「いらっしゃー・・・・」
ぱちくり。
久しぶりに店に出て手伝いをしていた博は、いらっしゃいと言いかけて目を見張ってしまった。
「・・・・黒長?何でここにいるの」
「いらっしゃい!あら千草さん」
にっこり奥から出てきた博の母親が出迎える。そう、千草貴子を。
「ごめんねぇ。今人手足りないから、博がやるわ。もし失敗したらお金はこいつが払うから、そのときはごめんなさいね」
「ちょっ・・・待っ!!」
笑顔でそう言って母親は途中で放り出していた客のところへと戻る。
あとには目をぱちくりさせた貴子と、アホなくらい脱力した顔の博だけだった。
「・・・あんた、切れるの?髪」
「・・・一応ボスと充と竜平の髪切ってんのは俺」
貴子は博を一別してそう聞く。博も、貴子の視線に居心地の悪そうに答えた。
「そう」
簡潔に答えた貴子はさっさと髪を洗うところに歩き出す。
「あ・・・オイ!もうちょっと待てば他のヤツ手ぇ空くぜ!」
すると、貴子は呆れたように振り返って
「バカねぇ。ここにちゃんとカットできる人がいるのに、いちいち待てって言うわけ?時は金なりよ?」
およ、と博は目を見張る。
「千草、俺でもいいわけ?髪切るの」
「だってあなた下手な訳じゃなさそうだもの。桐山とかの髪型、別におかしくないし」
・・・ふーん。結構千草、そう言うのとか偏見あると思ったのに。
「ちょっと、何ぼさっとしてるのよ。早くしてよ」
既に髪の毛をくくっていた髪留めを外して準備万端の貴子は、ちょっと機嫌悪げに博を呼ぶ。
なんだか頬が緩むのを感じながら博はちょっと早歩きして貴子のところへ行く。
「じゃー髪洗うから、そこ座って。荷物貸して」
さっさと慣れたように指示を出す博を、貴子はポカンと見上げた(貴子は女子としては背の高い方で、博も男子の中では背が高いわけではないから、見上げたというニュアンスもおかしいが)。
「・・・なんだよ」
「いや、・・・なんか似合わないなぁと思って」
「んか文句あるわけ?」
「ないわよ。早くして」
勝手な言いぐさにむかつきながら博は荷物を置いて、変わりにタオルを持ってきた。
椅子を倒して、静かに貴子の顔にタオルを置く。水が掛かったときの、いわゆる保険だ。
髪に触れると、意外にダメージを受けた髪の感触が伝わってくる。
「何で黒長ここにいるの?」
わしゃわしゃと洗っているとき、貴子が聞いた。
「・・・ここ俺の親がやってんの。俺は小遣い稼ぎ」
へぇ、と貴子の声が聞こえる。
「なんだかんだ言ってお手伝い?」
「うっせーよ」
まんざらでもなさそうに博が答えた。
シャワーで水を出して、温度を確かめる。そして、注意して顔に係らないようにして泡を洗い流す。
「熱くねぇ?」
「平気よ」
「眼ェ瞑ってろよ」
「かけないでよ」
「んなことしねぇよ、念のためだよ」
「分かったからさっさと流しなさいよ」
端から聞いていればけんかになりそうな、けれどそれはそれでほほえましい会話。
リンスをボトルから手に取り、手早く貴子の髪になじませる。
その髪を触られる感触が気持ちよくて、思わず貴子はあくびをかみ殺した。
また、お湯で流されて、タオルがとられる。
「あそこ座って」
博が指した席に素直に移動する。
「で、今日はどうすんの?」
「髪、染めて。あたし、何色が似合うかしら?」
「決めてきたんじゃねーの?」
「いやもうなんか唐突に、髪染めたいなーと思ったから。結構伸びてきたし」
「・・・思いつきで染めに来るのかよ?」
「まあいいじゃない。ねぇ、あたしに何色が似合うと思う?」
「・・・あー・・・何色だろーな。千草の髪、ストレートできれいだしな。顔も可愛いってゆーか美人って感じだろ。・・・オレンジ、とかやってみたら?」
「オレンジ?」
「なんとなくだけどよ。だってピンクやだろ?」
「・・・絶対嫌ね」
「明るい系、似合うと思うんだけどなぁ」
ほら、と彩色のカードを見せながら、博がぶつぶつと言っている。
ふーんと貴子も、オレンジ系統の色を見ながら頷いた。
「いいじゃない。やってみてよ」
「やってみてよって・・・お前なぁ。失敗したらどーすんの」
「大丈夫よ。あんたの腕が確かならね」
「・・・なんかむかつく」
「ほらほら、むかつくなら成功してちょうだいよ」
「・・・どーなっても知らねぇし」
「あらーそれは困るわね。仮にもあんた、金取るのよ?色はともかく、染めるのに失敗してもらったら困る・・・」
「わーった!失敗なんてしねぇから黙れテメェ」
はいはい、と貴子が笑う。
不覚にも、博は見とれてしまった。
「何?あたしの顔になんかついてるわけ?」
その言葉ではっと我に返る。
貴子は光子とはまた違う感じで、美人だ。光子はきれいと言うよりは可愛い顔立ちだし。
「・・・千草が笑ったの、まともに見たの初めてかもしんねぇ俺」
「あら失礼ね。あたしだって笑うわ」
あ、弘樹以外の男の前で笑うのは久しぶりかもしれない、と貴子は言った。
ただの小遣い稼ぎ。そう言ったはずなのに、それにしては普段見ないような真剣な顔つき。
失敗すれば金がパーどころか無くなりかねないからか。鏡越しに見る博の顔は、真剣という文字しか浮かんでこない。
貴子は市販の髪染めは使わない。自分の髪はそんなちゃちい物ですまされない、と自負しているせいか。クラスメイトで不良の博に髪を触らせる、と言うのが少し抵抗があったのだが、それは撤回だ。プロの顔をしている、と思った。
「終わった」
博は貴子の髪を乾かし終わってからそう言った。
「どう?不合格か?」
貴子は鏡をじっと見つめた。ムラもなく、きれいに染まっている。
ふう、とため息をついてみた。鏡越しに見た博の方がちょっと揺れた。
ふっと笑いがこみ上げる。ビビってやんの。天下の桐山ファミリーの一員がさ。
「・・・なんだよ」
「ゴーカク。きれいよ、ありがと」
不意打ちの笑顔。
「え・・・あ。おう」
思わずどもってしまう博。なんだか赤くなった顔を、そっぽを向いてごまかす。
ああ楽しい。なんだ変わんないじゃない普通のヤツと。
「髪切る?」
「ううん、いいわ。このままで」
「そ」
なんだか怒った感じでドスドス歩く博の後ろを歩きながら、ああこいつに対する考え方が変わったな、と思った。
不良だけどね。
金を払った。おばさんが駆けつけてくる。
「どうかしら、お気に召した?うちの博は」
「ええ。腕はプロ並みですね」
「あらありがとう。ほら認めてくださったわよ貴子ちゃんが」
ひじ鉄を腹に食らう博を見ておもしろくて笑った。
「ありがとうございました」
「ええ、また来てね」
おばさんがにこりと笑う横で、ぶすっとした顔で
「毎度あり」
と一言。
ドアを開けた瞬間に聞こえたので、ガラス張りのドアが閉まる直前に手を振ってやった。
end.