「おかえり」
忘れかけていたにもかかわらず、やっぱり忘れられるはずもない懐かしくて愛しい声が、空港の喧噪の中で響く。
瞬間、その声しか聞こえなくなった。
瞬間、その声の主しか見えなくなった。
宍戸は、だぼっとした真っ白なズボンに手を突っ込んで、帽子を斜めに被って、少し気恥ずかしげに笑っていた。
(髪伸びたな)
跡部が日本を離れたのはおよそ2年。その間、一度も日本には帰国しなかった。
留学先のロンドンで、テニスを一番に考えた。
2年も経つと、顔もろくに思い出せなくなるのだ。飛行機から降りるまで、跡部が覚えていたのは最後に見た、宍戸の泣きそうな笑顔だけだった。
当然、声だってどんなのだったか覚えていられるはずがなくて、その状態に耐えられなくなって、思わず電話を手に取ってしまうこともしばしばあった。番号を最後まで押し切ることはなかった。
跡部なりの、けじめだったのだ。
それでも、一目見ると、押し潰してきた愛しい気持ちが溢れ出す。
宍戸は2年前からまた髪を伸ばしていたらしく、今では肩よりも少し長いめまで伸びていた。
少し、跡部はがっかりした。
宍戸は自分を見ると同時に、抱きつくなり泣き出すなりの激しい感情表現を見せると、どこかで思っていたからだ。
別れたとき、つまり中三の卒業の春の時の宍戸ならば、きっとそうしただろう。
けれど、やはり2年という年月は、外見と共に中身まで、人間を成長させていた。
それは嬉しくもあるが、またちょっぴり寂しくもあるわけで。
カツカツと革靴の底を綺麗なロビーの廊下に打ちつけながら、跡部は宍戸に近付いた。
何も言わずに抱きしめた。
温かい。
これが、跡部の求めていたぬくもりだったのだ。
(は、オレ様ともあろう者が、こんな男に縛られるなんて)
「ただいま」
想いとは裏腹に、一言だけその耳元で呟いた声は、とても柔らかかった。
end.