自分のことは良く分かっている。
ガサツで、男勝りで、長身の割りに胸が無くて、声も野太くて、おまけに実家の家業が
極道の娘で……女らしさのカケラもない。
自分のことは良く分かっている。
だから私は――
(さて、今夜はどちらにしようかな?)
就寝前の一時。私はベッドに腰掛け、二枚の写真を手に想いを巡らせていた。
右手には、我が愛しのディーヴァ。なんという罪深いまでの愛くるしさ。その存在こそ、ま
さに神の手による奇跡の産物。頭もスタイルも運動神経も抜群の常盤台に咲く一輪の花
――天使の微笑みを持つ少女、水野 楓。
左手には、言葉遣いや行動はやや荒っぽく、サドッ気もあり、楓の親友として傍の置いて
おくことに一抹の不安もないではないが、その内に秘めているのは繊細で傷つき易い素直
になり切れない乙女の心。所謂ツンデレ属性の得がたいキャラの持ち主。しかし、彼女を語
る上で外すわけにいかないのが、何と言ってもその圧倒的存在感を主張する罪深いまでの
ウルトラDカップ!――実に実にケシカラン乳を持つ少女、住吉 加奈子。
何をしているのかって? はははっ、そんな分かりきったこと。夜伽の相手を選んでるに決ま
ってるじゃないか!
おばあちゃんが言ってた。
『好きなものの写真を枕の下に入れて寝たら、好きなものの夢を見ることが出来る』って。
(楓はテッパンだが、泣きボクロDカップも捨て難い――はぁぁぁ〜、まったくいけない
子猫チャンたちだね。私をこんなにも惑わせるなんて!)
ベッドに寝転がり、悶々と悶える。一日のうちで一番、悩ましくも幸せな一時。
えっ、そんなに悩むくらいなら二枚とも枕の下に入れれば良いって? ハッ、これだか
らゆとり教育世代は! 取扱い説明書にも明記されているだろうが!
『混ぜるな、キケン!!』
そういう私も、つい先日誘惑に抗いきれず、禁忌を犯してしまってね。その結果、私が
見た夢というのが――加奈子の乳を枕に、楓が私の耳を掃除してくれる。フワフワの
梵天が耳穴をなぞり、楓の唇から優しく息を吹きかけられて――おお、思い出すだに
怖ろしい。危うい所であった。ジョセフィーヌが顔を引っ掻いて起こしてくれなかったら、
死んでしまっていただろう。鼻血の大量噴出による失血で。
(よぉーし、決めた。やはり我が愛しのディーヴァ。可憐なるプリンセス。等身大のテデ
ィベア。そう、君のことだよ楓。今夜は君とエンドレスでフォーリンラブラブアワーさっ!
ああ、嘆くことは無いよ加奈子。明日の夜は君の胸の谷間に顔を埋めて心逝くまでモ
フモフしてあげるからね)
楓のフォトグラファーを枕の下にセットオン! スリープマスクと耳当てを装着、電気を
消して準備はOK!
さあ、ウエルカム! ウエルカム、イッツア、ドリームランド!
「一ノ瀬先輩!」
ああ、来てくれたね楓。ほら、そんなに慌てないでいいから。転んでしまうぞ。部活の終
わり際、君が差し出してくれたタオル。私はそれで君の汗に光る頬を拭いてあげたね、
憶えているかい? あのタオル、今では真空パックで密封して永久保存決定。門外不出
の我が家の神器になってるよ。
君に出逢うたび、君の声を聴くたび、私は己がいかに恵まれているかを思い知らされる。
こんなにも広い世界で、こんなにもたくさんの人がいる中で君を見つけられた奇跡。否、
それは運命。
放課後、陸上部員として高跳びの練習に励む君。助走をつけ、大地を踏みしめ宙を舞い、
バーの上を弧を描いて舞う君。いつもいつも私は、君のことを目で追ってしまうのだよ。君
から目が離せないのだよ。
そのうち私は堪らなくなり、指が……指が……乳房を、股間を這っていく。すでに薄い乳房
はいじらしくも熱く火照り、股間は寝間着越しからでもうっすら湿っているのが分かる。
(ハァァ……ごめん。許しておくれ、楓)
こんなことは、いけないことだ。それは分かっている。これは愛しの楓を汚し、踏みにじる愚
行。だけどそれでも、それだからこそ、止まらない、止められない。
そんな罪深くも愚かな私を、楓は優しく微笑みながら包み込んでくれる。君の温もり、君の弾
力、君の滑らかな肌触り。
(ハッ……ハッ……ハァァァッ!)
指が乳房を、女陰を、握り潰さんばかりに激しく力強く揉みしだく。乳首が、肉芽が、痛いほど
に勃起しているのが、はっきりと分かる。
心から愛しいと思う、心から美しいと賛美する者と添い遂げられる幸福。たとえそれが背
徳的な行為の果てであっても。肉体の奥底から溢れ出る何かによって、血の一滴、細胞
の一つ一つが沸き立ち、痺れ、それが更なる欲情を煽りはち切れんばかりに満たされて
いく。
なんという醜態、なんという無様――構うものか、笑わば笑え。所詮、私はこの程度の俗
物だったのだ。初恋だった相手に勇気を振り絞り告白した。そして放たれた残酷な言葉。
あの日から、あの瞬間から私は女であることを棄てた。窮屈で重い『女』という鎧を脱ぎ去
って初めて味わう爽快感。こうなったら、堕ちるところまで堕ちてやろう。
しかしそんな私の目論見の外で事態は緩やかに、かつ確実に変化し、歯車は軋み狂い始
めていた。
「どうした、楓?」
異変に気付いたのは、楓の顔を見たとき。彼女の表情から笑みが消えていた。あの胸をと
きめかせる輝きが失せ、暗い影が射していた。
(突然どうした? 何が起こった?)
だが彼女は私の疑問に答えることなく瞳を伏せたまま振り――その目は、うっすらと涙ぐん
でさえいて。そして私の手を振り払い、そのまま踵を返し遠ざかっていった。
「待って! 行かないで、楓!」
駆け出し彼女を追う。しかしその差し出した手の先に楓はいない。もう、彼女は私のもとに戻
ってこない。温もりが消え、心の中にポッカリと大きな穴が開く。例えようも無い空虚感。
(私の所為か? 私があまりにも強引すぎたから……)
背後に人の気配がした。
楓が戻ってきてくれた! 一瞬、悦んで振り返ったのも束の間、衝撃が走った。そこに思いも
かけない奴がいた。
(そうか、こいつが……)
私の所為もあったろう。強引すぎもしたろう。だけど、それだけじゃない。楓の顔から笑みが消
えたのは。私の前から去っていってしまったのは。
こいつの所為で楓は苦しんだ。彼女から輝きを奪った。この男を、私は許さない。楓の仇
であり私の宿敵――高坂 潤平!
「何をしにきた! 私の夢に土足で上がりこみおって! お前なぞ、呼んだ覚えは無いわ!
帰れ! 否、帰るな! ここで遭ったが百年目! これまでの怨みつらみ、この場で一切
合財晴らさせてもらう。高坂 潤平! 潔くそこになおれ!」
しかし奴は、わたしの極道譲りの恫喝にも動じることなく、忌々しいほどに穏やかな笑みを
浮かべている。
カッとなり頭に血がのぼった。
「馬鹿にしおって! 私が見たいのは楓の笑みだけだ! お前なんかじゃない!」
すぐにそのニヤケ面を消し去ってやる。大きく拳を振り上げた。
男なんて、男なんて……どいつもこいつも同じだ。どうせ、この男もあいつみたいに
『お、俺……男に興味ないから』
そうやって、私のことを見下しているに違いないんだ!
怒りと憎しみ、その他もろもろの半ば八つ当たり気味に拳を振り下ろす。ほどなくパッシーン
という乾いた音が響く――筈だった。が、思いもかけず拳は寸でのところで受け止められた。
「は……離せ!」
なにか本能的な不安に駆られ逃れようももがくが、陸上で鍛え上げた私の腕でもビクともし
ない。無論、奴が私の言うことなど従う筈もなく――それどころかグイッと勢いよく引き寄せ
られ、事も有ろうに傍から見れば奴に抱き竦められるような格好となった。
その女性同士では到底味わえない逞しさ、大きさ、大胆さ、猛々しさ、熱さ――ああ、な
んという……これが、男……
まったく想定外の事態に、私は完全なパニックに陥った。
「何のつもりだ! 悪ふざけもいい加減にしろ! さもないと……」
奴が私の耳元に唇を近づけ囁く。
「傍にいますよ。気が済むまで――俺はそう言いましたよね」
と、そして微かに笑みを含んだ声で
「それとも、もう忘れちゃいましたか?」
(あ……ああっ……あああああっ)
身体を電流が駆け抜ける。動悸が激しくなる。
ファラオの石棺越しに聞いた、あの言葉。忘れてなんかない。忘れる筈が無い。
『ごめんね。ママがもう凪ちゃんと遊んじゃ駄目だって』
幼き日。仲良しだった友人から突然、そう告げられた。一ノ瀬が極道の家系だということ
で関わり合いになることを恐れたらしい。ショックだった。最初は何故、自分がこんな目
に遭うのか分からなかった。それでも時が経つにつれ、子供ながらにジワジワと認識し
ていく。
それ以来、私は周囲に他人を寄せ付けなくなった。『一ノ瀬 凪』という壁を築き外界から
背を向けて生きてきた。たまに物好きが興味半分に近寄ってくることもあったが、私の素
性を知ると蜘蛛の子を散らすように去っていった。
(これで、良いんだ。私は見たいものしか見ない。見たいのは、美しいものだけ)
そう思っていた。けれど、この男は。高坂 潤平は私がどういう人間であるかを――極道
の娘、男勝り、可愛げのない大木、美の追求者、雷恐怖症のヘタレ――知って尚、言って
くれたのだ。
『傍にいます』
そう言ってくれた。嬉しかった。信じられなかった。驚いた。そして何よりも、怖かった。
これまで築いてきた『一ノ瀬 凪』という壁を易々と乗り越え、土足で踏み込んでくる威圧感。
他人と関わり合いになるという煩わしさ。これまで避け続けて来たことから向き合わなければ
ならない重圧。
(今更、そんな甘言を聞いたところで何になる? この男は危険だ。私は変わってしまう。変え
られてしまう)
「そ、それがどうした! いい加減に離れろ! 私が一度でもお前に『傍にいてくれ』と
頼んだことがあるか!? 勝手な理屈を捏ねて私を謀ろうとしても、そうはいかんぞ!
せっかくの楓との逢瀬を邪魔しおって、許せん!」
胸がチクリと痛んだ。何もここまでキツイ物言いをしなくてもいいのに。実際、楓に続
いて高坂までいなくなったら、私は――
「最早、勘弁ならん。高坂 潤平! 貴様に生まれてきたことを後悔させてやる!ギッ
タンギッタンのボッコボコに――」
「嫌だなぁ、先輩。何か勘違いしてませんか」
私の鬼気に満ちた恫喝を柳に風とばかりに受け流し、飄々と高坂が言った。
「ここは先輩の夢。先輩が全ての造物主の世界なんですよ。先輩の望まないものは存
在を許されない場所。逆説的に言えば、僕がここにいるということは先輩が望んだから
なんです」
「なん……だと」
脳天を鈍器で殴り付けられたような衝撃。
「まぁ、俄かには信じがたいでしょうが――ほら、俺の手が先輩の髪に触れているのが分
かるでしょう? 俺も先輩を感じています。まるでお互い実在しているみたいに。つまり、そ
れほど先輩は強く俺がここにいることを望んでいるわけです」
「嘘だ……そんな、出鱈目だ……信じないぞ……」
「俺は先輩の夢を具象化した残像。残りかすに過ぎません。気に入らなければ、いつでも
先輩は俺を消すことが出来る。俺は先輩が何の目的で、俺を造り上げたか知っています。
造り上げられ存在する以上、俺はそれを実行しなくちゃいけません。ねぇ、ナギー先輩。先
輩は本当に俺を望んでいないんですか?」
「あ、当たり前だ、こんなの! 全部、全部嘘ッパチ! そうに決まってる! 私は美しいも
のが好きなんだ! 誰がお前なんか! 騙されないぞ、まやかしめ! いいか、これ以上
ほんの少しでも私に妙なマネをしたら――」
「それじゃ、まず最初に、そのお喋りな口を塞いでしまいましょう」
突然――唇を奪われた。
(んっ!……むぐぅ……)
不良どもの罠に嵌まり、十重二十重と囲まれたことがある。鉄砲玉の襲撃に遭い、銃弾の
飛び交う中をすり抜けたこともある。幾多の修羅場を私は持ち前の実力と機転を利かせる
ことで回避してきた。しかし、これは――この状況だけは、どうして良いのかさっぱり分から
ない。
どんどん奴のペースに巻き込まれていく。そうこうしているうちに、ほら、こっちが固まってい
る間に、こともあろうに舌を差し込んできやがった!
歯茎を突き、粘膜を押し、我が物顔に口腔内を躍り跳ねる。傍若無人ともいえる新鮮さと躍
動感に目を白黒させながらも
(こ、この……舌を噛み切ってやる!)
だが、ああ、これはどうしたことか? 徐々に身体から力が抜けて、抗う気力が失せていく。
胸の奥底からジワジワと熱が湧き上がっていく。奴の舌が私の舌を誘う。突付かれ、押され、
舐められ、嬲られて――『俺のモノになれ』と、迫ってくる。そして私は、そんな奴の要求に易
々と応えていってしまうのだ。舌を伸ばし絡ませ合い、流れ滴ってくる唾液を受け止め飲み下す。
(どうして私は……まさか、奴の言う通りなのか? これが私の望んだことだと……)
自身に問いかけた。私は、一体、どうしたい?
混沌の海の底から浮き上がってくる真実の声が聞こえてきた。
『私は、ずっと誰かに甘えたかった。傍にいてほしかった。仲間になりたかった。友達になりた
かった。お喋りがしたかった。遊んでほしかった。約束がしたかった。秘密の共有がしたかった。
『じゃ、また明日ね』と言ってほしかった。『好きだ』と言ってほしかった。ただ一人の女として愛さ
れたかった。目茶苦茶に壊してほしかった。そして奴なら――高坂 潤平なら、この願いを託す
ことが出来ると――』
長い長い接吻を終え、互いに見つめあう。二人の下唇の間に、一瞬銀色の細い橋が架かった。
大きく深呼吸を一つした。心臓の鼓動が痛いほどに高鳴っている。
これから自分が告げる内容の浅ましさを想像するだけで卒倒しそうだ。だが、言わなけ
ればならない。
「よく分かった、高坂 潤平。私の負けだ。高坂の言った通り、私はお前と……その……
こうなりたかったんだ。だから、その……
高坂さえ良ければキスだけじゃなく、もっと他に色々やってみてもいいと思うんだ。それで
……まぁ、私は見ての通りの女だから
あまり楽しめないかも知れないが、高坂がそれなりに満足してくれたら私も満足なわけで
……ええと、ええと……」
「違いますよ、先輩」
高坂が言った。
「『俺が』楽しんで満足するんじゃなくて、『二人で』楽しんで満足するんです」
「なぁ、高坂。私はその……こういうのは経験がなくてだな、その……どうすればいいか、
分からんのだが」
つい先程まで私と楓とで睦みあっていたベッドに、現在は高坂と共に身を横たえ、いざこ
れからという時。懊悩する私に高坂は、
「そんなの俺だって一緒っすよ。まぁ何事にも最初ってものがあるわけで、何も知らない
者同士、成り行きと自然に任せて矯めつ眇めつってことで良いんじゃないっすかね?」
「そ、そうか?」
「先輩、緊張してます?」
「せんわけが無いだろう!」
「いけませんよ、そんなんじゃ。余裕を持って楽しめるようにしないと」
「む、無理だ。そんなの!」
「じゃ、リラックス出来るおまじないをしておきましょう」
再び――キス。さすがに二度目ということで、今度は私の方から舌を差し出す。いつまでも、やられっぱな
しではいられない。無論、高坂は快く招き入れてくれて互いのモノを絡ませあう。唾液を滴り流す。高坂がや
ったことを思い出しながら、奴の口腔を夢中になって犯した。
「どうです。少しは緊張も解れてきましたか?」
「ばかもん。やるならやると事前に言ってくれ。びっくりするだろ」
「すいません。それじゃ――『犯ります』よ」
「あん……」
高坂の柔らかな唇が鎖骨から首筋、下顎のラインへとゆっくり感触を刻み込むように、にじり上がっていく。
次いで耳へ。熱い息が耳に吹きかかってくる。
(はうっ……)
私は実は、耳がヨワいのだ。
「ひっ!」
だしぬけに右の耳朶を噛まれ、軽い痛みが走る。
「すいません。痛かったですか?」
「ちょ、ちょっとだけ……」
「本当にすいません。加減が掴めなくて」
「構わん、気にするな。続けてくれ」
高坂は贖罪のつもりなのか、噛んだ箇所を犬のように舐め上げてくる。そして唇で挟み込みつつ甘噛みをし
てきた。時折、アクセントで極々軽く歯をあてることで、より刺激をリズミカルなものにしていく。左の耳は親指
と人差し指を使い、丹念に揉みあげられる。たっぷりと時間をかけて、今度は左右を逆にして耳を弄ばれ攻め
続けられた。
こそばゆいような、むず痒いような、なんとも表現し難い感覚。淡い電流が全身を駆け抜けていく。
「あっ……あん……はぁぁ……」
頬が火照って赤く染まり、自分でもはっきり認知できるほど喘ぐ声に湿り気が帯びてきていた。
「先輩。もしかして耳、感じ安いんですか?」
高坂の問いに、何度も頷く。
「幸先良いな。俺はね、先輩のことがもっともっと知りたいんです。先輩にも、俺のことをもっともっと知っても
らいたい――これって、迷惑ですか?」
私は何度も首を横に振った。迷惑だなんて、とんでもない。嬉しかった。泣きそうになる。実際、目頭が熱くな
ってきた。
他人が自分に興味を持ち、そして必要としてくれている。それがこんなにも心を高揚とさせるだなんて思いもし
なかった。
「私もだ、高坂。私も高坂のことが、もっと知りたい」