ある日突然彼女が言った。
「……彰は、私の…どこが、好き、なの」
「えっ」
どこって言われても、と言いかけて呑み込む。
黒い瞳は真直ぐに、少しだけ不安げに、自分を見上げていた。
彰はしばらく考えて、それから慎重に言葉を選んだ。
「それはー、すっげー難しい質問、なのね」
途端に信子が微かに傷付いたような顔をしたので、額をくっつけて、笑った。
「どっかひとつなんて選べないのよーん。俺って優柔不断ですから!」
それは結果的に全部だと答えるのと同じ意味だ。
けれど安易にその言葉を使わない彰に、さっきとは違う意味で泣きそうになって信子は俯いた。
「…じゃ、あ。なんでっ私が、好きなの」
「なんで?うーん、それも話すと長くなるぬー」
言いながら彰は記憶を辿る。
それは一年分にも満たなくて、よくもまあここまで、と自嘲に似た笑いが浮かんできた。
「野ブタが悪く言われんのとか、ひどいことされんのとか、嫌だって思っちゃったわけ」
多分それがはじまりで、きっと全部だ。
「その相手が修二でも、もう、ぶん殴ってやりたいぐらい嫌だって、気付いちゃったんだよ」
実際あのとき修二が信子に水を掛けていたら、自分は迷うことなく修二を半殺しにしたのだろう。
彰が修二を殴る、ということに信子は数回目を瞬かせて、急に思い当たったように言った。
「そっ、それ、答えになってない」
「かーもね。でも大事なのはー、どこ、とか、なんで、とかじゃなくて、どんくらい、デショ」
そして彰は笑い、信子はその裏がなさすぎて却って読めない表情をしばらく窺っていた。
「……じゃあ、どのくらい」
「野ブタのこと悪く言うやつ全員ボッコボコにしてやりたいぐらい」
即座に返ってきた答えは具体的なくせにわかりにくかった。
信子が首を傾げたので、彰はより良い答えを探して頭を捻る。
「あっ、うっかうっか。わかった」
指を鳴らして、自信満々といった様子で彰は笑った。
「世界中敵に回してもいいくらい、好き!だっちゃ」
「――…」
突然話が世界規模になってしまって信子は絶句する。
彰は自分の答えが気に入ったらしく満足気に頷いていた。
「……そ、そんなの、だめ、だよ」
周りのすべてが敵だと、それに似た世界をよく知っている。
だから信子は首を振った。
だのに彰はそんな信子の頭を軽く撫でた。
「野ブタが笑うんだったらいいよ。たとえば神様に嫌われてもさ。それでいいよ」
内容と掛け離れた軽い口調で彰は言う。
それが当たり前のことだと言われているようで、信子は困惑した。
困惑して、知らずに涙が頬に流れていた。
「…こういうときはー、笑ってくれたほうが嬉スィーんだけんど」
袖口で頬を拭って彰が言った。
滲んだ視界の中で、変わらない笑顔がそこにあって、信子は泣きながら微笑んだ。