それはシンボル・後編 冬風 狐作 ポケットモンスター二次創作
「次は・・・次は・・・」
 耳に届くだけの車内放送、もう目的の停留所がどこであったのか、そもそも今がどこなのか?
『書き込みは完了しました』
 その文字が表示された今となってはもう何もかもが終わった、そう満たされて終わったと言う心地だった。だからバス停の通過等と言う環境の変化は埃ほどの重さも備えていなかった、僕は成し遂げた、そうとうとうやったのだ!感嘆符が無い、そんな事は考えられない気持ちの爆ぜに無言のまま浸っていたのだから。
 不意に手が動いたのもそんな時、ファシスト式敬礼でもするかの角度で、しかしゆっくりと上へ動いた腕の指先はボタンを押した。次なるバス停へと止まるように、と。
 画面を見つめたまま、バスを降りる僕。走り去るバスの残した風と香り、そしてそれによって生じた空気の歪みを正さん、と言わんばかりの冷たい圧倒的な冷気がその場所の全てであった。
 道路とバス停以外は何も無い場所、まともな意識があったならどうしてこんなところに降りたのかと思った事だろう。だが僕はそのまま歩き出す、思う事も無く姿勢も視線も変える事無く、変わらぬ画面だけを見つめて雑木林の中を、落葉にくるぶしまで埋まりながらまるで何も抵抗を受けてないかの様に進んでいく。進み、歩み、かきわけ、その繰り返しの果てにようやく視線を向けた先にあったのは大きな波紋だった。
「ああ・・・答えたよ、応えよう」
 目の前は大きな池、そして手の中にはもう携帯の姿は無かった。ポツリと呟く僕はほんの数秒前に大きく腕を振りかぶり、携帯を波紋を起こす道具に変えている。故に波紋はまだ広がり続けており、岸に当って戻った一部と混ざり合って新たな模様を浮かべつつある。
「う・・・っ!」
 やや大きな漏らし、うめき声。不意に生じたむずがゆさは体にまるで十字架の様に走る、背筋、首筋、そして首周りとがなったのに続いて十字架であるから首筋から上の頭部の脳をも貫いたむず痒さは体から僕の明確な意識と意識的な力を消し始める。前傾姿勢はいよいよ極まり、目と口は自然と大きく開かれて舌は勝手に蠢く。それは脳に集約されているはずの力を操る、つまり体の随所を管理する機能がそれぞれ対応する場所に移譲されたかの様な具合だった。そして事実と必ず言えるのは咥内に大量の涎が、留まりきれないほどのそれが生じつつあるのを感じた事だろう。
 舌は自在と言うよりも回る様に動いた、と言うのが良い。ぐるっぐるりっと根元から動く範囲の一切がのたくり回って動き続けては涎を生み出し続ける。
(ああ・・・このままでは垂れて・・・!)
 そんな時にはっきりとした意識、何より恥ずかしいと言う気持ちが生まれたのは妙なものだった。すると何故だろう、いや何故かあのむず痒さは口元に及び、そして何だかその辺りが大きくなる様なそんな気配に捉われたのは。それこそ広がる、とも言える具合であって、例えて見るなら唇をわざと突き出させる様な感じだが限界として感じる骨の存在感、それすらもある事にはあるのだがまるで粘土の様な柔軟さを感じる。
 だがその感覚も次第にその咥内に溜まる唾液の生ぬるさで緩和されつつあった、むしろ一体化していると言うかそんな心地すらしてしまう。そしてあのむず痒さの最初に走った背筋、首筋、首周りへばかり何だか体の質感とでも言うべきだろうか、それへと集中していくのも覚えたのも相前後しての事だった。しかしあくまでも感覚として感じるだけで僕は何も出来なかった、ただそこにあると言うのだけは感じるだけで、そして時として応えなくては・・・応えなくては・・・と浮かんでは内心でそれにうなづくだけであったのだから。

 よってここでは外から見た視線、つまり第三者の視点と行こう。僕ではなく、彼と表現しよう。その体、即ち1人の人間の体はもうその時にはなかった、と言わざるを得ない。だが人影はあったと言える、前傾姿勢で腕を前に垂らしているのは衣服の形が証明していたし、その形が潰れていないと言う事は中身があると言う事である。
 しかし服以外の部分はぱっと見ただけでは見当たらなかった。よく見れば見える、そうその部分だけ向こうに見える景色の色合いがほんのり濃くなっていると言う形で。そう透き通っていたのだ、すっかりほぼ透明に近い色合いとなって透き通った体の存在を包む衣服が示している、それが彼の状態だったのだ。だから言ってしまえば唾液など気にする必要はなかったと言える、唾液も基本透明なのだから透明に透明が重なったところで透過する色がやや変わる程度で、基本代わり映えはしない。
 そして体はしなり続ける、もうただ前傾と言うには相応しくないほどに体の半ばは芯のある人ではあり得ぬほどに丸く曲がって、今にも崩れて全てが泡に消さん、と言わんばかりに。しかし中々そこまでは至らない間もしなり、丸みを強めてU字と言う形を極めていき楕円にでもなるのか、とすら思えた時、いきなりそれは弾けた、否、消失した。
 弾けたとは適当ではないかもしれないとは、確かにいきなり形が崩れて形を視覚的にはっきりと示していた衣服は辺りに散乱して、そのどれもが多いに水気を帯びてはいる。だが周囲に水玉が広がっているとか、そう言うのは無かった。つまり地上にて濡れ、水気を帯びているのは衣服と靴だけ、それ以外の冬場の乾燥した枯葉だとか地面は相変わらず乾いたままなのだからわざわざそう言うのである。
 そして残された衣服の類も次第に暮れて行く日差しと不意に吹き始めた強風の中で次第に、気侭と言う具合に周囲に散っていった。氷点下の夜には霜もつもり、そして落葉の残党、更には数日後にいよいよ降り始めた積雪の中に消えていくのみだった。

「・・・!」
 意識が不意に戻ったのはそれこそ、部屋の電灯を灯した瞬間に明るくなるのと似たような具合であった。そして物凄い爽快さに体が満ちている事を、何よりも周囲の環境がまるで自分の延長であるかの如く、体の内と外の差を感じない事を悟った瞬間だった。
(きれい・・・)
 そして目に入る光景を見て僕はふと浮かべた、青い、青く澄んだその世界と一体化しているのだと理解して。
 脳天より背筋を経てその先・・・鰭まで達する一直の神経の存在。それは鋭敏に動き、些細な動きの変化にも反応してその大きな尾鰭は水を掻き分ける。当然、そこまでの鮮やかな動きは無いものの顔についている3つの鰭、更に首と頭の境を一周している巨大な膜は尾鰭が動くのに必要な情報、水の流れだとかそう言う物を感じ取り伝えていく。そして水の中を自在に泳ぎ回るその姿、僕。
「・・・シャワァ・・・!」
 一頻り駆け回った僕は勢い良く水中から跳ね上がると、そのまま地面に着地し体を大きく振るう。透き通り気味の水色、そして顔の部分に帽子とも髪の毛とも言える具合におかっぱ頭に切れ込みを入れたならそうなるかも知れない、と言う具合の境目の向こうにはより濃い藍色に近い青が載っている。
 その上には癖毛の様に流線型の形で飛び出した部分があり、それと頭部は白と肌色の間の様な色合いで筋を持った膜がぴんと張って間を埋めている。顔の周囲に走り広がっている、より白に近い膜の後ろは首、そして胴体で前足と後足の四足が地面を付いて、その背筋に沿って走る顔と比べれば微細な藍色だけの鰭を載せた大柄な体を支える姿は、そうもうある1つの単語しか当てはまらない。
(シャワーズ・・・の鰭、か)
 端麗に整った顔にある小さな藍色の点、そう鼻先をつんと上に向けたその大きな瞳を通じて薄曇の空を見上げながら僕は改めて反復した。
(シャワーズの鰭を取るとどうなりますか?それは、恐らく鰭になると思いますってね・・・何故だか分からないけど応えられたから良いや・・・ふふ)
 最後に1つ書いておかねばならない、そうあのスレのもう1つの特徴を。その問答に挙げられる、冒頭での例文の「××」にあたる部分に入る単語は、それだけで「○○」に該当する物のイメージが出来ると共に絶対に取り外すのは無理、あるいはそんな事したらその存在している意味や理由がなくなってしまう、と言うものばかりが連ねられていたのだ。だから「ドーナッツ」は「わっか」で、「近眼用眼鏡」は「レンズ」で、そして「シャワーズ」は「鰭」だったのだ。シャワーズの鰭が着脱式なんて、それは有り得ない。水に限りなくその身を溶かす事さえ出来ても取り外せるのとは全く次元が違うのであるから。
(ああ・・・ようやくあのスレの事が理解出来たな・・・ああ、お腹空いた・・・っ)
 僕はそこで不意に空腹であった事を思い出した、そして浮かべる、そう言えば先ほど魚の群れを見かけた事を。
(・・・食事にしようかな、そうしよう)
 人ではなくなったのは強く理解していた、だが何故かそれを悲しいとは思わなかった。いや思えなかった、何故なら微塵にも浮かばなかったのだから。それよりもお腹だった、そう食べ物を・・・探していたのに何をしているんだろうと、内心でほんのり笑いつつシャワーズは再び水の中へと戻った。
 強い強風、そう岸辺に残った衣服を吹き飛ばし始める風が吹き始めたのはそれから間も無くの事だった。そしてあのスレでも、また新たな書き込み、そう「A」の書き込みがされたのもそれ位の事であった。
 その名を「不可能を可能にして見よう?」とするスレ、それに常々人を誘い込む新たな書き込みを続ける存在は水ではなしになまじ証拠が残っていると言うのに、電脳の海の果てにその姿を見出す事は出来なかった。

「シャワーズの鰭を取るとどうなりますか?」

「恐らく、シャワーズになります」


 完
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