の憑神事情・猫乃のクリスマス・第3話冬風 狐作 鈴華美影の不可思議な日常・憑神異変二次創作
 それはまだ冬も先の暑い夏の日の事であった、そう時間の針を巻き戻してみよう。
「重ね重ね申し上げる通り、としか言えませんねぇ…ふぅむ」
 鏡都府、かつてこの国の神都と呼ばれていた都市の一角にて、浮かない声がひとつ漏れる。
「ええ、ですが、そこを承知の上で何としてでもお願いしたい訳なのです」
 東国たる冠東より、と名乗って現れた相手を前にして四角目荒三郎はそうはせがまれても、と東の訛りが強い言葉で返す。
「もう、遥かに昔の事ですから。私、もとい我が一族が東にいたのは、あの大災害よりもずっと前の事。とてもではありませんが、今更戻れと言われてもそう簡単にははい、そうですかなんて出来ませんよ?」
「それは承知の上です、しかしどうしても、今の冠東府にはあなたの力が必要なのです」
「私の力ねぇ…もうそんなのは忘れてしまいましたとも」
 言葉が交わされているのは鏡都の街の中でも繁華街に近い、むしろ繁華街の中にあるホテルの一室だった。
 ここに居を構えてから一体どれ位だろう、と荒三郎自身が時折浮かべるほどに久しいところに尋ねてきたのは一瓶陽二、と名乗る若い男。渡された名刺、またその前に一応はあったやり取りの中で知れているのは、彼は冠東の役人―最近になり冠東府から冠東民政部と名を変えた行政機関―であり、手紙や電話を介してのやり取りの内に荒三郎が中々折れないので、とうとうこちらにまで出向いてきたのだろう、と読んでいたのはほぼ当たっている様であった。
「そんな事は無いでしょう、大災害後の冠東に残った退魔師の皆さんが口を揃えてあなたの、そしてあなたの一族の名を出すのですから…何とかお願い出来ませんか」
 丁寧な口調であった一瓶も、今や大分言葉が乱れている。荒三郎とてその気持ちは汲めるものがあった、見たところ、そして実際にまだかなり若く、ようやく役人としての出世の道に乗り始めたばかりの人間。そこで課された「大役」を何とかして果たさん、とする気持ちはとても強く分かったもの。だから少しは心が揺らぐ事もあったが、いやいやと自らに対して言って聞かせて、返す言葉は常に同じ―引き受ける事は出来ません。
 しかし、流石にこうも粘られると荒三郎とて何か代案を示さねば、との気持ちを次第に強めてきてしまうもの。確かに、そこまでする必要性は無く、お引き取り下さい、と言ってしまえば易いものとは理解しつつも、無碍には、との気持ちが次第に強まり、互いにしばらくの沈黙の機会を得た折に、ようやくそれを投げかける。
「…そうですね、繰り返す通り私は行けません。しかし、代わりとなる存在をご紹介しましょう、それでいかが?」
「代わりとなる、となりますとそれは一体どういう?」
「ええ、それは恐らく、私よりもずっと事態を上手い方向に持って行ってくれるでしょう。本意ではないかもしれないが、それでご了承願いたい。それでよろしいならば、必要な紹介等は全て致しましょう」
 荒三郎の言葉を受けた役人、一瓶はしばらくまた黙り込む。そこには幾らかの迷いが多分に頬を染め、また瞳に影を落としていた。しかしそこに何も言葉を投げかけずに、ただ反応が返ってくるのを待つ事、およそ数分。
「分かりました」
 ベストではなくともこの際であれば、と受け入れる言葉が出て来たのに内心で多いな安堵の息を漏らしながら、荒三郎はしばらく微笑むしか出来なかった。

「そうか、矢張り駄目だったか」
「はい、大変申し訳ありません。役目が果たせず、わざわざ鏡都まで行かせて頂いたと言うのに」
「まぁ、そこは仕方ないよ一瓶君。そこでそれは止めておけ、で、その次善の策とやらは一体何なのだ?」
 数日後、そこは絨毯が敷き詰められて品の良い調度品にてまとめられた一室。言葉からそこにいるのは男が2人、片や一瓶、片や、恐らくその態度からして上司なのだろう。そう、ここは冠東は相奈県の都心にそびえる高層ビル、その中に、もといそのビル全体は冠東民政部総合庁舎と名付けられている通り、彼が所属する組織の本部であった。
「ああ、はい。それについては先の速報でもあげた通りでありますが、こちらが正式な報告書になります。どうぞ」
 促されたのに従って彼は小脇に挟んでいた書類ケースをそのまま渡す。そうすれば、机を挟んでの上司は受け取るなり封を解いて、中から取りだした簡易製本の施された分厚い書類とそこに押されている幾つかのハンコを見て、にやりとした微笑みと共に問いかけをまた飛ばす。
「ふん、決済は済んでいるのか?」
「はい、それはしっかりと。例の件について部長宛、と申しましたら俺の関わるところじゃないな、と笑われてしまいましたが」
「全く、まぁ良く分かってる、とのところだな。まぁそこに座っていたまえ、ちょいと読ませてもらうよ…ふん、冠東民政部直轄憑神対策事業案、か」
 一瓶は部長の指示のままに部屋の片隅にあるソファへと腰を下ろす、わずかな息を漏らしながらいつの間にか用意されていたお茶を手に取り、喉を潤すと同時に内心での緊張をわずかに解しながらも、その視線はこちらに背を向けつつも、手にした書類をかなりの速さでめくりながら読んでいる部長へと向けざるを得なかった。
 冠東民政部、それは「八葉の大転変」と伝えられるふた昔も前の大災害から、いまだに復興途上であるかつては世界に冠たる大都会の広がっていた冠東地方の行政全般を管轄する行政機関。一瓶はその中でも取締りに関わる、即ち治安方面に関する部署に勤務するまだ若い公務員でしかなかった。

 その冠東のどこかである出来事が、その時も起きていた。それはある1人の身の上に生じたもので、その者の体を見て見れば、ただ肌色だけではない色、また模様を肉体のわずかな一角に纏っているのが見えてくるものだろう。
 色とは光がもたらすものである、即ち光のスペクトルを人間の目がどう捉えたかによるから明るさだとかが、かなりの割合で左右してくれるものである。故にその部位に光が直接当たるか否かから始まり、どこにあるのか、また光がそう関与していないのならば、何かとこすれているのか、あるいは被っているのか、と言ったその色を発している物体に由来するのではないか、となっていくもの。
 それがまず、いわゆる「個体差」と言われる違いを生み出してくれる、根本的な原因のひとつとして挙げられるだろう。  そしてそれに関しては人間である以上、あるいは他の動物であっても、大抵は似通った体の構造から通じるものがあって、色との要素を除いてしまえば実際のところは、そこまで個々を特定しうるほどの情報になるとの万能性には乏しくもある。
 しかし、例えば、怪我をした傷、汗腺が詰まって生じたニキビ、何かの拍子に出来た痣、が更に重なってくるとまたそれは違った様相を呈してくる。より個々の違いを見出せる情報との要素を強めてきて、そこに色の情報が入る事でそれは更に強化されてしまうはずである。
 例えばニキビ1つとっても、大抵の人は思春期にニキビが大なり小なり出来るとは言え、発生する場所がまず異なる。また、その経過も色々、すぐにつぶれて消えてしまう、あるいは何時までも長く残ってしまったり、ぶり返しの再発を繰返してしまう、とあるものだから意図的に生じさせる、また消す事は困難でありつつも必ず生じるもの、との要素も加わって次第に成される積み重ねの結果、それは個々をはっきりと識別する情報へとなっていく。
 よって仮にそれ等を情報、言い換えればデータとしてまとめられたならば、指紋よりもずっと分かりやすく個人を識別出来てしまえるものである。実際、そうした例は幾多とあるものだし、今後はより進展する可能性を十二分に有している、とすら言い切れてしまえるだろう。
 人は時としてそこに意味を見出そうとする。前述した内容はそれにデータとして着目した例、として挙げられ、古くから手相やホクロを使った占いと言うのは正にその活用の代表例である。生命線、結婚線、知能線云々とあるそれ等は正に、人の個々による違いに着目したデータ化であると強く出来る。
 だから彼もそんな伝統的であり、また何かとしがちな考え方でもあるからこそ、ふっと見かけた自らの体にある傷等に特に根拠はないまま、ただそう見えるから、と意味を与えて、また見出してしまうのかもしれない。

「あら、なんか、おおきいなぁ、これ。どこかで見た様な形してる、なんだったかなぁ」
 気付きの中でその形状がどこかで見た何かに通じる形であり、かつ手の平大の大きさを有しているのに戸惑いつつも、それが何であったかと考えを巡らせている彼はまだ、その段階に達せていなかった。故にその「勾玉」の様な形をした「痣」す「汚れ」が、その後に重大な出来事を引き起こすほどの意味を持っているとは、とても見出せていなかった。そして浮かべたのは、汚れかなにかではないか、との考えであった。
 彼はどこにでもいる大学生であった。別に内気でもなく、かといって社交性に富む訳ではないが、平凡であるからこその安定感の中でのんびりと過ごす日々を送っている。
 だからこそかもしれないが、彼は自らの周囲の変化には中々に敏感であった。その対象には己の体も含まれているものであるし、些細であっても友人の様子のおかしさだとかにも発揮されていて、その原因は様々であれど、何時もとなんか違う、とする事柄に対しての気付きは確かなものだった。
 その点で時には評価もされ、あるいはやや評判を落とす時もあったが概ね、良い方向に働いていただろうし、彼自身もそうであるのを疑う事はまずなかった。
 だから今回、ふと気付いた「痣」とも取れる何かに対してもまずは「汚れ」では、との前提で対処をする。幸いにして、その時にあった場所は浴室であったから、早速垢すりを手にとって洗剤を泡立たせて拭き落としにかかる。それだけ気付くほどに大きな汚れなのだからと、ごしっごしっと細かく強めにしばらくして、そのまま体の他の部位もこすって、さて、とお湯をかける。
 改めて視線を落とす時、そこにはこれで落ちただろう、との確信があったのは否定出来ない。いやむしろそんな気持ちだからこそ、そのまま躊躇う様子もなしに視線を落とし、そして脳裏に疑問符を浮かべたのだろう―「汚れ」が全然落ちてない、との気付きに、彼はしばし凝視を伴わせてしまう。
(うーん、これは…)
 明確な言葉にはしなかった。たた流れるシャワーの音を聞きながら、また下半身に当たるのを感じながら、巡らせて浮かんで来たのは当然とも言えるが「これは汚れではない」との認識。そして「汚れでないなら、そう、きっと何か別のものに違いない」と続いて行く。
 風呂場との環境がそうさせたのだろうか、それともただ気分的にそうしてしまったのかはわからなかったが、しばらくの自問自答の末に導けたのは全うなものだった。そう、これが「汚れ」ではないなら、何かの「痣」か何かなのではないだろうか、と。
 確かにある程度、理解できる範囲では納得の行くものだった。少なくともその場に用意された材料―何時の間にか体に生じていて、拭いても流しても落ちず、痛みはない、ただふとしたしこりの感覚だけはある、との特徴からは「痣」と判断するのが適当なのは大体が受け入れてしまうものだろう。
 だからその「変化」に対して、彼は一定の結論を自らの中で、やや不明な点があるとはしても受け入れてしまった以上、そこから先で特段の注意を払う事はなかった。
 もし、これが頬だとか露出が避けられないところであったなら、引き続き注意していたかもしれない。しかし、普段は服の下に覆われてしまい見えない場所であるからこそ、次第に彼は意識をしなくなって行き、次に見出すのはかなり先の時まで送る事になる。そんな「勾玉状の痣」の事なぞ、全く忘れてしまっていたのだった。

 そしてその頃、その国の別の地方でもまた同様な症状―要は体に生じた覚えのない「勾玉状の痣」―を見る者がいた。
 最もその者の場合、気付いてからの反応が異なっていたと言えるだろう。先ほどの彼の様に洗い落とそうとするとか、あるいは落ちないとわかってからも鷹揚に構える様な事はなかった。
 脳裏に浮かんだのはどうして、との疑問。そこには戸惑いが幾らか和えられていたもので、その背景にあるのは知識の有無であったと出来るだろう。
 最も具体的にどうすればいいのか、そこから先の知見はその者にもなかった。抱けていた知識も不完全で、半ば伝聞を聞きかじった程度であったから、本当にそれなのか、偶然似た形になったのではないか、との気のせいではないかと逃げる側への軽い気持ちに結局は寄って行ってしまったから、見立てと経過が違うだけでその場での結論としてはほぼ変わらない。
 しかしその前段における違いが後に、ふたりの運命を分ける事になろうとはその時にはどちらも分からなかった。そこにもう少しの縁があったならば、また異なったのかもしれない。しかし彼らに対して敷かれたレールは少なくともその時点では同じであったとしても、少しでもその事に対して関心を抱き続けて、対処しようと試みたか、が後に与える影響を知る由はまだない、そんなふたり、一瓶も加えれば三者が共有する時間にして瞬間なのであった。


 続
猫乃のクリスマス・第4話
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