月日は流れ、彼女は大学を卒業し大人として人間社会の中で独り立ちして行った。以前と比べると共にいる時間は少なくなり、彼女が私を頼って来る事も少なくなった。それでも、私は静かに彼女の傍に居続け、彼女も私を必要として続けた。やがて彼女は恋をした、彼女も相手も互いに好意を抱いていたものの、お互いが引っ込み思案であるが故に一向に話は纏まろうとはしなかった。2人の想いを嗅ぎ取った私は裏で環境を必死で整えて、そして告白させる事に成功させた。
あの時の満足感ほど生涯に味わった中で最高のものはなかった。やがて2人は結婚し子供を数人作った。子供達は幸福の内にすくすくと育ち、やがて何時の日かの彼女の様にそれぞれ社会という海の中へ散って行った。
数十年後、彼女の夫は彼女を置いて先立った。彼女は悲しみ嘆いた、当然であろうあれほど深く愛し合っていたのだから、流石の私もこの事に対処する術を持たずただただ彼女の脇で佇むほかは手が無かった。
孫が生まれ、曾孫が生まれ彼女は相当な年になった。私もそれに従って時間を歩み、この日々が永遠に続くのではないかとの錯覚さえ覚えだしたある日のこと、何時までも部屋から出てこない彼女の元へ行くと彼女は部屋のベッドから立ち上がった所で倒れていた。
「どうしたんだっ!?」
動転して人型になった私の呼びかけに彼女はわずかに、唇を動かしただけだった。
"長い間、一緒にいてくれてありがとう、時の旅人さん・・・。"
ゆっくりと不明瞭ではあったが匂いと動きから私はそう読み取った。そして、心の中で何か熱い感情が炸裂し、衝動の余り私は彼女の体を、すっかり弱り年老いた体を強く抱きしめていた・・・
「ひいばあちゃーん、こんにちはー。」
「はい、こんにちは・・・・おやおや、こんなに大きくなって・・・。」
数日後、その家には遊びに来た曾孫達を元気に迎える彼女の姿があった。曾孫の一人が気がついて言う。
「ひいばあーちゃーん、こんこんどうしたの?」
「そうだよ、こんこんどこいるの?」
実を言うと曾孫達は狐が大のお気に入りであった、遊びに来れば寄りかかったり上に乗ったり尻尾を引っ張ったりと好き放題にして遊べ、その上あのふさふさした毛がたまらなく好きだったからだ。
「こんこんはねぇ、いまお散歩に行っているの・・・だから、今日はここにはいないのよ。」
「そうなんだ・・・。」
ひいおばあさんにそう言われて曾孫達はひどく落胆した。そんな曾孫達をフォローする様にひいおばあさんは続けた。
「だから、今日はひいばあちゃんが遊んであげるよ〜。」
「本当?やったあ、ねね何して遊ぶの?」
曾孫達はすぐに気分を変えて、今度はひいおばあさんと何して遊ぶかという事で元気に騒ぎ始めた。それを見て、ひいおばあさんは、そして彼らの両親は嬉しそうな笑みを浮かべていた。
その日の夜、子供達を眠りに就かせると彼らの両親と祖父母はひいおばあさんの部屋へと集まった。誰もがもうその事を知っていた。ひいおばあさんは死んだ、という事実を。そして部屋の中にはひいおばあさんの姿は無く、人型となったヨシミの姿があった。
「ヨシミ、今日はありがとう。」
曾孫達の父親、つまりヨシミにしてみれば主人である彼女の孫がそう言った。
「そんな事はありません・・・私はただ成すべき事をしただけです。」
遠慮がちに言うヨシミに対して今度は曾孫達の祖母、つまり娘が続けた。
「そんなことはないわよ、ヨシちゃん・・・本当に今日は助かったわ。楽しみにしていたあの子達を悲しませる事が無くて済んで・・・本当にありがとう。」
と深く例を述べる。
「で、今お義母さんはどこにいるのだ・・・ちょっとわからないのだが・・・。」
曾孫達の祖父、つまり娘婿が不思議そうな顔をしてそう言った。すると、ヨシミは額にまいてあった包帯を取ってある場所を指差した。
「ここに・・・私の中に彼女は・・・主人はいます・・・。」
そこにはヨシミのやや茶色かかった瞳とは違う、漆黒の瞳が縦になって1つ額の中心にあった。何もかも見透かす・・・そんな雰囲気の醸し出されたその目は、何とも不思議な印象をその場にいる人間全員に与えた。
「普通のワイルドハーフは基本的に獣型か人型の何れしか取ることは出来ません・・・しかし、主人を体内に得、人狐となった者にはもう1つ・・・普通の人の姿を取る事が出来るのです。また、その使える能力も格段に向上・・・ワイルドハーフでも人間でもない完全なる別の種へと進化するのです・・・。」
静かに事の詳細を語るヨシミにその部屋にいる者全ての視線が釘付けとなった。それでも、ヨシミは続ける。
「ここで1つ、主人を取り込むという行為は基本的に主人の死、そしてその亡骸をワイルドハーフが食べる・・・それによって成し遂げられます・・・しかし、私の場合は・・・これまで一度として聞いた事はありませんでしたが・・・彼女への想いによって彼女を取り込んだのです。物理的なことは一切介さずただ彼女を想う精神的なことによって成されたのです・・・。」
辺りの様子を伺う様にヨシミは一呼吸置きそして言った。
「これは極めて特殊な事です・・・それにより、彼女の魂つまり精神は私の中へ、そして肉体は抜け殻として残り、あそこにあるのです。」
とヨシミが指差した先のベッドの上には彼女の、ひいおばあさんが何とも幸せそうな表情を湛えて眠っていた。
「わかった・・・事情は良く分かった。本当にすまない・・・。」
と孫である男は下を向いたまま呟いた。
「これからどうするつもりなの?ヨシちゃんは・・・。」
続けて娘がヨシミに問うた。ヨシミは一瞬言葉を詰まらせて、静かに答えた。
「私は・・・旅に出ます、彼女との主人との長年の約束でしたから・・・共に世界を時間を旅しようというのが・・・それをこんな形とはなってしまいましたが果そうかと考えています。」
「そうか、ではおばあさんの扱いはどうする?孫達にどう説明すればいい?」
「適当な時期を以って葬式をお願い致します、ワイルドハーフと違い人の体は長く生ける様には出来ていません・・・享年128才、見事な大往生という事でお願いします、これは彼女の願いです。」
一同は一瞬その言葉に息を詰まらせた。そして、
「わかった・・・おばあさんの遺志なら仕方が無い・・・最もヨシミの意見だとしても我々はそうするよ・・・。」
「ありがとうございます・・・色々とお手数をおかけしてしまいまして、申し訳ありません・・・私は明後日に旅立とうと考えています・・・。」
「急な話だな、準備は整っているのかい?」
「それが彼女が、主人が既に全てしておいてくれたのです・・・私のために戸籍まで用意してありました・・・伊藤道平と言う。」
「それなら、いい・・・我々も安心だ。出来る限りの援助はしよう、何時でも申し出てくれ。」
「ありがとうございます・・・それでは、そろそろ戻った方が良いでしょう。もう朝です、あの子達が起きてきてしまいますよ。」
そうしてその場は散会した、何も知らぬのは曾孫達のみでありその日の昼に自宅へと帰っていった。ひいおばあさんの葬儀はそれから4日後に執り行われた。曾孫達にはあの後すぐに倒れてそのまま逝ったのだと説明し、幸いな事に知り合いが病院を経営していたお陰で死亡診断書なども疑い無く書く事が出来た。葬儀にはヨシミも彼女の用意していた伊藤道平という名で参列していた。
"全く・・・不思議な気分だったわ・・・自分の葬式に参列するなんて・・・。"
ぼんやりと車窓を眺めているヨシミの脳内にそう声が響いた。
"そうですか・・・自分は特には・・・。"
"フフ・・・そう言うのはヨシミらしいわね・・・さ、行きましょう。ちゃんとエスコートしてね。"
"わかってますって!"
そんな脳内会話をしている2人を乗せた電車は間も無く空港へ到着しようとしていた。