『糸巻き戦車走り出す』
komedokoro
目が覚めたアスカの瞳には、可愛らしい月と太陽の絵が映った。少し顔を動かすと淡いクリーム色とピンクの地に愛らしい動物がいっぱい描かれた壁紙。窓際には、教科書や図鑑の並んだ書棚つきの勉強机があった。
「ここ・・・は?」
高い天井。明るい部屋の中には花をいけた花瓶がある。レースのカーテンの向う側に青々とした山並が続く。何処だか分からないが、小田原で見かけていた景色との一致点はまったくない。かなり遠くまで拉致されて来たようだ。頭の奥にまだしびれが残っている。記憶がはっきりしない。何故こんな所に連れ込まれる羽目になったのか。
ベランダに飛んで来た雀がチュンチュンと賑やかだ。ふと目をやると隣の部屋との境に、鳥かごがぶら下がっている。そこから零れた餌目当てに雀が集まってくるのだ。そこに、白いワンピースを羽織った小柄な少女がふいに現れて餌と水を取り替えはじめた。更に青菜を入れると籠の中の赤い鳥は喜んでそれを啄みはじめた。
「カナリアかぁ・・・」
アスカは口に出すとは無しに呟いていた。
昔、犬を飼っていた事があった。そいつと町にでて新しい首輪を買おうとした。そのとき、ふいに鳴き出した赤い小鳥。籠の中で綺麗にいつまでも鳴いていたカナリア。
『え?』・・・あたし・・・犬なんか飼っていた事、あったっけ。
いや、今の今まで忘れていた。ドイツシェパードの混じった混血の子犬で・・・毎朝一緒に走った。軍用犬にするんだって。外出の時はかならず連れて歩いて。名前は、名前は・・・ティッシュバイン、そうだティッシュバインといった。あんなに可愛がっていたのに・・・何故忘れていたのだろう。
顔に掛かった髪を払う。腕に点滴のセットが繋がっている。
何故あたし・・・寝ているのだろう。こんな昼日中に。
何か気配を感じたのか、カナリアの世話をしていた少女が振り返った。煌めく赤味のある金髪。真っ青な瞳。健康的な、すらりと伸びた四肢。
あれ・・・?あたし?
「ママっ、アスカが起きたよ、気がついたみたい。」
外で、その少女が隣室に大声で言っている。困惑しながらも、次第に甦ってくる記憶。
・・・そうだ、あたしハシカにかかったんだっけ。熱が高くて、幾日も苦しくて。
部屋のドアが開いて、赤い髪の婦人とさっきの少女が入って来た。
「具合はどう?息は苦しく無い?」
アスカの身体が震える。なんだか分からないが身体中が感激して震えている。なにか巨大な熱い塊が喉の奥から飛び出しそうになっているのだ。その婦人は、間違いなく自分の母だった。ママ・・・そう、ママよね。当たり前じゃあない、ママよ。
「熱、下がったみたいね。」
額に当てられた手が冷たくて気持ちよい。少し濡れているのは、今し方まで洗い物でもしていたのだろう。自分の額と比べながら、そのアイスブルーの瞳を鼻が触れる程に近づける。今まで自分の考えていた事が朝露のように消えて行く。妄想?そうよね。
「アスカ、どう?」
「う・・・ん。大丈夫みたいよ。ママ。」
「昨夜は凄かったのよ。苦しかったらしくて泣きながら咳き込んで何度も吐いて。肺炎を起こしたかと思って心配したわ。」
枕の脇に落ちていた冷却パッドをもう一度頭に載せてもらった。もう余り冷たくはないがそれがちょうど心地よい感じだった。
「アスカったらもう甘えちゃってママにしがみついてさ。意外と赤ちゃんなのね。」
ママの後ろから顔を出して憎まれ口を叩いているのは姉の明日香。ママと一人づつ名を付けようって約束して、役所の届に書いたのを見せあったら、同じ名前だったんだってパパが話してくれた事がある。約束だからそのまま出したんだって。役所は姉妹や
親子で同じ名前は受け付けないって言ったようだけど、すったもんだの末、とうとう受理させてしまった。慣用であって条例がある訳では無いとか、これによって被った不利益は責任を取るとかいろいろ交渉の末、あたし達は世間にも珍しい双児の同姓同名の姉妹になった。新聞はマスコミには面白おかしく『ASUKAs』なんてチーム名?をつけられてちやほやされたけどまあそれも何時の間にか騒がれなくなった。
それでも入園式とか入学式のときは誰かが思い出して写真を取られたりした。新聞や雑誌に載ってもパパはいい顔をしなかったけど、ママは娘の写真が雑誌なんかに載るのを単純に喜んでいた。まあ、実際中学校の入学式以降はカメラマンが増えた。それはあたしたちがまあ、いっちゃえば美少女姉妹だったからで、プロだけじゃなく、同い年くらいの男の子も多かった訳で、その中には、写真部の碇君なんかもいた。
写真部はあたし達の写真を隠し撮りして販売して、活動費に宛ててるらしい。ちゃんと頼んで来るなら、ちょっとくらい秘密の写真だって撮らせてあげてもいいかな、なんて思ってるんだけど。どうも明日香も彼には興味があるらしく互いに牽制しあってる。
こんな事してるうちに横っちょから誰かに攫われたらあんたのせいだかんね、明日香。でもあの目は敵もそう思ってる目だなあ。
「大体たるんでるのよっ!高校3年にもなって、はしかですって!バッカみたい!」
「これこれ、なんです明日香。妹が病気したのに罵るなんて。」
「だ、だってさぁ・・・」
あたしは、ピン!と来た。それで勢い込んでママに尋ねた。あくまで弱々しく。
「ママぁ。だるいよう・・・もう病気なんて嫌だよ・・・」
「そうよね。酷い目にあったわねえ。」
「誰か・・・お見舞いに来てくれた?」
明日香の顔が、びくッと揺れた。やはり!ヒットだなあっ?!
「ヒカリちゃんと鈴原君がいらしたわ。それからえーと渚さんと渚レイさんの御兄妹。あのふ2人、お綺麗よねえ。耽美って言うのかしら。あとは・・そうそう写真部の。」
「写真部の?」
「相田君。」
がくうっ! 私はベッドから転がり落ちそうになった。
「と、碇シンジ君。碇君は3回もいらしてくれたのよ。」
あん!ママのいじわる。
復活したあたしは、にやける顔を必死で押さえ付けて平静を装った。
「ふーん、そう。」
「お手紙もついてたわよ。」
そう言いながら、枕元のフルーツの盛り合わせとか花束に付いた手紙を指し示す。
確かに書いてある。『イカリシンジ』だって。
「へえ。後で読んどくわ。」
何気なく言ったけど、心の中であたしは転げ回って万歳3唱を叫んでいた。
あたしはすぐにでも、ママの手にあるその手紙をひったくってトイレになだれ込みたかったけど何とかその暴挙に出るのを堪えたのだった。その手紙を明日香がまるで視線で燃やしてみせるとでも言いたげに睨み付けている。
へへ?たまには病気もいいなあっ。
「ママ、何かお腹が空いちゃった。」
「あら、それはいいこと。じゃあなにか...ビーフコンソメ飲むかしら?」
「うん、あと柔らかいミルクパンなら食べれそう。」
ママは、急に元気がでたわねって嬉しそうにぱたぱたキッチンに走って行った。
あとに残った明日香が、不満そうな顔で言った。
「アスカはずるい!いっつもあんたばかり可愛がられて。」
「そ・・・そんな事言われたって、病気だったんだもの、しょうがないじゃ無い。」
「そりゃ、あたしだって病気はするわよ。でもあんたは図ったみたいにタイミングがいいんだもの。碇君が心配しそうな時とかパパが出張に行く前とか、マラソン大会の前とかそんなときばかり・・・。」
マラソン大会の前は関係ないでしょ、と思ったが言い訳が先だ。
「ま、待ってよ。わざとしてる訳じゃ無いんだよ。たまたま・・・」
べそべそと明日香が泣き出したのでアスカは慌てた。わたわたと慰めようとするが、左腕にまだ点滴の管がついたままだった。痛たたた。
「シンジの事だって・・・自分ばっかりお見舞い貰って。」
「それは、しょうがないじゃないの・・・ん?今シンジとか言わなかった?」
「あう。」
しまったという表情で狼狽える明日香。泣きべそをかいていた顔がぱあッと真っ赤に。
「な、何で名前呼び捨てにしてるのよっ!」
「いやあ妹が心配でって言ってて、相談のってもらってたらいつのまにか・・・ね。」
さすがにバツが悪そうである。だが敵有利で展開する最中に見事、と言えなくも無い。
「な、なによそれってぇぇぇっ!」
「あ、あははははは。じゃあ、そういうことで・・・」
ぱっと身を翻して廊下に逃げ出してしまった。
「逃げるなああ−−っ。」
閉まったドアに、ぼん!と枕がぶつかって落ちた。
アスカは姉の余りの調子の良さに頭がくらくら。また熱がでて来たような気がする。
なんか・・・また、目の前が回って気持ち悪りぃ・・・
2020-01-26 10:00am
ミサトは何か手がかりを探そうと一晩中加持に貰った手帳にある情報源をまわった。
しかし、収穫はゼロ。
ぐったりとして吉祥寺の店でカウンターに上半身を載せて伏していた。僅かな睡眠をホテルでとったが、いたたまれなくなってこの店に出て来たのだった。
『Jazz/SOMETIME』夜はバーだが朝は喫茶店も兼ねている。
「お疲れですねえ、ミサトさん、何か召し上がりますか。」
妻木カヲルが声をかける。若いがこの店のオーナー兼バーテンである。
「ビール、ハイネケンね。2本ジョッキに開けて。」
「朝っぱらから飲酒ですか、感心しませんね。やけ酒って訳じゃ無いんでしょうね。」
「あとソーセージね。男の中の男−って感じの15cm以上あるぶっとい奴に、からし、たっぷりつけてねん。セロリなんかもあるといいな。」
お運びの女子大生が真っ赤になってそれをメモる。
「ありますよぅ、逞しい事この上ありません。・・あまりギャグに使いたくないな。」
「しょうがないじゃなーい。おなかぺこぺこなんだもの。」
そう言いながら先に出されたセロリとニンジンバーを塩だけでばりばりと齧っている。
「何をさがしているんです?」
「女の子よ。昨日も一晩中この町で人を探してたの。もういいかげん嫌になるわ。」
シンジは真っ黒な表情のまま自己嫌悪で部屋に閉じこもったっきりだし、レイはレイで、パソコンに張り付いたままぶつぶつと何かつぶやきながらお宅してるし・・・
「人探しですか。そりゃあ、大変ですね。金髪碧眼の物凄い美少女の双児なんていうんでも無いと、今どきそうそう目立ちませんからね。はいソーセージとビールッと。」
「あんがと・・・んぐ、んぐ、んぐ。な、なんですってええええっ!」
ビールをぶはあっと撒き散らしながら、カウンター越しにミサトはカヲルの胸ぐらを掴んだ。ソーセージの皿が床に落ちたのも構わずに叫ぶ。
「ど、どこっ! その双児何処で見たのッ!」
「ち、千倉ですっ。千葉の外房海岸の・・・あの、隆起したので海底に沈まなかった、千葉島の九十九里浜ですよ。あそこの、旧東海観光の分譲別荘にある高層マンションですよ。あそこで・・・」
「ち、千葉っ?」
そこは全くの想定地域外だった。カヲルは先日釣に行った際、双眼鏡でたまたま陸地の方を眺めていて、その姉妹を見たと言う。ネルフの掻き集めるだけ掻き集めた戦力を、なんとか口説き落とした長野県警とともに、例のテープを入手した施設を急襲さ
せたが見事なまでに空振り。電池一個、残ってはいなかったのだった。
その場から回収された金の毛髪からアスかのDNAが検出された。ここに彼女がいたことは間違い無い。現場周辺の聞き込みからも、金髪碧眼の少女が居たのが確認されていた。
ミサトはすぐさま本部に連絡を入れて、店を飛び出そうとしたが、床に落ちていたソーセージをひょいと摘まみ上げると、むしゃむしゃと口に突っ込みビールで一気に流し込んだ。
「あ、ああ。落ちた物を。」
「大丈夫ッ!ビールと一緒だからっ。」
言い捨てて階段を2段飛ばしに駆け上がって行っってしまった。ウエイトレスの女の子は呆れ果てて見送ったあと、何か悪口を言おうとしてオーナーのカヲルの顔を見た。
「す、すごい。なんてワイルド、なんて行動力、なんて逞しいんだ。」
そして信じられない言葉を口にした。
「絶対あの人に結婚してもらおう。あの人こそが女の中の女だ。」
そのあと、妻木カヲルは電話を取り上げてある番号を回した。
「あ、僕です。葛城さんにあの件伝えました。ええ、矢張り情報は持っていなかった様です。猛然と走っていきましたよ。そうですか、間に合うと良いんですがね。諜報部の情報はかなり遅れているようですよ。場合によっては危険ですね。僕はレイと接触を図ります。善意の第3者ってやつですよ。それなら問題はないでしょう?」
As.-treat me nice-23『糸巻き戦車走り出す』02-06-13 こめ