僕だけの秘密・後編 冬風 狐作 ポケットモンスター二次創作
 では脇の方はどうだろう、今の今まで擦られていたその場所はどうなっているのだろうか。すぐそばを相変わらず擦り続けている事から何らかの影響はあろうが、完全にそのまま同じでは有り得ないと考えられるだろう。少なくともわずかを除いて元通りの肌色に戻っている、それが普通のあり方と言うものであろう。
 しかしそうではなかった、その通りにはなっていなかった。もう擦られなくなって大分経過しているのに、まず言えるのはそこもまた色に相変わらず染まっていた事。当然肌色ではない、そして今正に擦られている場所の見方を変えれば生々しい赤色ともまた違う、橙色に染まっているのだ。
 それらは捩れる、つまり表側を擦っている動きにつられて肌が動いているのに過ぎないのだが、その影のつき方もただ単に皮膚が動いているのとは違い、より谷間のある影とも言える物を伴っていた。そしてそのひとつひとつの動きがどこか厚みを伴っているそれは、皮膚の上にある何か、そう濃密な厚い体毛の表れだった。少なくとも髪の毛とも違う質感を纏っているそれは流れるのではなく、もふっとしてその部分に纏われていた。
 またそこだけに留まらる物ではなかった。同時に擦られていたもう片方の脇にも、ほんのつい先程まで擦られていた腹部から胸にかけての箇所にも、じわじわと広がりを見せていたのだ。白い電灯に照らし出される肌色が肌色から赤色に染まった後、影を持った無数の微細な毛によって橙へと次第に移り変わっていく様がありありと見えてならない。だが彼がそれに気が付いている節もまたなかったのも相変わらずである。
 むしろその手の平は未だに、どういう原理で引き起こしているのかは皆目見当がついていない。だが場所を変えて首筋から鎖骨にかけての首筋を今度はしきりに擦り始めている一方で、胴体の表側に広がった橙色の体毛は脇のそれと互いに求め合う様に近付きつながっていくのだ。これほど変容と言う言葉が相応しい光景はまず有り得ない、当たり前の事だがそう思わずにはいられない光景だった。
「あ・・・ううんっ・・・熱を・・・っ」
 だがこれが現実でなかったら何なのだろう、ここまで質感、そして現実感のある光景が夢で有り得ようか?少なくとも無いと信じたい物である、何故ならこんな夢を毎晩見続けたら寝るどころの話ではないだろう。大概の場合、悪夢に違いものと捉えられるのはかなり必至ではなかろうか。
 この頃になると再び目が開かれ始めていた、傍目から見ても余裕は少しは出来てきていたのだろう。だがそれは完全に正気ではないのも相変わらずで、うわ言の様に呟きつつ自然と体勢は変わっていく。再び全身をベットの上に戻すなり四つん這いとなって、低く唸りくっと首を上げて震えた瞬間、何か静かで耳に付く音が聞こえる。
 例えるなら笹の葉のこすれあう音と言ったところだろうか、カサカサッと言う音自体は小さい物の耳にふと残るが部屋の中を見渡しても風等の気配は一切無い、それどころか動きすらも唯一の例外を除けば全く見られない。言うなれば、四つん這いになっている彼だけがこの空間で唯一動きを伴っている存在なのだ。耳を傾ければその方向から先程の音は響いてきている、では続いて視線を向けてみればどうだろう。
「あ・・・あ・・・」
 音の正体は剥がれていく皮膚だった。正確に言えば表皮と言う辺りであろうが先程まで汗ばんで湿気を持っていた筈の皮膚は急速に乾燥し、至る所で粉が吹いて無残な様相を呈している。そしてそれらが、体が軽く震えるだけと言う些細な衝撃によって剥がれ落ちていく時に発せられる音こそ、先程から耳についていた微かな音なのであり、剥がれた場所にはあの橙、そう橙色の体毛が薄っすらと芽生えたかと思えば次第に伸びては濃密になり・・・と言うのを繰返していたのだ。まるでこもっていた熱が逃げ場を欲して、水をパンパンに入れても尚注ぎ続けると袋から染み出し、そして破れるが如くの光景だった。
 そしてその剥がれると言う現象が起きていたのは手の平で擦られなかった、例えば背中とか腰から下の両足、顔、そして両腕と言った場所なのである。その様にされていた素手に上げられている部位ではその様な現象は見られずにただ生えてくる、即ち落ち着いている場所である。だがここで少し前の説明を思い出してほしい、そう皮膚を擦り合わせる事は即ち発熱を伴うのを、そしてやり過ぎると擦り合わせる面同士が疲労し皮膚の場合は、垢ではない皮膚組織までが垢となって剥がれてしまう所に。
 よって彼がひたすら手の平で擦っていた脇、そして胴体の表側で起きていたのはそう言う事なのだ。変な音も乾燥も見た目の異様さも確かにそこにはない、しかし摩擦による破壊で表皮が破壊された所で無数の体毛が生え揃うと言う点では全く同じ結果になっていた。だから今やもう彼の体は殆どが橙色に染まっている、ただ違うのは首周りの厚みの部分だろうか。そこだけは黄金色とも言える色になり、表から背中側にかけて上から見ると炎を象った様な自然な形をして収束する様に伸びている。

「はあ・・・あ・・あ・・・」
 橙色に黄金色、その2色が今の彼の色であった。皮膚ではなくその上に濃密に生えた厚い体毛の色でもあった、そしてそれが中に包む肉体も変容からは逃れられなかった。その見た目の変化、体毛が生え、更にそれに色が付いていると言うその変貌振りに目が奪われている中で、厚みのある中で体、つまり骨格も変化していたのに今になって気づく事になったのもまた仕方ないと言えようか。
 軽く前へと突き出たほんのり黒い先端の鼻。縦に楕円の人らしい耳の面影はない幾らかの棘の様な盛り上がりを内側に、そしてもう一方の外縁は滑らかな弧を描きいては、交わった先で長く鋭角に果てている黒に橙の縁取りの米神付近より出でた耳。額には首周りほどではないが矢張り炎を思わせる、勾玉型の黄金の毛の塊が鎮座しているのも見逃せないだろう。
 そして大きく言えるのはコンパクトにまとまったその全身ではなかろうか。サイズ的にはあくまでも人と比較してであるが先程まで占めていた、ベッドの半分のみを占めるまでに縮んだその体より伸びる四肢は、全て同じ方向に横倒しになる様に投げ出されてそれらは全てが、その文字にふさわしい「肢」となって前肢の直線振りと後脚の屈折振りの違いこそあれど、手の平であった所には桃色の肉球がたたえられ橙色の中での存在感は強い物がある、そんな姿が転がっていた。

  「さてと今日も寝るか・・・んっ」
   部屋の鍵がしっかりと掛けられているのを確認すると僕はそう呟く、寝間着の脇に手をかけて脱いではきれいに畳み机の上に重ねて置くとその上から1つのチューブを手に掴む。そのチューブは無機質な、いかにも金属製と言う雰囲気を漂わせた銀色をしている物で、少し汚れてはいたがは貼られているラベルの姿も見受けられる。
「さってと・・・満遍なく・・・ね」
 キャップを外して手に力を入れると透明な内容物がにゅるっと、然したる抵抗も無く外に押し出されてくる。左手の上に軽く持ったそれをチューブを置いて空いた右手とあわせて、念入りに擦り合わせて満足いくまでに広げた物を胴体へと塗りつける。そう呟き通り満遍なく、胴体、両腕、両足に首から顔へと全身に塗り込むのではなく擦り込ませる様に、何かを塗ったと言うのを感じさせないほどに徹底して回していく。
「よしこれで・・・」
 その一連の動作と言うのは傍目から見ると特に苦はなさそうに見えるかもしれないが、ただ塗るのではない事から実の所はかなりの労力を要し当然ながら汗をかく。しかしこのクリームはワセリンが蒸散を抑える様に、汗腺を塞ぎ発汗を抑制する作用を持っている。故に汗は次第に止まるのだが、それはあくまでも押さえ込むだけで体内に本来であれば汗によって発散される熱を溜め込む、と言う事にしかならない。結果として汗は無くとも息苦しさは募る、そして体を動かすから熱は体内で何とか発散される以上に生産は続き・・・息苦しさは次第に圧迫感へと発展していく。
 だから僕の息は次第に荒くなっていく、かすかに頭も痛くなっていく、しかしどうしてそんな事にいたるクリームをわざわざ僕は自らに塗るのだろうか?そしてその最中も密かに笑いを湛えているのだろうか?それはこの苦しさの後に来る物が、それらを上回る事であるからに他ならない。
「く・・・はあっ・・・」
 そして大きく頭を揺らして一息を吐く、その時だった。一気に汗が噴出したのは、そしてそれと共に無数の毛穴から橙と黄金が噴き出たのは。骨格も変わっていく、髪の毛は額に集まって黄金に染まって形が整えられていく、手も足も顔も何もかもが変わっていく。だが長い時間の事ではなかった、少なくとも僕は正気を保っていて、次第に緩和されていく熱による苦しさと引き換えに生まれる余裕と息のし易さで、大きくその体を使って伸びをするほどまでになっていた。
 だから時間も大体どれ位か掴める様になっていた。およそそれは2分程度、その間に全てが変わってしまうのだと。そして全てが終わった時、僕はその新たに整った体の具合を見る様に四肢を床について立ち上がり、体を大きく震わせる。そしてそう広くはないその部屋を軽く走ってから、跳ねてベッドの上に乗りまた飛び降りてお座りをして一休み。その姿だけを見たなら誰もが思うだろう、トレーナーのいない部屋でボールから出されたままのポケモンが、ブースターが1匹だけで遊んでいる姿なのだと。そして決してそれが僕、つまり実はトレーナーだと言う事には気が付かないはずだ。
 そしてお座りの姿勢のまま耳を掻いてしばらく過ごす。変化の途中では苦しいだけであった体の中の熱さも今や普通で、胸の付近にある炎袋の熱さに思わず誘われて"かえんほうしゃ"をしたくなるが、流石に火事になったら危ういので何とか抑える。
 それに下手に何かをして母親に勘付かれでもしたらそれは中々厄介な事になってしまうというのもあった。何故なら僕の手持ちポケモンにブースターはいない事を、母親でありながら今尚、現役のポケモントレーナーである彼女は知っているからこそ、どうしてブースターが?と勘繰られたくはないのだ。何よりもラベルに「R」の文字が赤く印刷されたチューブを所持しているのみならず、そのクリームの力によって息子がブースターに夜な夜な変身して暖を取りながら寝ている、等と言う事は余計に知られたくはない。

(ああ・・・でも今日は・・・)
 だが今日は久々に少しこの体でやんちゃを不思議としたくなってならなかった、明日は休み。どうせ基本はこの部屋で何かしているのなら、何時もと違うすごし方をしたいと・・・休みの日を日長一日寝間着で過ごすのと同様に、この湯たんぽ代わりとも言えるブースターの姿で過ごすのはもう定着した休日の過ごし方だったが、それに一味だけ、別の味が欲しかったのだろう。そして思い立つなり僕は、机の隣のモンスターボール入れの所に向かっていた。
 カチッ・・・
 そしてその中の1つボールのボタンを鼻で突付く、ポケモンが突付いても開くと事に気が付いたのはこの体を得てからの事だったからこそ意味があろう。そしてボールが開く時の赤色交じりの独特な閃光の後に、僕とは別のポケモンが隣に姿を見せていた。
「ブース?」(調子はどう?)
「シャワワァ・・・!」(うん、ばっちり!)
 そう普段はトレーナーとして僕が接している相手がそこにはいた、青と水色の、僕よりもずつと大きなシャワーズの姿がそこにはあった。しばらく2匹として鳴き声を交わしていた僕らは近付いて・・・次第に静かになっていった。そして寒さと夜もまた深まっていき、鐘の音が響いた。


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