青い空。白い雲。目と鼻の先に煌く海。  
 彰の部屋から見た景色は窓を額縁にした絵画のようで、しばらく信子はそれに見とれた。  
 ただし部屋の中はいまさら驚きはしないが荒れ放題だ。  
「そういえばお前、今日どこ泊まんの?」  
 修二が信子に尋ねる。  
 代わりに彰が横から答えた。  
「どこってここに決まってんじゃん。修二も泊まるでしょ河の字で寝るんだもーんね」  
 修二サンズイね!  
「河ってそっち!?じゃなくて、うち今日父さんいないから俺帰んないと」  
「えぇー」  
「あ、じゃあお前らうち来いよ。ほら浩二も喜ぶし」  
 浩二は彰に妙に懐いていて、彰も浩二のことを気に入っているらしい。  
 精神年齢が近いせいだと修二は思っている。  
「やだ」  
 だからこの否定的な答えが意外だった。  
「やだ。だめ」  
 頑なに首を振る彰に、何か記憶の片隅に引っかかるものがあって修二は黙り込んだ。  
 ちらりと信子を見やる。不思議そうな顔で彰と自分とを見比べていた。  
 もう一度彰を見て、唐突に閃いた。  
 ――ひょっとしなくても、俺って今まさに馬に蹴られる寸前?  
 
「あー、うん、だよな、駄目ならいいんだ別に」  
 そもそも自分がいたとしても一人暮らしの男の部屋に泊まることを信子が何とも思っていないあたりもうアレだ。  
 途端に居た堪れない気分になって修二はわざとらしく時計を見た。  
「おっもうこんな時間じゃん。夕飯の買い物あるから帰るわ」  
「特売の時間にはまだ早いのよーん」  
 余計なこと言うなよ気付けバカ。  
 思い切り睨みつけてやった。  
「んじゃ、また明日な。明日は今の学校連れてってやるから」  
 少しだけ嬉しそうに信子が頷いて、修二も微かに表情を緩めた。  
「……俺って、ほんっと、苦労性」  
 部屋を出た途端そんな呟きが零れて落ちた。  
 携帯電話を取り出して、またすぐにしまう。  
 彼女は今頃最後の大会に向けて猛練習中だろう。  
「ま、絶賛遠距離恋愛中なのはお互い様だしな」  
 
 
 修二が出て行ってから、自然と会話は食事のことになった。  
 一通り調理器具の揃っている台所を意外に思って訊いてみると、彰は自炊していると答えた。  
「……料理、できるの?」  
「えぇー俺のこと馬鹿にしてるー!」  
 毎日ちゃんと作ってますよ!  
 たまに修二んち行くけど!  
 
「じゃあ、昨日、何食べた?」  
「野菜炒め!」  
「それじゃ、一昨日」  
「野菜炒め!」  
「…………」  
「その前の日もそのまた前の日も野菜炒め!」  
 確かに栄養バランスはいいはず、だが。  
「…………飽きない?」  
「飽きた!」  
 悪びれもなく言い放った彰に信子は溜息を吐いて立ち上がった。  
「……わかった。何か、作る」  
 野菜炒め以外で。  
 けれど予想通りというか流し台には使ったままの食器が溜まっていて、まずはそれから片付けなければならなかった。  
「なんかー、お母さんみたい?」  
 不意に彰がそんなことを言って、信子は食器を洗う手を止めて振り返った。  
 彰は何故か楽しそうに笑っている。  
「うちの母ちゃんあんま家事しないんだよねー。普通のさ、お母さんってこんな感じなんかな!」  
「……うちも、共働きだから…よくわかんない、かも」  
「うっかー」  
 同意は得られなくても彰は気を悪くした様子もなく、台所に立つ信子を見ていた。  
 年頃の女の子としては母親扱いされるのは微妙な気分だが、彰は子供っぽいのでやっぱり似ているのかもしれない。  
 そんなことを考えながら作業を再開すると、また彰が思い付いたように口を開いた。  
「って、お母さんより奥さんになるほうが先じゃねえか!」  
 ごとん、と信子の持っていた茶碗が落下して鈍い音を立てた。  
 それに気付いているのかどうなのか、立ち上がって彰は信子の背後についた。  
 
「ねーねーアレやってアレ!」  
「……邪魔なんだけど」  
「邪魔してんのよーん」  
 信子の抗議に後ろから抱き付きいて返す。  
「ご飯になさる?それともお風呂?ってやつー」  
「…夕飯、遅くなっちゃうよ」  
「そしたら俺はーこう返すー、わけー。わかるー?」  
 まったく相手にされていなくても彰は一人で楽しそうだ。  
 もう放っておこうと次の食器に手を伸ばすと、途端に耳元で聞こえた声のトーンが下がった。  
「お前が欲しい」  
 派手な音を出してコップが転がった。  
 一瞬で元に戻った彰が高い声で笑う。  
「とか言っちゃってー?……って、あれ」  
 動きを止めた信子に気付いて横から覗く。  
 信子は逃げるように顔を背けて、落としたコップを再び手に取った。  
「なになになになに。なんか効いちゃった?てゆーかキちゃった?」  
「………知らない」  
 表情は隠しても黒髪の隙間の耳がすべて語っていた。  
 その赤くなった耳朶に軽く噛み付いて、また彰は囁く。  
「じゃあほんとにこっち先にしちゃう?」  
「――っ、」  
 焦って振り返るとそこにいつもの屈託のない笑顔はなく、代わりに少しの熱を孕んだ視線があった。  
 ついさっきまで子供だと思っていたのに突然男に変化する。きっと本人は無意識のうちに。  
 タチが悪い、眩暈に似た感覚の中で信子は一人呟く。  
 罠だと気付くのは罠に掛かってしまった後でしかなく、結局逃げられはしないのだ。  
 本当にタチが悪いのは逃げようともしない自分だけれど、と信子は目を伏せて無自覚な狼の牙を待った。  
 

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