「……お前、本当にそこまで鈍い?」  
 雪が降っていた。彰はいなかった。  
 ほとんど初めて二人きりで心情を語り合った後、最後に、修二はそう言った。  
「本当に――マジで……気付いて、ないの?」  
 何に、とは言わなかった。  
 答えを得ようとも思っていないようだった。  
 それは問いに似せた、優しい修二の小さな叱責だ。  
 そして、一番、聞きたくなかった言葉だった。  
 
 
 あまり驚きはしなかった。  
 どこか納得さえしながら無表情のまま彰は口を開いた。  
「…それは、誰のため?修二のため?」  
 いっそ修二のためだと答えてくれたなら、簡単に終わらせることができたのに。  
 けれど彼女はそうしないし、彰もそれを知っていた。  
「……三人の、ため」  
 信子は手元のコップに視線を落としている。  
 顔を見てしまったら何も言えないような気がした。  
「彰だって、私より修二と一緒にいたほうが楽しいと思うし、っ私も」  
「野ブタ」  
 言葉を遮った声は低く平坦で、冷たいものに触れてしまったように信子は震えた。  
「それは……わかってて…言ってんの?」  
 コップを握り締めた手は血の気を失って青白い。  
 その手を彰が掴んだものだから、信子は思わず顔を上げてしまった。  
「全部わかってて、そんで迷惑だってんならそう言えばいいじゃん」  
「違っ…」  
「何が違うの。それともホントにわかってないの」  
 一度捕まってしまったら、この双眸から逃げることなんてできはしない。  
 痛むのは握り締められた手ばかりではなかった。  
「ねえ、マジで、言わなきゃわかんないの?」  
 苛立った声と傷付いたような瞳。  
 そんな顔をさせたかったんじゃ、ないのに。  
 
「……こわく、て」  
 震える口唇から零れた小さな声はやはり震えていた。  
「彰と、二人に…なるのが。すごく、怖い」  
 一瞬顔を強張らせた後、彰がゆっくりと手を引いた。  
 その手を今度は信子が掴んだ。  
「選べない、のに、選びたくっないのに……選んじゃいそう、で」  
 いつだってそばにあったこの手を。  
 今だって離すことができないのに。  
「私の世界、には、修二と彰、しかいないのに。二人で一つの世界なのに。もし選んじゃったら」  
 小さな世界はきっと崩れ落ちるのだろう。  
 それが怖くて怖くてたまらない。  
「私っは、ずっと三人が、いい、のに」  
 彰はそっと笑った。  
 それは前に自分も出した答えだ。  
 結局そこに辿り着くのなら、もう何も変わりはしないし、変わる必要もない。  
「…なのにっ……彰はどんどん心の中、入ってきちゃって」  
 滲んだ視界で、彰が唖然とするのが見えた。  
「どんなに厳重に鍵掛けたって、簡単に入り込んで、笑って」  
 気付かないわけがない。自惚れでもない。  
 そんな目で自分に笑いかけてくれた人を、他に知らない。  
「わ、私の、心の中でっ…どんどん、大きくなっちゃって」  
 日々少しずつ育っては、隠すことが難しくなっていく。  
 その感情に付ける名前を一つだけ知っている。  
 
「っだから、」  
「もういいよ野ブタ」  
 いつもと同じ柔らかい声が信子を止めた。  
 濡れた頬を拭った彰は微笑む。  
「もういい。わかった」  
 その手も笑顔も優しすぎて、却って信子の胸を締め付けた。  
「……だから、一緒に、いられない」  
 そんなに優しく笑わないで。  
 花を咲かせる前に蕾を灼いて。  
 これ以上は、どうか、どうか。  
「だからっ…もうこれ以上……!」  
 優しくしないで。入り込んでこないで。  
 続ける言葉は押し当てられた口唇に呑み込まれて消えた。  
 その気になればできたはずの拒絶もせずに、信子は祈るにも似た心地で睫毛を伏せる。  
 また涙が頬に一筋の痕を描いた。  
「……ごめん」  
 静かに静かに彰は呟いて、傷付いたように歪な表情を浮かべた。  
「泣かせてばっか、だな。やっぱり。俺は」  
 最悪だ。  
 口の中で転がしただけの言葉は彼女には届いていないだろう。  
 その代わりに何度も「ごめん」と言い続けた。  
 泣かせてごめん、傷付けてごめん。  
 諦めることも割り切ることさえもできなくて、ごめんね。  
 後悔したってまた繰り返して、どうしようもなく、俺は馬鹿だから。  
 もう、許してくれなんて言えない。  
 
 
 
 そっと線を引く。それより先は行ってはいけない場所。  
 これはそのための儀式のようなものだ。  
 まだ十七で、もう十七で、他の方法を探せるほど大人でも子供でもない。  
 月夜に隠れて一度だけ線を越える。それで終わり。  
「……彰、」  
 青白い月光が白い肌を照らしている。  
 何か言いかけた口唇を塞いで、吐息のように彰は呟いた。  
「…言わないで。なにも」  
 見上げてきた黒い瞳は儚く揺れた。  
 それから逃げたくて首筋に噛み付いた。  
 小さく震えた信子は恐る恐る手を伸ばして、初めに見たときよりずっと色濃くなった髪に触れる。  
 あれから確実に時間は経って、優しくも残酷にも変化を促す。  
「彰」  
 呼びかけではなく声に出してみる。  
 柔らかく冷たい髪の毛の感触は指の隙間から零れ落ちた。  
「彰」  
 瞼の奥の熱を隠すように目を閉じる。  
 涙を見せれば彰はまた傷付くのだろう。  
 そしてまた、傷付いたままで微笑むのだろう。  
 
 
150 名前:彰信6/7 投稿日:2006/01/29(日) 18:59:07 ID:fhwsOKwZ 
「あきら」  
 胸元に朱が咲いていく。  
 目が醒めても夢と忘れてしまわないように、幼い熱情の生きた証に。  
 白く細い身体を暴力的なまでに求める。  
 歌声のように名前を呼び続けた声はやがて温度を上げて、切なげに掠れた。  
「彰……っ、あき…ら、ぁ」  
 心から滲み出すのは罪悪感と自己嫌悪ばかりで、けれど純粋な欲望はそれを薄膜に包み込む。  
 持て余して彰は指先を濡れた熱に穿った。  
「っ、ぁ」  
 自分の中の他者の存在に信子は息を詰まらせる。  
 裏腹に誘うように包み込む柔らかさに眩暈さえ覚えながら更に侵していく。  
「っふ……ぅ、ん…っ」  
 苦しそうな息遣いを混ぜた鼻に掛かった声。  
 奥に隠した嗜虐的な感情を刺激されて、彰の指が乱暴に掻き回した。  
「や、ぁあ……っは、」  
 生理的な涙が目尻に滲む。  
 それでも苦痛はやがて遠退き、男を抱き留めるための受け皿は甘く切なく彰を欲した。  
 瞬間、彼女と目が合って、奇跡のように思考が晴れた。  
 惹かれ合うように口唇を重ねて、まるで幸せな恋人たちのように優しいキスをする。  
 信子が涙を流したことを彰は知っていたけれど、それを信子も知っていた。  
「――、っ、ぁああっ!」  
 身体を重ねて、痛みに彼女はまた涙を流して、彼はまた小さく謝り続ける。  
 縋られた背中には爪を立てられた鈍い熱が走っていた。  
 哀しいほど愚かに、お互いを傷付け合う。  
 そのまま心にまで爪痕を残せたなら、忘れずにいられるだろうか。  
 そんな思惑さえも熱に溶けて、ただお互いの体温を求めた。  
 
 
 
 
 髪を撫でられる感触で目が覚めた。  
 瞼を上げて一番に視界に入ったのは彰の顔で、信子はまた泣きそうになる。  
 どんな顔をしたらいいのか戸惑いながら、結局彰は意味もない笑顔を浮かべた。  
「……ごめんね」  
 呟いて信子はそっと身体を寄せた。  
「…なんで…謝ん、の?」  
 彰の問いには答えずに目を閉じる。  
 ごめんね。ごめんなさい。  
 私がもっと強かったら、気付かない振りを通すことができたなら。  
「明日になったら…忘れるから、いつもの私に戻るから、」  
 穏やかな永遠と引き換えに、温もりも激情も手放すことを選んだ。  
 それしか選べなかった。  
「だから今だけ、もう少しだけ……このままで、いて」  
 彰は躊躇って、そして何も言わずに信子を抱き締めた。  
 ただ一夜だけ咲いた白い花。  
 朝が来ればもう二度と花開くことはない。  
 残り香だけを置き去りにして。  
 
 
 

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