「俺さー、欲しいもんがあんのよね」
彰の話が唐突なのは今に始まったことではない。
そしてその大半が他愛のないことなのもいつものことで、それに信子が大真面目に付き合うのもいつものことだ。
「…なに?」
屋上の冷たい風が色素の薄い髪を乱して、その表情を隠した。
数秒の沈黙は恐らくは躊躇いだったのだが、信子はそれに気付かなかった。
「野ブタのこの指。ちょーだい」
そう言って彰が掴んだのは信子の左手の指。
信子は眉根を寄せて首を傾げた。
それは彰にとっては馴染み深い「何言ってんだこいつ」という顔だ。
けれど信子のその表情には純粋な疑問しかなく、彰はそれが好きだった。
というか、彰は信子だったらどんな顔だって好きだ。
「……指…欲しい、の?」
「うん、要は予約なぬ」
「よ、よや、く?」
おうむ返しに呟いて、気付いて信子は目を瞠る。
そんなにしたら目玉落ちちゃうよ、と比較的呑気に彰は思った。
彼女の薬指を掴んだままの手を軽く持ち上げる。
「野ブタの未来、俺にくれっ」
卑怯だ、と混乱する頭で信子は思う。
冗談めかした口調のわりに優しい声と真直ぐな瞳はこれ以上ないくらいに卑怯だ。
どうしようもないくらいそれは本気で、けれど儚い子供の約束で、どう答えても構わないのだと決断を迫る。
「へーんーじーはー。ドゥーですか」
ごつん、と俯いた信子に彰は額を合わせる。
冷たくなった肌に触れる体温は泣きたくなるほど優しかった。
「………く、草野君のっ」
俯いたまま発せられた聞き取りにくい声はそれでも彰にはきちんと届く。
それが少し涙声だったのは、もしかしたら自分と同じ理由かもしれない。
「草野君の未来、わ、私に、くれる、なら」
そう言った彼女の手が震えていたので、彰はその手をしっかりと握った。
ありがとうと囁いた声なき声は、果たして彼女に届いただろうか。
次の瞬間にはもう能天気な顔で笑っていた。
「それはモチのロンってか、大前提じゃん。それだけでいいの?」
俺、もっといいものあげれんだけんど。
信子はゆるりと顔を上げ、どうにも掴めないその笑顔を見つめた。
それを問いかけと捉えて彰はまた冗談とも本気ともつかない言葉を紡ぐ。
「苗字とか。あと、子供とか」
「こ」
さすがに言葉を失った信子に気付いているのか、彰は楽しそうに未来に思いを馳せていた。
「俺、野ブタ似の女の子がいーな。そんで女社長にすんの。うっわやっべチョー楽しみ!」
あまりに楽しそうに話すので、信子も微かに口角を上げた。
彰の思い描く未来の中に自分が存在するということ。
それが信子には嬉しかった。
自分が必要だと、ここにいていいんだと、彰はいつでも当たり前に笑ってくれる。
――ああ、どうせいつか世界に終わりがくるなら、今でいい。
瞼の裏に熱を感じて上を向けば、冬の青空が滲んで歪んだ。