要石〜後編〜冬風 狐作
「一体、どうしたんだよ・・・。」
 見張り役の船員が目を覚まし驚愕していた頃、もう1人の船員が同じ境遇に置かれていた。その者の名はミサト、そして正確に言えば船員ではない。ニビの石切り場からセキチクの注文主の所までそれらの石材が無事届くのを見届ける役目の監視員、何せ積荷の石材と言うのが極めて高価な代物で産出量が絶対的に希少な物。
 それでいて脆く傷付き易いと言うのだからその輸送には細心の注意が常に払われており、長年に渡って損傷を最小限で済ませられる様に配慮した梱包方法等が研究されると共に、扱いに手慣れた者が石切り場から注文主の所まで石材に付き添っていくのは、事前に前払いで多額の金銭を受取っている手前、当然かつ必須の事とされている。
 ミサトはまだ二十歳を過ぎたばかりの若者である上に、この業界では珍しい存在の女性であった。その為、彼女の事を良く知らない者からは信用ならないだの何だのと文句を言われ、良い目では見られていなかった。
 だが町の有力者の娘でありながら利発で活発であったミサトは、幼い頃からしょっちゅう屋敷を抜け出すと言うお転婆少女。抜け出して向う先は常に近所の石切り場、どうした訳か他の子供たちの様にポケモン等に興味を持つ事は無く、石切り場にて働く労働者や運び出される石材を見ている内にそれらに強い関心を抱くとまずはその手の本へ。そしてある程度の知識を得るとそれを元に休憩中の労働者達の所へ飛び込み、話を聞き時には意見を戦わせるのが日課となっていた。
 そうして回っている内に彼女の柔軟な若い脳には、本に書かれた知識と現場の知識によって独自の石に対する見識が育まれていった。そして労働者達の間でその事は評判となり、やがてミサトはまだ十代だと言うのに学校が休みともなると両親には、マサラなりトキワに住む友人の元へ遊びに行く等と言って家を抜け出し、ニビの街中を通らずにマサラの港へと続く街道に直結している石切り場に身分を偽って勤める様になっていた。
 この事は仮に両親にばれたら恐らく、まず大目玉を喰らう事は間違いない。下手をすれば雇った石切り場が父親の圧力で閉鎖されてしまう可能性すらある。身分を偽ったのはその対策で、少しでも自分のした事による波紋を最低限の範囲に押し留める為でもあった。そしてその石切り場においてミサトは、頼りになる助っ人として重宝される様になり最初は普通に働いていたが、その内に現場監督の補佐、次いでは品質検査の主任まで任されるに至った。
 これらは彼女の見識を実践的に深めると共に、ミサトに対する信頼を強めさせると言う効果を持ち合わせていたので、それがもたらす物は双方にとって満足の行く結果だった。そしてそれが積み重なった結果として彼女は一昨年に、初めて石材輸送監督を任された。その重責を見事に果たした事で評価はうなぎ上りに上がり、昨年も引き続いて今年も任されたと言う訳である。

「とんでもない事になってしまったわね・・・どうしよう・・・。」
 だが今それは果たせない事をミサトは痛感していた。波の音がこだまする深夜の岩礁、霧は次第に薄くなってきたが船の姿は何処にも見当たらない。足の先は水に使っている、今はどうやら満潮ではないようだ。それゆえか海面のあちらこちらからは岩礁の最上部が露出しており、波も穏やかである。
 正直どうして船が難破したのか彼女には分からなかった、そもそも船内では彼女は眠っていたのだから当然だろう。気が付いたら冷たい海の中におり、何とか泳いでこの岩場へと辿り着いたのだから。恐らくかなり流されてしまったのだろう、また今いる岩場も安心とは言えなかった。見た所腰掛けている辺りにはフジツボが付いており、それは頭の上の所にも姿を見せている。
 満潮時には恐らくあそこまで海水が来るのだろうし、ここは干満の差が非常に激しいとも以前に船員達から教えられた事を覚えていた。山育ちで泳ぐのに不慣れな彼女はとてもそれには耐えられないだろうし、そもそも屈強な海の男達ですら耐えられるかどうかと言う代物であると言う。言ってしまえば絶体絶命、ミサトは自分の不運さを呪うと共に自らの軽率な行動を深くその場で反省した。だが同時に今は反省している所では済まされないことも痛感しており、何とかして潮が満ちても安全な場所を探すのが先だと思うに至っていた。
 それを受けてミサトは静かに足を前方の、最寄の岩礁へと踏み出す。靴を履いておらずふやけた足にはその岩肌は痛いが贅沢は言っていられない、とにかく進み辺りを彷徨う。わずかにしか動いていないと言うのにもう痛みが走る、ふと見れば出血していた。そこから海水が染み込むのだから痛くてたまらない、まるで身が裂かれる・・・そんな感じすらする。
 それでも歯を食いしばって彼女は歩みを止めようとはしなかった、だがしかしそれは間も無く終わりを迎えた。ある一歩を踏み出したのと同時に唐突に終わりを・・・そう彼女の足の先には大きなフジツボが鎮座していたのである。それを知らずに足を下ろした瞬間、ふやけた足の裏の皮膚に見事に突き刺さり鮮血が溢れた。その途端に激しい、この世の終わりとばかりの絶叫が響き渡って気配が消えた。
 その体は岩礁の上にて斜めになるとそのまま海へと落下したのだ。小さな水音が響くが辺りの波音と一体化して消えたのと同じく、ミサトの体も海面へと没し見えなくなった。あたかも水と一体化して溶けてしまったと言う様な感じすら感じられたのが何とも奇妙なものだろう。事実、その体は沈んでいく途中で行方知れずとなってしまったのだから。

 それからわずかばかりにしか時間の経過していない頃、岩礁の地下にある答辞はまだ誰もその存在を知らない巨大洞窟。暗黒の世界である筈なのにぼんやりと赤い光に満たされた摩訶不思議なその空間には、空気こそあったが流れは無く、この洞窟に閉じ込められた時のままの状態を保っていた。勿論、水もある。こちらも空気と同じく流れは見られず波も無い、そして海と繋がっているのにどう言う訳かそれは真水であった。唯一動きがあると言えはそれば音、ゴウゴウと言う小さな響きが響いている。
 原始の空気と原始の真水、動く者もそもそも空気と水と空間、そして静かに響く音しかないその場の真水の中に浮ぶ島。この巨大洞窟の他の陸の部分とは完全に孤立した台形型の孤島、その平面な大地の上にはある見慣れぬ物、つい先程までは存在しなかった物が横たわっている。それは人間、そうミサトの姿だった。足の裏の出血は止まったらしく傷があるのみだが、全身はすっかり海水で濡れており死んでいるかの様に固まっていた。
 だが注意深く観察していると彼女は本当に細く息をしていた、そしてしばらく見て待つと本当にわずかだがその足が痙攣した。生きている事がわかったから一安心、と行きたい所だが場所が場所な故簡単にはさせてはくれない。そもそもどうして彼女がここにいるのか?その様な疑問が湧いてくるばかりか・・・何と、あの先程の小さな痙攣を機にその岩場が、唯一赤く染まっていないその岩場が色に染まり出したのだ。その色は白、何処か神々しい色である。
 同時にミサトの全身をちょうど包み込む形で円形にその平面部分だけが濃い水色に染まる。その内側にも新たに小振りの円が出来、その間と中には複雑な幾何学模様が描かれ始めた。それは正しく魔方陣、そう俗に言われる円形のサークルであろう。
 そして他の白と共にその濃い水色も形の通りに垂直に天井を照らす。天井と台座の2つのサークル、両者を繋ぐ光の柱に半ば串刺しにされた格好のミサトの体も次第にそれらの色に染まり始めた。その体を染める色は2つの色の中間的な薄い水色、仕舞いには毛髪までもそれに染まりあたかもクリスタルの像とでも見間違うばかりに成り果てていた。その後変化はそのまま一旦停止する、その状態を何れもが保ったまましばらく静かに・・・。

 次に動きが再開されたのは数刻も経てからの事、不意にすっかり様相を変えたミサトが立ち上がったのだ。勿論目を見開いて、だがその開かれた場所にあの茶色の瞳は無かった。白目も黒目も関係無しに体と同じ薄い水色に染まり中より光を放っている、ただ動いた以外には一言も発する事無く中央の濃い水色の光の柱の中に直立する。途端に光が強まり、あまりの眩さに思わず目を細めなければならないほどに光は急激に増強されミサトの姿も一時的に見えなくなった。だが次第に弱まり適当な所でその光は安定し、まるでその中にて直立しているミサトをライトアップしている様にも受け取れる構図を演出していた。
 それからもまた以前の様に動きは全て止まったかのように見られた。しかしそれは事実ではない、よくよく見れば静かに動きはあったのである。その動きはミサトにあった、一週間もするとその両手は手で無くなっていた。一対の翼であろう、見事に鳥毛で包まれた見事な翼。心成しかその翼はわずかに濃い水色と他の全身を覆う水色に分かれているようである、そして更に一週間もするとその顔と首と胴は癒着して一体化する。
 髪の毛は同時に3つの三角の塊へ纏まって頭部を覆っており、その口の辺りは嘴となっていた。足も人の物から鱗があり、前に3本、後に1本の鳥の足へ・・・その鳥特有の鱗に覆われる足の部分のみうっすらと水色の掛かった濃い灰色に染まった。言ってしまえば鶏の足の様な感じである、ただその寸法と色は大きく異なるのだが。
 そしてもう一週間で体は新たに出来た各部位に適合する形へと変容し、その姿は一羽の大きな鳥。長い頭部の3つの塊と同じ色合いの尾も出来る頃には、最早それが人であったとは思えない。完全なる鳥、これまで見た事も無い明らかに普通の生物とは異なる姿・・・恐らくこの世界では新種のポケモンなのであろう。

 そして魔方陣が発動してから一ヶ月が経過した日、それは目覚めた。夜明けを告げる雄鶏の如く、鋭い鳴き声と共に。
「ピィィィー!」
 しばらくそのまま固まっていたその鳥は、鮮やかなやや濃い色合いの水色と胸元の白がアクセントとなった体を震わせて鋭く鳴く。すると鳥を包み込んでいた光の柱が瞬く間に渦を巻いて拡大し空間全体を覆いつくす。すると大きな震動が洞窟全体に走り何もかもが激しく揺れ動く中、その鳥だけは光を放ってその場で微動だにしなかった。どれだけ続いたのだろう、永遠とも感じられる震動が止んだ瞬間、空間は一瞬の完全なる闇に転じた。その中で唯一光を、白く、そして薄水色を乗せた光を放つその姿は神々しいと言う外に言葉はない。
 そして震動が止んでからのわずかな瞬間を置いて、頑として閉じられていた瞳が現れた。その瞳は体とは対照的に真紅の赤、これほど鮮やかな赤は早々お目にかかれるものではなく、まるでルビーの様に燦然としてその場に君臨している。
「ピィーウルルル・・・。」
 瞳が開かれたのに続いて鳥は先程の目覚めの一斉とは対照的な柔らかい鳴き声を響かせる、すると今度は空間全体が薄水色に染め上げられた。そう全てが氷に覆われ、氷が静かに光を放っているのである。見える範囲の構造も変わっていた、その中で鳥はその場に静かに存在して行く。巨大な鳥・・・いや、この時点ではまだ誰もあずかり知らぬ未知の鳥ポケモンとして・・・後にフリーザー、伝説のポケモンと呼ばれるそれは何時までもそこから動きはしなかった。
 唯一例外として何者かが侵入してきた時以外はそこに留まり続けたのである。

 一方、その頃地上でも大きな変化が生じていた。何の前触れも無く発生した巨大地震と共に何とグレン島の噴火が止まったのである。同時にふたご岩礁も姿を消し、新たにそこには一つの島が現れていた。その2つの山を持つ島は岩礁から引き続いてふたごの名を拝命し、ふたご島と誰彼も無く言った。難所の消滅は潮の流れを変え、その水道はわずかな時間にして平穏な海域へと変貌し以後海難事故は発生する事は無くなった。
 やがてふたご島、そしてグレン島には人が住み着き港が開かれ大いに束の間の繁栄が繰り広げられた。しかし機械文明の発達と浸透による陸上交通網の整備、そして航空機の登場によって水道を行き来する船舶は激減した。静かになった水道とふたご島の大洞窟には無数のポケモンが住み着き、それを求めて新たに登場したポケモントレーナー達によって別の意味での賑わいが訪れる・・・しかし、それは応じの賑わいにはとても敵いはしない。
 そしてそれもやがては廃れていくのである、ふたご島洞窟からのフリーザーの消失の噂とそれが事実であったと言うニュース、そのすぐ後に起きたグレン島の活動再開をきっかけとして。その事を知っていた誰もが思ったフリーザーがマグマを押さえていた、マグマを押さえる要石として大洞窟の底にいたのではないだろうかと。それが捕獲され失われた今となってはマグマが大人しくしている訳が無い、それ故にグレン島は噴火しマグマの圧力が抜けた事で、ふたご島の大洞窟は崩壊したのではないかと確証も裏付けも無いのに実しやかに囁かれた。
 一部ではフリーザーを戻すべきだと言う者もいた、だがあの大洞窟は失われてしまっている。仮に奥深くに残っていたとしてもどうして入れば良いか分からない、無駄な事だとその様な意見はすぐに誰も考えなくなっていた。

 誰もが噂し、何時しか新たな伝説としてそれは歴史に刻まれ語り継がれた。だが、対照的に海運で賑わった記憶を思い出すものは誰もいなかった。当然、あの不可解な難破事故と唯一の行方不明者の存在も誰も。


 完
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