「…やっぱ寂すぃーね」
修二を見送った帰り道、彰がぽつりと呟いた。
これまでだって二人だけで行動することはあったけれど、これからはずっと二人だけだ。
「…うん。寂しい、ね」
信子も静かに頷いた。
冷たい風が二人の間を通り抜ける。
そこにはもう一人分の隙間が空いていて、寒いからもっと近付いて歩こうとはどちらも思わなかった。
そこは、修二のいた場所だ。
「二人でさー」
彰の言葉は冬の空気を白く染める。
ただでさえ人恋しくなるこの季節に、あいつは、ひとり。
「二人でさ。追っかけちゃおっか」
信子は驚きもせず、彰を見やった。
彰の横顔はきっと目の前の景色でなく、修二が居るはずの見たこともないどこかを見ている。
「修二んちの近くのアパート借りてー、毎日一緒に学校行って。たまにパパしゃんたちと夕飯食べて」
それができたら、よかったのに。
信子は俯く。
そんなこと両親が許してくれるはずもないし、二人一緒にいなくなったら良くない噂も立つだろう。
その場合悪く言われるのは真面目を絵に描いたような信子ではなく、きっと彰の方だ。
「……やっぱ無理、だよね」
そして自分を見た諦めたような笑顔に、気付いてしまって信子は足を止めた。
口に出してしまったら後戻りのできない言葉が喉もとで凍り付いて息苦しくなる。
数歩先で立ち止まった彰は相変わらず泣きたいぐらい優しい目で自分を見ていた。
「ぁ彰っ、一人でなら……行ける?」
自分の爪先を睨み付けて搾り出すように信子は言った。
それはほとんど確認に近い質問で、それでも心のどこかで否定を望んでもいる。
「…行けなくもないけどー、野ブタも一緒じゃなきゃ意味ないんだから、そーゆーのグモンって言うんじゃないぬ」
返ってきたのは肯定で、優しい否定だった。
信子はせめて涙が零れないように固く目を閉じた。
大丈夫。私は大丈夫。
その言葉だけで、私は生きていける。
「行って」
目を閉じているのに、彰の笑顔が凍り付いたのが見えた気がした。
傷付けている、それもわかっていた。
「………なに、それ。野ブタ置いて修二んとこ行けって言うの、俺に」
冗談だろうと笑おうとして、笑えなくて彰の声は静かに揺れる。
縋るように見つめた彼女はそれでも最後通告のように、頷いた。
「なにそれ。なにそれ、なにそれ自分は何も選ばなかったくせに俺には強制的に修二を選ばせるわけ!?」
それは彰が初めて信子に向けた怒りだった。
怒りで、嘆きだった。
信子は拳を握り締めてそれに耐え、声を張り上げた。
「わっ、私だって、もしあのとき彰っが弱ってたら彰、を選んだ!」
その声に滲んだ痛みに彰は目を瞠った。
俯いたままの彼女は泣いているのか。一体いつから?
「今一番弱ってるの、修二だからっ。選んであげて、ほしい」
私には選ぼうとしても選べないものだから。
「で、でも、さ……」
突然手に舞い戻った選択権は、今すぐにどちらかを選べと強要した。
そして信子はその片方の選択肢を自ら放棄させようとする。
「私はもう、一人でも、平気だから」
顔を上げた信子は涙に濡れた瞳で彰を見つめた。
違う。違うんだよ。
平気じゃないのは、俺なんだ。
「…私にとって修二と彰、は二人でひとつだから。どこかで一緒にいるんだって思えば、元気になれると思う」
泣きながら笑おうとする信子に彰は何も言えなかった。
離れてしまったらその涙を拭いてあげることさえできなくなるのに。
彼女は最後まで、何も選ばない。
「…………わかーった」
敵うわけがない。
もう俺の負けでいいよ。
それで笑うならそれでいいよ。
「ただし条件。つけさせてもらうのよーん」
信子は頷いて、わかった、なんでもする、と修二のときと同じように言った。
彰は軽く息を吐いて、冗談と本気の境界線で声を作った。
「毎日声が聞きたい。毎週会いに行きたい」
それとできれば。
声に出さずに呟いて、彰は笑った。
できれば、誰のことも好きにならないでほしい。
「野ブタが何も選ばないなら、俺が両方選ぶんだっちゃ」
――どっちも選べないってことはさ、どっちも欲しくないってことなんじゃないの?
いつかの修二が頭の中で問いかけた。
――違うよ、修二。どっちも捨てらんないから、俺はどっちも選ぶことにしたの。
「……わかった」
信子が頷いたので彰はぱちん、と指を鳴らした。
「そんじゃ野ブタのケータイ買いに行くナリー」
「え、え?」
「だーって家の電話占領したら悪いっしょ?」
急なことに戸惑う信子の手を取って、彰は歩き出した。
このくらい餞別代わりにしたって罰は当たらないはずだ。
しばらくして躊躇いながら握り返してきた華奢な手に、時間よ止まれと彰は祈った。