**パリ初日の記念すべき夜**  
 
千秋真一はベットに腰掛け、左腕で上体を支え、  
無防備に眠っているのだめの寝顔を見下ろした。  
そしてアルコールの所為か薄く朱に染まっているのだめの頬を、そっと指で触れた。  
化粧気のないその頬は、子供の肌のように滑らかだ。  
 
(こいつの肌が妙にきれいなのは、変態だからだな。)  
(本能のままに生きているからな。ストレスも少ないよな。)  
 
「…んっ」  
 
と、鼻にかかった甘い声が、のだめの薄く開いた唇からもれた。  
目覚める様子は無いが、首を少し傾ける。  
 
(へぇ、こいつでもこんな声だせるのか。)  
(こんな時でも、はうん、とか、あへー、とか奇声を上げるのかと思った。)  
 
彼の指は、彼女の頬を離れ、耳元から首筋をなぞり、  
ゆっくりとそのまま鎖骨のゆるやかな曲線をたどった。  
そして、胸のふくらみへとそっと移動していく。  
 
(こいつ、見た目より胸あるよな。色気はないけどな。)  
 
指はふくらみをそのままたどらずに、一度外に出され彼女のワンピースのすそへと移動した。  
ベットに投げ出された彼女の素足を、彼の右手の指はすべっていく。  
 
(思ったよりは筋肉質だな。)  
(まぁ、そうじゃなきゃあれだけハリセンから逃げ回れなかったか…)  
 
足から腰へと続くまろやかな曲線をたどり、指は腰骨の上あたりまで這ってきた。  
 
(やっぱこいつ、くびれはないなぁ…)  
 
指は、ゆっくりと彼女の胸のふくらみにたどりついた。  
そのまま指で円を描くように暖かな肌の上を滑らせる。  
そして、そっと頬にキスをする。  
耳元に、首筋に、鎖骨に、胸元に、キスをする。  
 
布越しに手のひらで、そのやわらかなやさしい感触を確かめた。  
 
(色気のないブラだな、おい。)  
(らしいといえばらしいが…もう少しどうにかならんか…)  
(でもこいつ、抱きごごち良さそうだよな…)  
 
「ほわぁ、千秋せんぱい…」  
 
彼、千秋真一は我に返った。  
 
千秋は、その瞬間動けなかった。  
ベットで横たわるのだめに覆い被さり、右手はワンピースの中。  
しかも胸の上に置かれている。  
言い訳できる状況ではない。  
 
幸いなことに、彼女、野田恵は起きる気配は無い。  
単に寝言だったようだ。  
寝返りをうち、よだれを垂らさんばかりに幸せそうな表情をしている。  
 
千秋はのだめが深く寝ていることを確認し、  
起こさないようゆっくりと慎重に右手を服から出し、  
そして、自分の右手を信じられないものを見るような目で見つめた。  
 
(オレは…、何をしていたんだ)  
(このオレ様が、のだめごときに欲情したというのか)  
(いやっ、ありえない、そんなことは絶対に!!)  
 
立ちつくした千秋の頭の中を思考がぐるぐると駆け巡る。  
 
(そうだ、オレは長時間のフライトで疲れているんだ)  
(その上ヴィエラ先生の音楽を聞いて気分が高揚している)  
(だから、今夜は酔っているんだ、あらゆることに)  
(そうだっ、今のオレには冷静な判断力が無いんだっ)  
 
ベットの上ののだめが、千秋のいる方へ寝返りをうった。  
大きめに開いた胸元からは、ふにっとつぶされた胸の谷間が見え、  
腰のあたりまでめくりあげられたワンピースのすそからは、  
あまり色気のない下着が見えている。  
 
(………くそっ)  
(とりあえず、これをベットの中に押し込めよう)  
 
のだめを抱き上げ、いささか乱暴にベットに押し込んだ。  
それでも起きる気配は無く、相変わらず幸せそうな寝顔を浮かべている。  
 
千秋は思わず深いため息をもらし、ベット脇にしゃがみこんだ。  
そして眠っている顔の横に添えられたのだめの右手を、そっと握った。  
 
自由に、歌うように、世界中どこにも無い音楽を奏でる手。  
この手を引っ張ってきたつもりでいたが、  
今ここに自分を連れて来てくれたのは確かにこの手だった。  
 
誓うようにその手に口付け、部屋を出た。  
 
「………また明日」  
 
終  
 

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