「それじゃー、美夏も綾瀬おにーさんも、今日はお疲れ様でしたー。いやー、でも本当に楽しかったよねー」  
「うんうん〜、す〜っごく面白かったよぉ」  
「はい、とても素敵なパーティーでした」  
 今日のパーティーの結果がこの笑顔なんだとしたら、それは大成功だったんだと受け取っても良いんじゃないかと思う。  
 そんな達成感を覚えながら、俺は美夏と一緒に玄関で帰りの支度を終えた光、美羽、エリたちの見送りに立ち会っていた。  
 そして、エンターテイナー気質の美夏なら俺なんかよりもずっと嬉しく感じているのかも知れん。  
 そう思って、隣に視線を落としてみると、  
「う、う〜……。ほ、ほんとにみんなウチに泊っていかないの? そ、それは確かにお姉ちゃんは居ないし、お母さんも料理学校のお仕事で居ないけど、折角こうやって集まったんだし……」  
 名残惜しそうに、全力で三人を引き留めようとする美夏の姿があった。心無しか、いつもは元気に跳ねているツインテールもしょんぼりと力無く垂れ下がっている様に見える。  
 そんな美夏に、光と美羽が残念そうな表情を浮かべながら、  
「あたしたちも泊りたいのはやまやまなんだけどねー。イイ女は空気が読めると言いますかー」  
「敢えて泊らないのも、女の友情ですな〜」  
 思いっきり明るい調子で、わけの解らん事を言っていた。  
「! ま、まさか二人とも、また余計な気を遣って――」  
「えー? そんな事無いってばー☆」  
「そうだよぉ♪」  
「そーそー。でも、今度の時は絶対お泊りするから覚悟しておいてねー」  
「楽しみだよねぇ。ねぇ〜? エリちゃん」  
「? あ、はい。ええっと、今日は泊らない方が良いんですよね?」  
 何が良いのか俺には分からんが、エリが目を瞬かせながら確認する様に二人に答えた。  
「エ、エリちゃんまで……。――って、いつもは最後まで片付けをしてるエリちゃんがあの時先に帰ってたのも、やっぱり光と美羽っちの入れ知恵だったって事〜っ!?」  
 俄に美夏が騒ぎ出した時、丁度到着した迎えの車に光と美羽が異様に逃げまくる道端の猫みたいな素早い動きで乗り込んだ。  
「おーっと、それではあたしたちはここでさよならするねー☆」  
「ばいばいなのぉ♪」  
「あ、ちょ、ちょっと光、美羽っち〜っ! に、にゃ〜っ!!」  
 走り去って行く二台の車に向かって美夏が声を上げて文句らしきものを叫んでいたが、それぞれの車の窓から手を振っている二人の姿が見えなくなる頃にはやけに疲れた様子でガックリと肩を落としていた。  
「……? ええと、それでは私も迎えがきたみたいですから、さようならです」  
「あぁ、またな」  
 暫く首を傾げていたエリだったが(いや、俺もだが)、迎えの車がやってくると丁寧な挨拶をして車に乗り込んだ。そして、車が出ようとした直前、  
「あ、ちょっと良いですか? 綾瀬さん」  
「ん? どうかしたのか? エリ」  
 窓から少し身を乗り出してきたエリの声音を抑えた呼び掛けに、思わず聞き取ろうとして顔を近付けた時、  
 ふわり、と。鼻先に甘い香りが流れて来て、  
 ちゅっ。  
 俺の頬に、びっくりするくらい滑らかで柔らかなものがそっと押し当てられた。  
「え、エエエ、エリちゃんっ!?」  
「き、今日のエスコートはどうも有難うございました。み、美夏も、また学校で」  
 真っ赤になったエリの顔が上がってきた窓ガラスで見えなくなると、エリを乗せた車は音も無く静かに走り出し、やがて森の向こうに見えなくなっていった。  
 むう……  
 大人しそうに見えて、エリも結構大胆と言うか。お陰で心臓が壊れたメトロノームみたいになっていたりするんだが。  
 つーか、最近はこう言う不意打ち気味な女子からの接触が多い気がするな。まぁ、別に男女のアレコレとかじゃなくて、単なるお礼のつもりなんだろうけど。  
 そう思っていると、  
 ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!  
――ゾクッ!?  
 全身の毛穴から霜柱が噴き出る様な、凍て付きそうな気配が俺の隣から放たれていた。  
「おに〜さん?」  
 朗らかに、そして今までに見た事が無いくらいに眩しい笑みを貼り付かせた美夏が俺をじぃ〜っと見上げていた。  
「今日は、ウチに泊まっていくんだよね?」  
「は?」  
 そんな事を言った覚えは無い筈なんだが? そもそも、泊る準備を一切してきていないし、何より明日のルコたちの朝飯までは流石に用意してないと言うのがかなりの気掛かりだったりするワケで……  
「だいじょ〜ぶだよ? おに〜さん。お部屋なら元々エリちゃんたちが泊る予定だったのが空いてるし」  
 美夏の奴が何だかエラく強引に泊るのを勧めてくるんだが、これは一体どうした事なんだろうね?  
 
「いや、そうじゃなくてだな。明日は月曜で学校だろ? つまり、今日泊ったら明日制服やら鞄やらを朝一でウチに取りに戻らんと――」  
「その事でしたら〜、心配ご無用ですよ〜」  
「うぉあっ!?」  
 いきなり真後ろから聞こえてきた間延びしてのんびりとした声に、俺の心臓がフルスロットルで回転数を跳ね上げた。  
「那波さん。いつの間にそこに居たんですか?」  
 振り返って見てみれば、案の定と言うかやはりと言うか、暫く姿を見ていなかったにっこりメイドさんの姿があった。  
「あら〜? 裕人様。いつから居たのかお分かりにならないですか〜? それでしたら、逆にお考え下さい〜。いつでも那波さんはお仕えしていますと〜。そうすれば〜、いつ私が居ても驚かれる事は無いと思いますよ〜?」  
 どちらかと言うと発想の転換よりも、至近距離になる前に足音を立てるなり声を掛けるなりして俺が驚かないで済む接近の方法を採って貰いたいんだが……  
 と、そこで俺の視線が那波さんの両手に持っている茶色の四角い物体に留まった。  
 別段珍しいと言うわけでも何でもなくて、寧ろ俺にとってはほぼ毎日持ち運びに使っている日用品。  
 有り体に言えば、白城学園指定の学生鞄だった。  
 ……まさかとは思うが、  
「裕人様のお鞄をお持ち致しました〜。因みに〜、お着替えと制服でしたら〜、既に乃木坂家の方で準備しておりますよ〜」  
 「……」  
 色々と突っ込み所が目白押しなんだが、それらを一々気にしていたらキリが無いと言うのは最早俺の中で確立されつつある認識なので、あまり深く考えないで良い事にしておいた。  
 そう言うワケで、  
「それじゃ〜、おに〜さんのお泊りはけって〜だね♪」  
 急遽、俺の乃木坂家初宿泊(一泊半日?)が決まったのだった。  
 
「ふぅ……」  
 湯船の縁に両腕を乗せて、俺は海中に漂うホンダワラ(流れ藻の一種)の様に全身を伸ばしながら、立ち昇る湯気に曇る乃木坂家の浴室の天井を見上げていた。  
 最初は広いやらデカいやらで落ち着かなかったが、お湯に浸かって暫くしていると借りてきた猫がゴロ寝するくらいリラックスし始めていた。  
 まぁ、今日は色んな事があったから自分でも思っている以上に疲れていたのかも知れん。  
 そんな風に、今日の一日を振り返ろうとして、  
「あれは一体、何だったんだ?」  
 以前に見た玄冬さんを威圧する秋穂さんに似た、一切合切の有無を言わせない美夏が醸し出していた妙な雰囲気が脳裏を過った。  
 傍から見ていただけでもかなり強烈な迫力を感じていたんだが、実際にぶつけられてみると心臓が捩じり絞られると言うか、確かにアレなら玄冬さんも太刀打ちは出来んと言うのも解る気がする。  
……何で俺は美夏からそんな圧力を食らわにゃならんかったんだろうね?  
 思い当たる節は無いものかと記憶を反芻してみたが、  
「……いや、さっぱり分からん」  
 美夏に対して思う処を勘付かれたんならまだ分かるんだが、寧ろ今回は美夏に当てられる迄気付かなかったと思うだけに何が美夏の逆鱗と接触事故を起こしたのか見当も付かなかった。  
 いや、鈍い俺が気付かないだけで実は何かやらかしていたと言うのも十分考えられる事であるだけに、思い付かないと言うだけでこの件を安易に流すべきじゃないと思うんだが――  
「おに〜さん。さっきからうーうー唸ってるけど、だいじょ〜ぶ? 雪野原さん呼ぼうか?」  
「いや、別に何処が痛いとかそんなんじゃなくてだな。少し考え事をしていただけで」  
「考え事?」  
「あぁ。でも結局、何だったのかは分からん儘なんだか……」  
 ――って!!  
「ちょっと、待ってくれ! 何で美夏が入ってきてるんだ!?」  
 広げていた両腕を急速潜水させて股間を隠し、更に膝を曲げて朝とは比較にならん驚きで突っ込んだ。  
 確か、俺の着ていたスーツが汚れていたとかで(サザーランドがテーブルをひっくり返した時に飛び散った料理の一部が付着していたらしい)、着替えついでに美夏や那波さんから風呂に勧められたと言う状況だった筈である。  
 つまりは、俺が風呂に入っている事は美夏も知っていると言う事になるワケで。  
「え〜? だってみんなでウチにお泊りする時は、一緒にお風呂に入ったりしてるよ?」  
 ツインテールだった長くて緩いウェーブの掛かった髪を揺らしながら、首を傾げて美夏が俺を見た。  
 そりゃあ、女の子同士でなら一緒に入っても問題は無いのかも知れんが、残念ながら(別に、深い意味は無くてだな……)俺の性別が男である以上、そんな事は倫理的にも条例的にも罷り通らんだろう。  
「だいじょ〜ぶだってば、おに〜さん。そうゆ〜のって、確か届け出ないと訴えられないんだよ?(注:本当です)」  
 
 それは逆に考えれば、親告さえされてしまえば即俺の手が後ろに回りかねんと言う、かなり危険な状態になる気がするんだが……?  
 そんな事よりも(いや、十分重大な事なんだが)、俺に性犯罪者の烙印を押したいワケでも無いだろうに(……だよな?)、一体何をしに風呂場に乱入してきたのかについて良い加減答えて欲しいんだが。  
「ん〜? き、今日はおに〜さんに色々として貰ったから、お礼におに〜さんの背中を流してあげようかな〜、って思って」  
「いや、流すとか言われてもだな……」  
 感謝の気持ちを向けられて悪い気はせんが、いくらバスタオルで隠しているとは言え、素っ裸の俺と一緒に風呂と言うのは色々と拙いだろう。  
 場合に依っては(具体的には玄冬さんやルコに知られた場合)、かなり危険な状況(俺の生命の危機とか)を招きかねんし。  
 そんな俺の割とシリアスな内心を知らないこのツインテール娘(今は解いているが)と言えば、困っている俺を見るや、まるで飢えたケダモノから身を守るかの様に両手で自分の体を抱き締めて、  
「それって、このバスタオルの下のてんぷてぃんぐな美夏ちゃんの生まれた儘の姿を想像しちゃったおに〜さんの中で、イケナイ衝動のぼるて〜じが臨界事故を起こしちゃいそうって事なのかな〜?」  
「……は?」  
 取ったポーズとは掛け離れまくったにやにやとした表情と口調で、何故か嬉しそうにそんな事を言い始めやがった。  
「うんうん、そうだよね。こんなにちゃ〜みんぐであとらくてぃぶな美少女と一緒にお風呂に入れるなんて、男の子なら誰もが羨むシチュエーションだもんね〜♪ これはおに〜さんも、やっと男の人としての機能が正常に働き始めたと言わざるを得ないかな〜?」  
 怯える振りから一転して、今度はバスタオルの裾をヒラヒラさせたり胸元をチラチラさせたりして挑発してくる美夏。  
 生憎と夜盲症のカラス並みの視力になっている裸眼の俺にはその様子がボヤけて良く判らんのだが、それよりも第三者が見れば間違い無く通報対象なこの状況を何とかせんとイカンだろう。  
「ほらほら。どう? おに〜さん」  
 バスタブでダンゴムシの如く丸まっている俺に、美夏が手の先から腕を撫でたり足を伸ばしたりと何やらアピールを続けていたんだが、いくら扇情的(のつもり)なポーズを取ってもそれに無理を感じざるを得んと言うか……  
 寧ろ、美夏の狙っているところからどんどん離れている気がするんだが?  
「あ〜、美夏。濡れた風呂場でそんなに動き回ると危ないんじゃないか?」  
「へ〜きだってば。も〜、おに〜さんは心配性なんだから。あ! それとも、危ないってそ〜ゆ〜意味なのかな〜?」  
 言うや、胸元のバスタオルの結び目を美夏がおもむろに解き始めた。  
「――!? み、美夏!?」  
 いくら見た目が平均的中学二年生より小さいとは言え、中身は正真正銘の女の子である(当たり前だが)美夏の裸を見たとなっては流石に洒落にならんだろう。  
「あれ? おに〜さん。何で背中向けてるの?」  
 背後ではらりとバスタオルが床に落ちる気配がすると、美夏が弾んだ声でそんな事を言ってきやがった。いや、見ると塩の柱になるっつーか、高性能爆薬と雷で俺が焼き滅ぼされそうなんだが?  
「え〜? 折角、美夏ちゃんが水着姿でいるんだよ?」  
 ……おい。  
 確かに、美夏がいくらフレンドリーお嬢様とは言え、そう簡単に裸を見せてくれるかどうかなんて考える迄もなく分かる事だったな……。  
「ほらほら。 どう? おに〜さん? 美夏ちゃんの悩殺せくし〜ぽ〜ずだよ?」  
 有罪(と肉体的懲罰)確定の危機が過ぎ去った事に胸を撫で下ろしながら振り返ると、去年の春香の誕生日プレゼント選びの時に買った赤いビキニを着た美夏がくるりと一回転してポーズを取っていた。  
 そう言えば、美夏の肩が髪で隠れて見えなかったんだが、ビキニの紐を上手く隠してたんだな。いや、別に隠してくれてるのならそれに越した事は無いんだけどな?  
「それより、早くおに〜さんの背中を流したいんだけど? おに〜さん♪」  
「……あぁ、それじゃあ頼むぞ? 美夏」  
 何はともあれ、美夏が水着姿であるのは俺の背中を流す格好としてはそれなりに妥当な落とし所だろう。同じ隠すにしても、バスタオルと水着じゃ受ける印象も鰯雲とヘドロくらいに違うしな。  
 それにいくら水着姿と言っても、美夏と一緒に風呂に入っている状態がいつ迄も続くのはどう考えても危ない状況だろうし、早く背中を流して貰って風呂から上がらんと、あのにっこりメイドさんがいつの間にか居るかも知れんしな。  
 早速、腰にタオルを巻いて湯船から上がって壁を向いてバスチェアに座ると、スタンバっていた美夏が俺の背後に回った。  
「それじゃ〜、いくよ? おに〜さん」  
 
 そんな気合いの入った美夏の声が聞こえると、石鹸で泡立てられた垢擦りタオルが俺の背中に押し当てられた。  
 ごしごし、ごしごし……  
「んっしょ、んっしょ。どう? おに〜さん? こんな感じで良いかな?」  
「あ、ああ。気持ち良いぞ」  
 綺麗に洗われていく感覚に加え、適度な力加減が絶妙なマッサージ効果となって色々と疲れていた体には普通に心地良い。  
「へへへ〜。みんなと洗いっこしてるから、結構背中を流すのは慣れてるんだよ?」  
「確かに上手いな。これならエリたちも美夏と一緒に入りたがってるかも知れんな」  
「そ、そうかな〜♪ え、えへへ〜♪」  
 実際、これだけ気持ち良く背中を流してくれるのなら美夏に頼みたくなってしまっても納得してしまうかも知れん。  
 まぁ、俺にとってはこれが最初で最後なんだろうけど。  
 と、美夏にされるが儘に背中を任せていたんだが、  
「い、一緒に入りたいなんて……。お、おに〜さんってば結構大胆なんだから……」  
 ごしごし、ごしごし……  
 ごしごし、ごしごし、ごしごし……  
「そ、それはこの美夏ちゃんと一緒にお風呂に入りたい気持ちは解るけど、わたしだっていつでもおっけ〜ってわけじゃないし……」  
 ごしごし、ごしごし、ごしごし、ごしごし……  
ごしごし、ごしごし、ごしごし、ごしごし、ごしごし……!  
「で、でもおに〜さんが、ど〜してもってゆ〜なら一肌脱いであげなくもないってゆ〜か……」  
「お、おい? 美夏?」  
 既に泡だらけになっている俺の背中に気が付いてないのか、何やらぶつぶつと喋りながらも一心不乱に俺の背中を流し続ける美夏。  
 そして、徐々にだが確実に、並→強→激と美夏の出力が上がっていき、  
「うにゃあっ!? んむぅ!?」  
「お?」  
 背中に勢い良く滑った感触が走った後に、何やらものすげえ柔らかい感触が俺の背中に圧し掛かってきた。  
「あ、泡が目に入っちゃった〜。い、痛いよ〜。おに〜さん」  
 どうやら、力み過ぎた美夏が手を滑らせて俺の背中に顔から突っ込んだらしい。  
「に、にゃあ〜。拭いても取れないよ〜」  
 それは美夏は俺の背中を洗っていたんだから、その泡塗れになっている手じゃいくら落とそうとしても泡は落ちんだろう。  
「お、おに〜さ〜ん」  
「あー、待ってろ。美夏。今流してやるからな」  
 風呂桶にお湯を注ぐと、振り返って泡塗れになっている美夏の顔と手を洗い流した。  
「まだ痛むか?」  
「う、う〜。だ、だいじょ〜ぶかな?」  
 ぽたぽたと、お湯を滴らせて下を向いていた美夏が確認する様に瞬きを繰り返すと、俺を見上げながらそう答えた。  
「――っ!!」  
 と、徹夜でデータの打ち込みを終えた新人社員みたいに充血した眼をした美夏の顔が、更に茹で上がった松葉蟹(鳥取県産)みたいに真っ赤になった。  
「あ、あわわわわ!!」  
 ぷしゅ〜っと、蒸気を吹き上げて機能停止に陥る美夏。  
 何処かで見た様な光景だと思っていたら、春香の誕生日プレゼント選びの途中に拠ったアニメDVDコーナーで間違ってキラキラと光る18のマークが付いたアレなDVDを手に取った時と同じ反応だった事に気が付いた。  
 はて? そんなモノが風呂場にあるとは思えんし、一体美夏は何に反応しているんだ?  
 美夏の視線の先を辿ってみると、それが俺の腰巻きタオルの奥だったりするわけで――  
「……って、俺なのか!?」  
 良く良く考えてみれば、俺から見れば腰に巻いたタオルで見えなくなっているモノでも、脚を閉じていない状態なら美夏の位置からだと見えてしまっているかも知れん(と言うか、見えてるからあの反応なんだろう)。  
「す、スマン!! 美夏!! 俺はもう先に上がるから、美夏は風邪引かないようにゆっくり温まってくれ!!」  
「お、おに〜さんのが。あわ、あわわわ……」  
 脚を閉じながら回れ右をすると、急いで背中の泡を流した俺はダックスフンドに追われる野兎の如く、風呂場から飛び出したのだった。  
 
「ふ、ふぅ〜。ふぅ〜……」  
 一通り体を洗い終えて湯船に浸かったわたしは、自分に聞かせるような落ち着いた声を出して深呼吸を繰り返した。  
うっかり見えちゃった、おに〜さんの、男の人の大事なトコロ……  
 昔、お父さんと一緒に入った時に見たのとは似ているようで違うような感じの、タオルの下のお股から少しだけ覗いてた、ピンク色をしたおに〜さんの……  
 ――ぼしゅぅ  
「あ、あわわわわ……」  
 思い出した所為で、折角休憩してたわたしの心臓がライオンから逃げるトムソンガゼルみたいに走り始めた。  
 い、いけないいけない。これじゃあ、別の意味で逆上せそうだよ。  
ふるふると頭を振って、わたしは別の事を考え出した。  
真っ先に思い浮かぶのは、今日のパーティーでのおに〜さんの事。  
 
『確かに美夏はお嬢様で色々と複雑なのかも知れんが、俺にとってはそれでも普通の女の子と変わらない存在なんだよ! 家柄だとか春香に近付く為だとか、そんな理由で優しくしてるんじゃない! みんな美夏の事が大好きで、大切にしたいからそうしてるんだ!』  
 
――ううん。思い浮かぶんじゃなくて、ずっと頭の中から消えずに残ってる――わたしを抱き締めながら叫んでくれた、おに〜さんの言葉。  
 あんなに優しくて、そして怒ってたおに〜さんは、まるで物語でお姫様を守る騎士みたいにもの凄く格好良かった。  
 勿論、守られてるヒロインはわたしって事になるわけで……  
「――〜っ……!」  
多分、真っ赤になってる爆発しそうな顔を両手で押さえながら、わたしはばしゃばしゃと湯船で足を暴れさせた。  
あ、あんなたいみんぐで、しかも普段は見せないような真剣な表情でああいう事を言うなんて、ほ、本当におに〜さんはスコケマシだと思う。  
 す、スコケマシ過ぎて、  
「う、うぅ〜……」  
 おに〜さんの事しか、考えられなくなってる――のかな?  
 抱き締められた時の感触や息遣い、匂いなんかが今でもわたしの中で何度も繰り返されて、  
「え、えへへへ〜♪」  
 あれは嬉しくて幸せな事だったって事を、どう仕様も無く思い知っちゃっているんだと思う。  
 そんな気持ちでお湯に浸かってると、  
「あ……」  
 バスタブの中に仄かに漂うおに〜さんの匂いに、ここがさっき迄おに〜さんが居た場所なんだって事に気が付いた。  
「…………(ご、ごくり)」  
 静かなお風呂場に、わたしの喉がヒンズースクワットをする音が響いた。  
「す、す〜は〜。す〜は〜」  
 べ、別にコレはおに〜さんの匂いを嗅いでるとか、そ〜ゆ〜のじゃなくて、寧ろ落ち着かせる為に敢えて深呼吸なんかをしているってゆ〜か……  
 じくん……  
「に、にゃ……?」  
 お腹の奥に灯った熱っぽさに、わたしは思わず両脚を閉じて肩を抱き締めた。  
 どきどきどきどきどき……  
「? ??」  
 やたらと元気なわたしの鼓動と不思議な切なさに驚いてその儘じっとしていると、そのじんじんする熱っぽさが少しずつ収まってくのが分かった。  
「……の、逆上せたのかな?」  
 バスタブから出て、わたしはもうすっかり温まった自分の体をバスタオルで拭きながら眺めてみた。  
 う〜ん……  
別に、おかしなトコロは見当たらないと思うんだけどなぁ……  
 そんな風に考えながら体を拭いていると、  
「――に、にゃっ!?」  
 お股を拭いたバスタオルから、透明な糸が一瞬だけぬるーっと伸びて切れた。  
「せ、石鹸かな……?」  
 もう何も残っていないお股と拭き取ったタオルを交互に見ながら、わたしは首を捻っていた。  
 
 

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