まだ十分に朝と呼べる時間帯に、二人並んで下校する。  
 おかしな光景だ。  
 少し笑ってやりたい気分だったが、修二は少し先を歩く彰の背中に呟いた。  
「……お前、すごいよな」  
 振り向いた彰の顔は予想に反して、或いは予想通り、笑顔だった。  
「んなーにが」  
「…そうやって笑うとことかも、さ」  
 しかも彰の場合、修二と違って作り笑いではないらしい。  
 何が楽しくて笑っているのかはわからないが、彰はいつも心のままに笑う。  
「お前、野ブタのために自分犠牲にしたんだろ」  
 泣かせてしまったから好きでいる資格がないと言った。  
 三人でいるときの彼女が一番好きだと言った。  
 ただ彼女に笑っていてほしくて、だから自分の気持ちは切り捨てるのだろう。  
「………すごいよ」  
 ぽつりと言った修二を見て、彰は右手に狐を作る。  
「修二君だっていつもやってんじゃん」  
 なに言ってんの、という声で言われてしまって修二はどきりとする。  
 嫌われないために自分に嘘を吐く。  
 それは確かに犠牲と言えなくもない。  
「犠牲にしてるもんが全然違うじゃんか……」  
 だって俺は知らない。  
 彰が野ブタに対して抱えているような、そんなにも熱い感情を。  
 どうしても諦めきれない、そんなものを。  
 それなのに諦めようとする、そこまで大事に思うものを。  
 
「…お前、強いな」  
 俺には真似できない。  
 修二の小さな言葉に彰は笑顔を消した。  
「全然強くなんかないぬ」  
 その言葉の持つ皮肉な響きに修二は思わず彰を見る。  
 ついと顔を背けた彰の横顔は意外なほど整っていて、少しだけ自嘲気味に歪んだ。  
「傷付けるのが怖いだけなの。チョー、チキン」  
 チキンチキン、と大真面目な顔で歌うように呟く。  
 修二の想像を遥かに超える頭の中身を持つ彰は、やはり何を考えているのか想像もつかない表情で尋ねた。  
「しゅーじくんはぁ、人のこと思いっきり殴ったことアリマスカー」  
 言いながら軽いジャブを繰り出してくるので慌てて避ける。  
 ねえよ、と答えればどうでもいいことのように頷いた。  
「うっか。あれさー、殴られた方が痛いのは当たり前なんだけど、殴った方も結構痛いんすよね」  
 瞬間、何故かまり子の顔が頭をよぎった。  
 振り払おうと軽く頭を振ると、彰の視線に捕まった。  
「どうせ痛い思いすんなら俺だけの方が気が楽っしょ」  
 黒い瞳は一直線に修二を射抜く。  
 なんて真っ直ぐに人を見るんだろう。  
 あの時のまり子も真っ直ぐに俺を見ていた。  
 傷付いた目で、それでも真っ直ぐに俺を見ていた。  
「…………やっぱお前、強い」  
 これは殴った方の痛みか。  
 俺は初めて傷付ける側の痛みを知ったんだろう。  
 そしてその痛みに驚いている。  
 ……驚いて、立ち尽くしている。  
 
 

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