彰と信子は手をつないだまま、ただ黙々と歩いていた。  
(二人の時間って長いのぉ〜。)あれもしよう、これもしよう、もし信子とデートすることが出来るならやりたい事はいっぱいで、考えは尽きなかった。  
でもいざ二人になったら、何も思い付かない。ただ、とぼとぼ無口で歩くだけだ。絡めた指のぬくもりだけが伝わってくる。  
「野ブタ。」  
「はいっ。」  
急に名前を呼ばれて、びっくりして彰を見上げる。  
「おいちゃんに会いに行かない?」  
やっぱり気まずくて、逃げたくなりそうで、一平に助けを求めてしまった。  
「うん。」  
信子も空気の重さには困っていた。第三者がいてくれたほうが嬉しかった。  
(俺がいないときにおいちゃんに会ったりした?)  
(ううん。)  
少し空気が変わった様で、また他愛のない話をぽつぽつとし始めた。  
「よく来たね。おいちゃん、信子ちゃんにすごい会いたかったんだよ。」  
豆腐屋に着くと一平は凄く喜んで二人を迎えると、とって付け加えたように(彰〜元気だったか?)と聞く。  
「えっ野ブタがメイン?俺じゃないのぉ?」  
彰が自分を慌てて指差したので、信子と一平が笑った。  
(こんなのばっかりなのよん。)彰が少しほほを膨らますが、一平が笑顔で迎えてくれたので、二人を包んでいた重苦しい空気を跳ね除け、すごく救われたような気がした。  
「彰〜向こうでちゃんと友達できたか?」  
一平が子供を相手するように心配する。  
「出来すぎちゃってこまるのぉ〜。」  
「なに?その分じゃ向こうでガールフレンドなんか出来ちゃったりしてるんじゃないの〜?」  
(このこのぉ〜!)一平が彰をひじでつつく。  
「えっ?」  
信子が一平の言葉に反応して彰を見る。  
「ぬぁ、ぬぁに言っちゃってるのぉ?!」  
そんな事実はないのに、信子の手前か彰は動揺した。  
「いや、おいちゃんの予感は結構・・。」  
と言いかけたとき、店先で(すみませーん。)と呼ぶ声が聞こえる。  
「は〜い。さあて仕事に戻らなきゃ。まっ適当にゆっくりしてってよ。」  
そう言うといらっしゃ〜いと店に出て行った。  
(予感は結構・・なに?)信子は一連の流れと言いかけた言葉の続きが気になって、彰をじっとみていた。  
「二階に上がっちゃうのよーん。」  
信子の視線が気になって、逃げるように二階に上がっていった。一人にされても困るので信子も後へと続く。  
 
二階に上がると、彰のものを少し残して、物置と化していた。  
「なんか一人暮らしの息子が実家に帰ってきたってかんじなのぉ〜。」  
彰がどかっと座り、申し訳程度に残されていたテーブルに手をやり、頬杖をつく。信子もちょこんと腰掛ける。  
「まあほんとの家はもっと何もないんだけどネッ。」  
何もないんだ、彰を知っているようでほんとの彰は何も知らない気がする。また彰をじっと見てしまう。  
「ぬぁに?野ブタ。」  
「なんか想像つかない・・ここ以外の彰っ、が・・。」  
タキシードに蝶ネクタイの彰がコンッと頭の中で挨拶する。社長の息子だからってそんな格好してんの?信子の乏しい発想力ではこれが限界だった。  
彰は家に帰れば社長の息子で、住む世界が違う感じがして、今のこの姿からは想像ができない。王子様がお忍びで遊びに来てるみたいだ。  
「どこ行っても俺は俺、なのよん。」  
彰の言う事は最もだ、でも少し寂しくて、信子の表情が曇る。  
「でも今度連れてく。野ブタに見せたいから。」  
彰が信子の意志は確認せず、そう言った。問いかけるのではなく、断定したのは信子のほんのちょっとの寂しさに気づいてしまったからだろう。  
「向うでも下宿してるの?」  
彰の言葉に頷くと、また質問をした。  
「ううん、一人暮らし。言うとおり転校させてやるから、その代わり一人で何でもできるようになれってとぅーちゃんがいうのよーん。」  
「一人って大変、じゃないの?」  
彰の一人暮らしも想像がつかない。部屋が凄い事になってそうだ。  
「そこらへんは大丈夫なのよん。しゅーじくんちの隣だから。」  
(じゃ、修二が大変そう。)彰の手抜かりのなさに、修二に同情する。  
「それなら毎日楽しそう・・。」  
修二と彰がいた楽しかった日々を思い出し、信子はそうつぶやいた。  
「野ブタがいればカンペキなんだけどネッ!まっ部屋は余ってるのよん。いつ来ても大丈夫なのぉ〜。」  
そこまで言うと目を見張って凝視したまま驚く信子が目に入り、(あっ、あっ、もちろん遊びにって意味なのよん!)と慌てて付け加えた。  
「例えば夏休みとかさ、今度は野ブタがむこう来たら楽しいじゃんとか思うんじゃないの?」  
ちらっと信子を見ると、そういうことかと納得していた。手をぽんとたたく、そのしぐさが可愛くて、彰は自然と笑顔が出た。  
「だぁってさっ、都会じゃ経験できないようなすげーこと山ほどあるんだぜ!野ブタにだって味わってもらいたいのぉ。海がめのマサとかさ、紹介するし。」  
(何それ?人間?)最後のほうの彰の言葉は宇宙語になっていて、信子はきょとんとした。  
「いっいいかも、それ。」  
場所がどこだろうと修二と彰っがいる世界は楽しい、だって昨日も今日も楽しくて仕方ないから、彰の言葉をすべて理解するのは難しいけど、信子も修二と彰と同じ思いを共有できるように考えてくれているのは伝わってきた。  
「まっまたプロデュースしたりしてるの?」  
もし行った時に急に紹介されたら、緊張して逃げ出してしまうかもしれないから先に聞いておきたい。  
だけど、あたしの知らない屋上があって、修二と彰っとあたしの知らない誰かさんが凄く楽しそうに話していたら、知っていても逃げ出しちゃうかもしれない。  
だからいないで欲しい、彰の返事を少し緊張しながら待つ。  
「う〜ん、それも面白いと思ったんだけどぉ〜。光る素材がなかなかいないのよん。」  
(野ブタみたいな子も一人いるんだけどぉ〜。)彰がしっくりこないと頭を抱えた。  
「それが・・さっきの・・ガールフレンド・・?」  
おずおずとさっきから心に引っかかっていた言葉を口に出した。  
「んもぅ〜野ブタまで〜。そんなのいないのよん。」  
(つーか、男だしぃ〜。)彰が口を尖らす。  
「ガールフレンドなんているわけないのぉ〜・・。」  
少し寂しそうに呟くと、両手を伸ばしてテーブルに横顔をつけた。彰がそれっきり黙ってしまったので信子はかける言葉も見付からず、黙って座りこむしかなかった。  
しばし気まずい空気の中、沈黙の時が流れる。こうなると先ほどのことが尾ひれを引いて何を話していいかわからない。  
 
(この雰囲気は俺のせいなのぉ〜。)ほんの何時間か前の自分が情けない。なんて馬鹿な事したんだと思う。ずーとずーと野ブタにふさわしい男になる日まで胸に秘めると誓った恋なのに。野ブタは今何を考えているんだろう。でも怖くて振り返れない。  
「野ブタはさ、俺としゅーじがいない三ヶ月はどぅーだったの?」  
重苦しいのに耐え切れず、でも目をあわす事は出来なくて、彰はそのまま聞いた。  
「俺らいなくてだいじょぶだったんでしょっ!」  
(俺は全然だいじょぶじゃなかったのに。)彰がそう思って、ちょっとすねてみる。  
「おっお守りがあったから・・!」  
「お守り?」  
彰が少し身体を起こして、信子を見て不思議そうに聞いた。  
「うっうん。あっ!!」  
(ちょっちょっと待ってて!!)そう言うと、だーっと階段を駆け下りて行って、まただーっと階段を駆け上がってきた。  
「こっこれ・・。」  
一枚のMDを差し出す。  
「聞いていいの?」  
「うん。」  
信子がうなずいたので、彰がしまわれていたMDデッキを出してきてセットした。再生ボタンを押す。  
“俺は野ブタがす・・”  
慌てて停止ボタンを押す。(ぬぁにこれ!?)再生ボタンを押したあと確かに自分の声が聞こえた、彰の鼓動が早くなる。  
「蒼井さんがくれた。」  
(蒼井って・・あの蒼井??)ありえないんですけどぉ〜、ありえなすぎて事態が呑み込めない。現実を認めることが出来ない。  
「彰っが転校してすぐ、修二も彰っもいなくてもうあたしだけだから学校に来てって伝えたくて、また蒼井さんの家にいったらくれた。あたしのことはまだ嫌いだけど、これはあたしが聞くべきだから、って。」  
いつになく信子は、彰にはちゃんと聞こえる声の大きさで、しっかりと語った。  
(あん時の、じゃんか・・。)停止ボタンを押さなければ、自分の幸せより三人で楽しく過ごす為に、スピーカーの向こうに信子がいるんだと思いながら、最初で最後の告白をした彰の言葉が流れた事だろう。  
「放送室で偶然見つけたから、MDに残したって言ってた。」  
それはカスミの言うとおり、本当に彰がうっかり録音してしまったのかもしれないし、もしかしたらカスミが嫌がらせに使おうと自分で録音したのかもしれない。でも野ブタの手に渡ったのは紛れもない事実だ。  
「ごめんね、野ブタ。」  
野ブタはきっと最後まで聞いてるんだろう、お守りと言ってくれたのは俺を傷つけないための野ブタの優しい嘘なんだ。こんな形で気持ちを知られている事が彰には少しつらかった。  
「なんで謝るの?」  
彰の顔は信子と反対側を向いていたので、今信子がどんな顔をしているかはわからない。分かるのはそう言う信子の声が少し震えている事だった。  
「ぬぁんでって、こんなの野ブタを困らすだけじゃんか。だってさ、野ブタは修二がっ。」  
「彰っ!!」  
彰の言葉を遮るように、信子は力強く彰の名前を呼んだ。  
「彰・・はなんか誤解してる。あたしは修二を好きだなんて一言も言ってない。」  
今度は静かに彰と呼ぶと、きっとまっすぐ見て、信子ははっきりとそう告げた。  
 
「でも、きっとあたしが誤解させてたんだよね。ごめんなさい。」  
信子が、前に手をついて頭を深々と下げる。  
「修二をあの時抱きしめたのは、あたしは彰っや修二と違って、思ってる事上手に口に出せないし、気の利いた言葉なんて思いつかないからっ。」  
頭は上げたが俯いたまま話しだす。  
「けど、あたしは二人の事凄い大事に思ってるのを伝えたくて。最後まで二人の味方だって伝えたくて・・。」(だから抱きしめた。)信子の声は、次第に消え入った。  
「二人二人ってぬぁにそれ?」  
彰の重く開いた口から発する声は落ち着いていて冷たく響いた。  
「いっつもいっつも二人ってさ、ぬぁんだよ、それ!」  
落ち着いていられたのもほんの一瞬で、彰の感情は一気に爆発した。  
今日の俺の運勢は最悪だ、きっと野ブタの運勢も俺のせいで最悪だ。もう俺なんて嫌われちゃえばいい、野ブタの記憶の中からなくなって消えちゃえばいい。  
だからごめん、野ブタ。今日の俺はもう自分では止められない。さらに声を荒げる。  
「また修二と俺は二人で一つだから、ってそういいたいの?それともほんとは修二って言いたいのを俺に気兼ねして二人だっていってんの?ならそんな優しさいらないんですけどっ!」  
時に優しさは人を傷つける。残酷で暴力的で、彰の心をずたずたに切り裂いて、嘆いても嘆いても嘆きたりない。  
「優しさじゃない。あたしは優しくなんかない。」  
優しいなんて言葉は受けた人の気持ちで、与えた人が使う言葉じゃない。彰の心が泣いてるのに、傷つけたあたしが優しいなんてあるわけがない。ただの自己満足だ。  
「修二と彰っは二人で一つじゃない。」  
信子が唇を噛み締め、首を振る。  
「それはただのあたしの願望。あたしは二人が大好きで、二人で一つだったらこんなに悩まなくてよかったのにって思ってた、から。」  
信子の声は泣き声だ。でも彰とちゃんと話したくて気丈に涙をこらえていた。  
「二人を足したような人といつか恋愛したいと思ってたから。そしたら二人とどんなに離れ離れになったって、もう二度と会えなくなるような事があったって、今のあたしがこうしていられるのは二人がいたからだって忘れないですむから。」  
(だから二人で一つになって欲しかったの・・。)顔を上げてまっすぐ彰を見る。  
「でもやっぱり修二は修二、彰っは彰っで全然違うからいいんだよね。二人が他の誰でもなくて、修二と彰だからいいんだよね。」  
彰から目をそらさない。しかし彰が先に目をそらしたのでその瞳から一筋涙がこぼれた。  
「そんな事いって俺の事なんてみてくれないじゃんか。」  
信子の気持ちも今の彰には刃のように突き刺さる。  
「いっつもさ、修二ばっかでさっ。俺だって野ブタをプロデュースしたのにさ・・・。」  
(俺一人で馬鹿みたいじゃんか・・。)彰も必死に涙をこらえていた。今日の俺は泣き虫だなと思いながら。  
「だけど、修二の事が好きって、そうやってちゃんと言ってくれたら、俺笑って忘れるから。野ブタの事、笑って忘れてあげれるから。」  
もういいよ、終わりにしよう、歯車を違える前の俺たちに戻ろう、だって俺野ブタの隣で笑ってたいもん。  
 
「違う。違うの。」  
彰の袖をぎゅっと掴み、信子は否定した。  
「ぬぁにが??」  
「修二ばっか見てるんじゃない。彰っを・・見れ・・ない・・の。」  
彰が顔を向け、視線をあわせたので、信子の語尾がたどたどしくなった。  
「彰っは太陽だから。」  
でもちゃんと言わなきゃ、気持ちを伝えないから誤解が生じる。  
今まであたしは、言わなくても彰っなら何でもわかって許してくれると彰っに頼りすぎて、彰っを無視し過ぎてしまった。  
だからどんなにつたない言葉でもいい。あたしの気持ちを彰っに伝えたい。  
「えっ?」  
「あたしを照らす太陽だからまぶしくて見えない。」  
それは夏の太陽のようにやけるほどあたしを照りつけて、あたしは溶け出してしまいそうで、見上げて存在を確認することができない。  
「だからうまく見れない・・。」  
闇から抜け出たばかりのあたしにはまぶしすぎて、跳ね返す地面のように修二を通して話すことしかできない。  
「彰っにだって言葉に出来ないほど感謝してるから。彰っのこと見てあげたいのに見れない。」  
(それだけなの・・。)修二の気持ちへの表れじゃなく、彰への気持ちの表れだという事を信子はどうしても伝えたかった。、  
「だからあたしの存在を消さないで・・。」  
闇をさまよっていたあたしの希望の光のように、ずっとあたしの行く道を照らし続けて欲しいから。だからどうか、彰っ、あたしのこと嫌いにならないで。  
「・・あたしはずっと嫌われ者だったから、もう嫌われたくなくて、三人でいる事を守るのにすごく必死だった。」  
彰は黙って聞いていた。こんなに話す信子に呆気にとられていたと言うほうがふさわしいのかもしれない。  
「あっあたしね、修二と彰っとずっと三人でいられるように、恋をするなら二人以外の人がいいって思ってた。そしたら二人のそばにずっといられるのにって。」  
信子の声と呼吸だけがよく響く。  
「友情だけをとれるのにって。でもそれはあたしの思い上がりだった。あたしたち恋したくらいで壊れるようなそんなたやすい関係じゃないんだよね・・。」  
信子の顔にダンボールの隙間から差し込む光があたる。少し目を細めた信子は綺麗で印象的だった。  
「昨日と今日、修二とまり子さん見てて思った。気持ちに嘘はついちゃいけないんだ、って。だからあたしもちゃんと決着つけたい。」  
(決着って何??)ぜんぜん意味が分からないんですけどぉ〜、信子の言ってる事をずっと黙って聞いていたが、彰にとってプラスの答えなんだかマイナスの答えなんだか予想もつかなかった。  
決着つけたいようなつけたくないような、そんなはっきりしない気持ちのまま、ただ黙るしかなった。  
“僕のこの船で君の幸せ見つけたら”信子が口ずさむ声が聞こえる。  
「きっ聞きすぎて覚えちゃった。」  
「そんなに・・いっぱい・・聞い・・たの・・かっ?」  
信子に応える様に、彰もまたぽつりぽつりと話しだした。  
「うん、聞くだけで強くなれるそんなお守りだから。」  
信子がそっと胸に手をやり、目を伏せた。この三ヶ月、幾度の寂しさを乗り越えてきたんだろう。  
そっか、そうなのか、彰がはぁ〜とため息をつく。  
「やっぱ野ブタ、すっごい鈍感なのぉ〜。」  
「えっ?」  
「だってこれ聞いてたんでしょ?」  
MDを指差す。  
「じゃ、普通わかるっしょ。俺が嫌いになんかなれないの。」  
MDを取り出し、信子に渡す。  
「つーか、その歌なんつーか知ってんの?お嫁においでっていうんだぜっ。」  
彰はそっぽを向いて、鈍感な信子にふてくされてみた。  
「高校生の俺が一生一緒にいたいって思うくらい野ブタの事が好き!ってことなんだぜっ。」  
(どんくらい好きだかわかんないの?)ふてくされながら、照れくさそうに、顔を背けたまま微笑んだ。  
(わかりすぎてわからないのかも。)気づけなかった自分になのか、彰の態度になのか、なんだかちょっと悔しくて、でも口には出せなくて、心の中で反論した。  
 
「あっあたし笑えるから。」  
あの時は彰が何を急に言い出したのか、意味がすぐ理解できなかった。彰の気持ちを知ったあと、意味が分かって涙が出た。そんな言葉の返事を今しようと思う。  
「もう泣いたりしないから、ずっと笑って暮らせるから。約束するから。」  
あたし忘れてないよ。彰っと交わした会話も何一つ、忘れてなんかないよ。だからもう絶対彰っを見てないなんて思わせないから。あたしのお願い聞いて欲しい。  
「約束するから、彰っの本当の声で聞きたい。」  
何を?なんて思わないけどさ、勇気がいるのぉ、彰がすぅっと息を吸い込む。  
「俺、野ブタのことが好き。すげー好き。」  
もしかしたら恥ずかしすぎてもう野ブタに言ってあげる事が出来ないかもしれないからちゃーんと聞いてて欲しいのよん。  
「野ブタが悲しくて涙にくれたとき、俺も一緒に泣きたい。  
野ブタが怒りでどうしようもないとき、一緒になって怒りたい。  
野ブタが傷付いて立ち直れないとき、そっと抱きしめてあげたい。  
野ブタが嬉しくて仕方ないとき、一緒に喜びたい。  
野ブタが一生笑えるように、俺も一生笑ってたい。  
野ブタの幸せは俺の幸せだから。野ブタがそこにいるってそう思うだけで幸せになれるから。  
だから好き。野ブタが大好き。」  
言い終えた彰はとても幸せそうに微笑んだ。(これも録音したい。)信子の口元も自然と緩む。  
「あっあたしも彰の事が好き!どんくらい好きか、は、恋愛したことなくて、よくわかんないけど。きっと大きすぎて見えないからわかんないんだと思うくらい、彰が好き・・。」  
彰の気持ちを聞いて自分の気持ちも伝えなきゃと思った。口に出して素直に伝えなきゃって思った。  
(あっ優しい。)彰と呼ぶ声がとても自然だった事に彰が気づく。  
「俺も。野ブタが初めての恋、だっちゃ。」  
彰が少し顔を近づける。  
「でね、初めてだから聞くけど、ちゅうってさ、どんなときにしたくなると思いマスカ?」  
「えっ?」  
「俺さ、こんな時だと思うのね。」  
そう言ってにこっと微笑むと、彰が信子の反応を待つ。  
「あっあたしも、こんな時・・だと思う・・。」  
最後の方は雰囲気に飲み込まれてかき消された。二人が恐る恐る唇をあわす。  
最初はそっと触れただけ、見つめ合ってはにかんでもう一度、そう、Kissするたびに近付いて抱き合って何度も何度でも・・・。  
――彰、次に会えるその日まで、寂しくなんかならないように、会えない日の分だけキスをして――  
ごつん、あんまり近寄りすぎて、信子と彰のおでこがぶつかった。  
「ごっつんこ、なのぉ〜。」  
(上手にちゅーできるまで練習しないとネッ♪)信子のおでこをさすってそう言うと、優しくゆっくり唇を重ねた。このまま息も時も止まっちゃうかもしれない、そう思わせるほど長い長い口付けをするために。  
「彰〜?信子ちゃ〜ん?」  
一平の声が階下で響く。一瞬にして二人は現実に引き戻された。  
もうちょっとひっついていたいけど、これ以上くっついていたら、もっと先に進みたくてたまらなくなる。  
まだ理性のあるうちでよかった。これ以上先の甘いひとときは二人っきりで過ごしたい。  
(でもそれっていつ!?)信子と彰にはまだ遠い未来のようだ。  
「でもさ、野ブタ。俺の気持ち知ってて知らんぷりはやっぱりよくないのよーん。」  
現実に戻ってみるとちょっとした独り相撲だ。なんだか恥ずかしい。  
「でっでも彰、昨日教えてくれなかったじゃない。」  
(んっ?昨日?)彰が昨日の事を振り返った。好きな人はいるの?確かにそう聞かれた。(カマかけるなんて、野ブタ、だいたぁ〜ん!)思いあたって噴出した。でも悔しいから話題は変えてやろう。  
「そろそろ修二とまり子に会いに行くのよ〜ん。」  
「でも、まだ夜じゃないけど?」  
「着く頃には夜っぽくなるっしょ?」  
(俺はおあずけなのに修二とまり子だけずるいのよーん。)絶対邪魔してやるぅ〜、彰はそう固く決意し、信子の手を引いて階段を下りて行った。  
 
 

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