「ねぇねぇ、文!」
「あら、はたてさん。どうしたんですか、そんなに勇んで?」
一方、彼女等が背景にしている妖怪の山。その中ではまた少女達、と言っても文と、そしてはたてがふとしたやり取り交わしていた。
「勇んでって、聞きつけたからよ。椛がスキマ妖怪の式神を山に入れちゃったんだって?」
「あら、そんな事があったの?」
「ちょっと、そう言う事ないじゃないの。文も一枚噛んでるんじゃない、だってほら…」
さも知らん、そう言わんばかりの返事に対してはたてが見せたのは新聞だった。見ると号外と銘打たれていて、その名前を見ればなるほど、はたてがわざわざ文の所にやってきたのも分かるものだろう。そう、そこには「文々。新聞」の文字があるのだから当然と言う訳である。
「あんたの新聞に載っていたから来たのよ、もう。ねぇこれって本当なんでしょ」
はたてが前に突き出したその新聞をしげしげと眺める文、そしてすっと伸びた手がそれをはたての手からすっかり取り去って、そして文の小脇へと折られて挟まれた。
「そうですねぇ…それより、この新聞どこで手に入れました?」
「えっ、どうしてって私の家に投げ込まれていたからに決まってるじゃない。何でそんな事を聞くの?あと勝手に持ってかないでよっ、幾らあなたの新聞だからってさ!」
そう言いながら文の小脇に収まった、ついさっきまで掴んでいた新聞、それを取り返そうと手を延ばすはたてに対し、文は上手い具合の距離を保ちながらこう続ける。とにかくどうやって手に入れたのですか、と。そして一言更にこう付け加えたのだった。
「この新聞、実はまだ配布前のものなのですよ…なのにどうしてあなたの家にあったのでしょうね?」
「あったものはあったのよ、確かに投げ込まれたわ」
「確かに、ですか。いやぁ気になります、私はまだ原稿を書き上げたばかりなのですが」
そう言って文がわずかにずれて示したのは机、それもその上にあるインクの香りもまだ新しい原稿であった。それははたての目で見れば明らかなもの、どう見ても刷る以前の新聞の元であり、基本、作成している鴉天狗以外がまず見る事はなく、また誰かに見せる物でもないそう言う代物がそこにあった。
つまり鴉天狗にとって原稿とは易々と他人に見せるものではない、それだけ重要な存在であるから、はたてが身を乗り出したのも当然なのである。細かく目を通し、記憶の中にある「文々。新聞」の号外と寸分違わない事、それを認識した途端、はっと文の方に顔を向ける。
その目は細められた口元をかすかに歪ませている顔は、どこかでは狼狽した色を隠しきれていない。しかし良い意味での「してやられた」との微笑がまたあり、否定しきれない、それ等の感情がない交ぜになった顔があった。
「文…」
「どうしました?はたてさん、それよりも私の質問に答えてほしいものですが」
「…」
ほんの少しの間、それを置かずとも浮かべられている対する文の得意げな顔と言ったら、もうそれはそれは見事。はたてが歯をかみ締めて無言でしばらくいるのも納得がいく表情で、何を言われても私は負けない、そんな自信に満ち溢れた、どう言う反応が返ってくるのか大変心待ちにしているのが明らかな表情であった。
「答えられないと言う事は…」
「…何か理由があると思ってるの?全く、素直じゃないんだから。要は私を呼び出そうとしただけでしょ?」
文はふっとした笑みを浮かべる、瞳は一旦閉じられて、しかしどこか嬉しそうに首を傾けつつ再び開かれた瞳が、より爛々と輝いているのが何とも満足している証だろう。
「その通りです、ご名答。なので特別にあなたには配布前の号外を差し上げたのです、はいお返ししますよ」
「それはどうもご丁寧に」
はたては改めて整えられた号外、それを受け取ると今度こそは取られまいとの具合に掴みつつ、再びその見出しに、続いて文へと視線を向けた。そして改めて確かめる、この見出しは、記事は事実なのかと。
対する文の返事はその通り、の一言だった。そしてあなたにも共犯者になってもらいます、その続く言葉にはたては動揺だとか、そう言うものを見せる事は無かった。むしろ面白い事に巡りあえた、と言う微笑を持って返していたのは言うまでもない。
「ま…私も記事にさせてもらうわよ?それが条件ね」
「ええ、一通り落ち着きましたら。何しろ私も驚きました、あの椛が規則を破って、それも人間ではなくスキマの僕を連れ込むとは、ね」
「わざわざそこを強調するって事は、実はそうではないんでしょ」
「そこを確かめるのが新聞記者でしょう、はたてさん?」
その通り、再びの無言での微笑みは、すっかりはたてがこの話に乗った最大の証。そしてそれは良いネタを見つけた時の鴉天狗の面々に共通して仕方ない、反応でもあった。
「いらっしゃいませ。あら珍しい…」
「お久しぶりです、ミスティアさん」
「失礼しよう、何、今日は呑みに来ただけだから」
そんな文のくれた―資料と言うのも硬いから案内としよう―案内と、お互いの腹の具合、そして記憶。この3点があわさって導かれた藍と椛がようやく立ち降りた場所、そこは夜雀ことミスティア・ローレライの切り盛りする八目鰻屋台。折りしも辺りはすっかり夜の帳に包まれて、夕飯を食すには最適な頃合となっていた。
勿論、夜の帳に包まれて間もない時間である。だからミスティアも屋台を開けて間もなく、ようやく色々と支度が整ったばかり。
だからそこにちょうどやって来たお客と言うのはタイミングが良いものであって、店主であるミスティアとしても中々気分の良いものである。
そしてそれが人間であっても妖怪であっても、彼女としては一向に構わなかった。だが、今やって来たお客、つまり八雲紫の式神たる八雲藍と山の哨戒天狗たる犬走椛、この接点がどこにあるのか、と思えてしまう組み合わせ。しかも2人だけで来る光景に思わず、戸惑いの色を浮かべずには流石のミスティアもいられない。
そしてどこか、何かは分からないが予感めいて胸を過ぎるものもあなかった訳ではない。しかしその鳥頭の前では、接客を始めるなりふとどこかへ跡形もなく、つまり過ぎった事も忘れ去った事も含めて消え去るのみだった。