あたしの大切な二人は転校という形であたしのもとをさっていった。あたしは蒼井さんという初めてできた友達を信じられない形でなくし、かわりにまり子さんというよき理解者に恵まれた。
あれから3ヶ月たってあたしは3年生になった。
あたしは相変わらず屋上が好きで、一人になってもたまに来ては、二人がいるかのようにぼーと座ってる。
あたしが携帯電話を持たないので、彰は毎日“海がめが大変だ”だの“まめちち飲んでるか?”だの本当に一言だけの他愛のない葉書を送ってくる。家に電話をくれればいいのに。
でも、あたしはそれが凄く楽しみで、郵便のこない日曜はとても早くすぎればいいと思ってた。
だけどこの手紙を最後に、ここ数日こない。
(あたしの事忘れちゃったのかもしれない・・。)信子が手の中で手紙を握り締める。あえない日々は思ったよりも信子を不安にさせていた。
海の見える学校で今頃二人は他の誰かをプロデュースしているかもしれない。
あたしのいた場所に別の誰かがいてあたしはお払い箱なのかもしれない。
(修二・・彰っ・・。)屋上で空を見上げながら、信子は切なさで胸がいっぱいになった。
「彰っっ・・。」
口に出してみるとまだ力が入る。名前で呼べと彰が言うから、二人を名前で呼び始めたが、何でだろう、彰だけはどうしても素直に呼べない。
「彰っ・・。」
さっきよりはましだったかもしれない。でも聞いてくれる人はもういない。
3日たてば大丈夫、でもそんなの嘘だった。三ヶ月たった今もあたしは泣いている。
二人がいない悲しみは想像以上で耐えがたい。
「遅かったね。」
信子は屋上にいるのがつらくなって、家庭科室のドアを開けた。
「うん、ちょっと。」
まり子は一人になった今も家庭科室でたべている。信子はお昼の放送をやめ、修二がいなくなった穴を埋めるようにまり子と一緒にお昼を過ごすようになった。
「なんかあった?」
まり子の感は鋭い。信子がうっすらと流した涙の後を逃さなかった。
思い切ってまり子に相談してみるのも悪くない、信子は一枚のハガキを差し出した。
「これ?」
まり子はハガキを裏返した。そこには書きなぐった字で、“野ブタ発見!!”とかかれていた。
「なにこれ?草野くん?」
信子がこくっと頷く。
「意味わかんないね・・。」
まり子が苦笑する。
「この日以来、彰、からハガキがこない・・。」
また彰に力が入る。
「彰、って草野くんの事?」
まり子も彰に力をこめた。
「なんでかうまく呼べない・・修二は呼べるけど・・彰っは自然に呼べない・・。」
(今も毎日練習してるんだけど・・。)信子がため息をつく
「毎日練習してるんだ?」
「うん、うまく呼んであげたい、と思う・・けど呼ぶのに勇気がいる・・。」
彰、って呼ぶのは緊張する。だって、いつも彰は、呼んだらあたしをまっすぐ見るから。
心も身体も丸裸にされちゃいそうで、なんだかとっても恥ずかしい。
あたしは心構えが必要で、勢いをつけないと、名前を呼ぶ事すらできない。
でも彰だけ呼べないのは変だ、修二と同じように呼んであげたい、そう信子は毎日思っていた。
「小谷さん、もしかして草野君のこと好きなんじゃない?」
まり子は少し嬉しそうだ。
「好き・・・なんで?」
「だって毎日草野君のことを思って練習してるってことは、毎日草野君のことを考えてるってことでしょ?好きじゃなきゃ、毎日なんて考えられないよね。」
(私もそうだから・・・。)修二の事を思い出したのか、まり子はそっと胸に手をあてて、はにかんだ。
(好き・・?)あたしは三人でいるのが楽しくて、三人でいるときの修二と彰が大好きだった。だから修二と彰は順番なんてつけちゃいけないと思ってた。
信子は指で唇をなぞった。いまでもあのときの彰の唇のぬくもりが忘れられない。あのときからすこし悩んでる。あたしはただどちらかを選びたくなかっただけかもしれない。
(何で彰っはあんな事したんだろう・・。)今思い出しても恥ずかしい。キスもデートも一回だけ。あたしは彰と二人になるのが怖くて、彰の気持ちを聞くことなく、彰を送り出してしまった。
「私ね・・ほんとは小谷さんはずっと修二の事が好きなんじゃないのかなって思ってたんだ・・。」
(修二が好き・・?)確かに、修二の転校は、体の三分の一がなくなってしまうようで、とても寂しくて、涙が出た。
今のあたしがあるのはなによりも修二のおかげで、あたしにとってかけがえのない人だっていうのは、今でもかわらないし、これからも変わらない。
修二がこの先何かに迷ってつらいとき、あたしはまた修二を抱きしめてしまうかもしれない。
でも別にそれは恋とかじゃなくて、言い表せないほどの感謝を、少しでも恩返ししたいから。
「私は修二への気持ちは誰にも負けないつもりだったけど、小谷さんには負けちゃいそうで不安だった。すごーく不安でなんかあせってた、だからあの時修二に振られちゃったのかもしれないね・・。」
まり子はあの日の事を思い出してるのだろう、遠くを見つめた。
「・・修二はまり子さんといるときが一番かっこいいと思う・・好きが伝わってきてかっこいいから・・。」
(だから・・修二は・・まり子さんと幸せになってもらいたいと思ってる・・。)そう、修二は幸せになってもらいたい人、ずっと幸せを願いたい人。
「・・まり子さんと修二・・二人を見てるのが好き・・だから。」
信子はまり子の心に真剣に訴えかけた。
「・・私、小谷さんと友達になれてすっごいよかった・・。」
まり子も信子の気持ちを受け止めていた。
「えっ?」
「小谷さんといるとすっごく人を好きになれそうだから。」
まり子の笑顔は朗らかだった。あたしもまり子さんみたいに笑いたい、まり子の素直な笑顔は、信子のお手本だ。まり子の笑顔は幸せが移ってきて、信子も笑顔になれる。
(友達・・。)嬉しくてまり子の言葉を反芻してみる。(ほんとの友達ができたよ・・彰。)無意識のうちに彰に呼びかける。
(彰、はいないんだ・・。)その瞬間、信子は気づいてしまった。幸せを分かち合いたいのは彰なんだと言う事に。
そう、彰はあたしを幸せにしてくれる人。あたしの幸せを一緒に喜んでくれる人。幸せになりたい、そう思うと涙がこみ上げてくる。
私が泣いたらまり子さんが困るじゃない、泣くのを止めなくちゃ、でも流れ行く雫はもう自分の意志ではどうする事もできない。
そうなんだ、あたしの声が聞こえるように、彰はあたしの隣にいてくれないとダメなんだ。
三人一緒が楽しくて、終わりが来るなら、一人になるのは自分でいいと思ってた。だって修二と彰は二人で一つだから。二人のおかげで私は変われたから。
でも本当は、あの時、彰に修二の元に行って欲しくなかったんだ。心のどこかで、いつものように彰があたしのそばにいるって言うのを期待してたんだ。
信子は自分の気持ちに気づいて、堰を切ったように涙を流した。
寂しい、寂しいよ。寂しすぎて、苦しい。あたしを一人にしないで欲しい。
「戻りたい・・修二が転校する前に戻りたい・・。」
三人でいつも一緒にいたあの頃に。(会いたいよ・・。)信子の悲痛の叫びに、まり子は沈痛の面持ちだった。
「いくら時間がたったって、寂しいのは慣れないよね・・。」
まり子も同調したのだろう、少し黙って考えこんだ。
「小谷さん、はいあ〜ん。」
何か思いついたらしく、まり子が急にお弁当のおかずを信子の口に放り込む。
「?」
信子はもぐもぐしながら、まり子の言動にわけが分からず戸惑っていた。
「今のは、修二がおいしいって言ってくれたおかず。それで次はこれ。」
もう一つまり子が信子の口に放り投げる。
「今度は草野くんがおいしいって言ってくれたおかず。」
信子が口の中でゆっくりとかみ締める。
「修二と彰が、小谷さんの中で一つになりました!どう?おいしい?」
(まり子パワー、注入!)まり子が目の横でピースサインを作る。信子が面食らっているのをみて、(ってかんじ?)とまり子はいたずらっ子のように微笑んだ。
(よし。)野ブタパワー注入。信子がポーズを決める。
これはあたしの大好きな人が教えてくれたお守り。だから大丈夫、一人でも大丈夫。
修二と彰とはなれたって三人で一つはきっと変わらない。修二と彰はいつも心の中にいるんだから。
まり子に勇気をもらったおかげで、信子はいろんな大切な事に気づいた。信子がガッツポーズをしながら、廊下を走りぬけた。
教室に戻るとなんだか騒がしく、ヘリコプターだの金持ちだの皆が口々に噂して人だかりができていた。
(はっ・・。)その中心にいる人物を確認して、野ブタは息を呑んだ。
(すっごいミラクル・・・。)信子は幻を見ているのかと思い、動きが止まった。
「ただいま、だっちゃ。」
コンっ!幻が現実になって、信子に挨拶する。
「彰!!」
信子は気づいていただろうか、滑らかな口調で愛しい名前を呼んだのを。
「彰!!」
信子は走り出していた。夢になって消えないように、信子は彰に飛びついてしっかりと抱きしめた。
「えっ?小谷と草野ってできてんの??」
それを見たシッタカが騒ぎ出す。(まだ好きなのかよ、きもちわりぃ。)そんなシッタカに坂東が罵声を浴びせて、教室の外へ出て行こうと信子たちの横を過ぎる。
「良かったじゃん、小谷。玉の輿じゃん。」
すれ違いざまに坂東が声をかけていく。
あたしはあのままだったら、坂東さんときっとこんな日を迎えるなんてできなかっただろう。二人には凄く感謝してる。そういえば彰はあたしをかばってくれたんだ。きっとあのときから私の中で彰はいなくてはいけない存在だったんだろう。彰の胸の中でそんな事を考えてた。
「野ブタ、どぅーした?」
彰にそう言われて信子は我に返った。(皆見てる・・。)そうだ、ここは教室だった、信子は急に恥ずかしくていたたまれなくなり、彰の手を引っ張って屋上へと連れ出した。
「何で?」
「う〜ん、学ランよりブレザーのほうが似合うんじゃないの。って思うんじゃないの。」
彰がおどける。
「つーのは半分嘘だけどぉ〜修二がさ、野ブタは絶対寂しがってるだろうから、俺は一人で大丈夫だから転校しろっていうのよん。」
(修二も野ブタも俺を使いすぎ。お金持ちはつらいのよーん。)彰が肩をすくめた。
「でも本当は・・ぐふふふ・・これはちょっとな・・刺激が強すぎる・・。」
彰が含み笑いをしながらひとりごちる。
「なんで?何で、帰ってくるって、言わないの?」
(一言ぐらいいってくれてもいいのに。)彰の能天気さに信子は無性に腹が立ってきた。
「ちゃんと手紙をおくったのよ〜ん。」
「もしかして手紙ってこれ?」
信子が彰に手紙を見せる。
「そう、野ブタ発見!なのぅ〜。」
彰が両手で野ブタを指差す。(これじゃわからないから・・。)信子があきれる。
「ずいぶん前にきたんだけど・・それから・・こないし・・。」
信子が目で非難する。
「もう会えると思ったから、手渡しのほうがいいかな〜と思ったのぅ〜。」
彰は相変わらずだった。(それじゃ、はがきの意味ない・・。)ほんと、心配して損する、彰には取り越し苦労ばかりさせられる。
でもそんな彰は安心する。それならあたしは彰のそばで苦労していこう。それがあたしの幸せだから。
「あぁ、きら・・。」
また彰を呼ぶ声に力が入る。
「はぁ〜もっと優しく呼んで・・。」
彰ががっくりする。が、すぐ気を取り直した。
「でも、まっ、これから毎日会うわけだし、そのうち呼べるようになるっしょ!名前でいっぱい呼んでくれっ!」
チュッ!コン!彰が合図を送った。(毎日練習してたんだけどな〜。)でもそれはあたしの秘密。チュッ・・コン・・YESのつもりで信子も彰に返す。
「彰っ!・・さっき・・“ほんとは”のあと、なんて言おうとしたの?」
「それはちょっと・・。」
彰が恥ずかしそうに口ごもるが、信子の顔は真剣でごまかしは許してくれそうにない。
「う〜ん・・だからぁ・・ほんとはぁ・・野ブタにぃ会いたかったから。」
(言っちゃったっ。)彰が照れながらももをぽんぽんたたいてる。
「あたしも会いたかったかもしれない・・。」
あえて言葉を濁したのは、彰の嬉しいサプライズが少し悔しかったから。信子は笑っていた。
彰は気づいてくれるのかな。あたしがうまく笑えるようになったのを。
「野ブタ、すっげぇ!マジノスケ?!」
そんな心配は無用なようだ。信子の顔を見て、彰が感嘆の声をあげる。ずっと野ブタを見てきたから、気づかないわけないじゃんか、そう彰の声が聞こえてきそうだ。
(野ブタ、やったじゃん!)彰は嬉しさのあまり、信子を抱き寄せた。
抱きしめられたとき、チラッと見えた空はとても綺麗で心に残った。
あたしはこの日の空の青さを一生わすれないだろう。