男女交際をするからには、お互いの家を訪ねる場面に必ず遭遇する。  
それはもう、避けては通れない道だ。  
そこでは数々のイベントも待っている。男と女には欠かせないいろいろなことが。  
多分ノブタにとって一番の難関だろう。男の部屋、というのは。  
明らかに相手のテリトリーで、馴れていない場所で、いきなり迫られたら失敗するに  
決まってる。  
だから経験しとく必要があるんだよ、『男の部屋』って言うのを。  
 
幸い、今日は父さんも浩二も出かけている。  
父さんは成田空港に行っている。飛行機の乗り継ぎで日本に戻って来るが、時間がなくて  
家には帰って来れない母さんに一目だけでも会うためだ。  
浩二は土日を使って学校の友達とキャンプだ。2人とも、帰ってくるのは夜になる。  
本当は『カレシの家族にご挨拶』って言うのも練習しときたいところだけど、最初から  
あまりハードルを高くしてもしょうがないし。  
だいたい普通、最初の挨拶ってのは母親にするもので……うちはあまり一般的じゃない。  
まぁノブタは、豆腐屋のおっさんにも気に入られてるし、大丈夫だろう。  
……それもあまり一般的な例じゃなかったか。  
 
「誰も居ないから、遠慮するなよ」  
そう言ってノブタを玄関に入れてから、俺はちょっと心配になった。  
今の台詞、エッチだったかな。……何気なく言ったつもりだったけど。  
でも実際の男女交際ではよくあることだよな。家族がいない日に、男が彼女を家に連れて  
くる、ってのは。  
ノブタは警戒した様子もなく、素直に中に入ってキッチンやダイニングをきょろきょろ  
見回している。――大丈夫そうだな。  
「えーっと、俺の部屋、こっち」  
促せば黙ってついてくる。特に変わったところはない。  
何か俺の方が意識してるみたいだ。ノブタはいつもどおりじゃないか。  
 
俺の部屋は、真ん中を区切って浩二と2人で使っているから、あまり広くない。  
「そこ、座れよ」  
そう言ってノブタをベッドに座らせてみたものの……。  
……俺は、どこに座ればいいんだろ。  
とりあえず、床に座ってみたものの、あまりに変な位置関係で、俺は何も言えなくなって  
しまった。  
ノブタも同じみたいで、俺の方をチラチラ見てはいるけど、何も言わない。  
そうだよなぁ。こんな、お互いの顔も見えづらくて、正面でも真横でもなくて、近いんだか  
遠いんだかわかんない斜め45度下! みたいな距離って、どうしたらいいかわかんない  
よな。  
おまけに俺のこの位置、ノブタが動くと、スカートの中が見えそうな……。  
えーい! 今日はデートの『練習』なんだぞ! 恋人同士の距離にならなくてどうする!  
俺は思い切って立ち上がり、ノブタの隣にどっかと腰かけた。  
 
さすがにノブタは少し脇に避けて、俺との間に距離をとったが、それ以上逃げることは  
なかった。  
「えっと、練習! 練習しようぜ。この前やったこと、憶えてる?」  
俺はちょっと空気を変えようと、わざと明るく言ってノブタの肩にゆっくりと手を回した。  
「男がこう、手を回して来たら、おまえは……」  
今日は邪魔する草野がいない。俺の手は、簡単にノブタの肩に届いた。  
あれ?  
何か違う気がする。  
ここでノブタが、やんわりと俺の手をはねのけて、「やぁだ」とか「ダメ、ダメなの」  
とか言う筈なのに。  
俺の手はいつまでもノブタの肩の上にあって。ノブタはじっと動かなくて。俺もそのまま  
動けなくなって。  
そしたら、ノブタが俺の方を見て。  
長い前髪の間から、じっと見て――。  
ドキン。  
……ん? 何でドキン?  
 
「何やってんの、兄ちゃん」  
突然聞こえた浩二の声に、俺はものも言わずに立ち上がって、壁際まで飛びすさった。  
声のする方を見ると、部屋を仕切る金属ネットの向こうで、小生意気な弟がニヤニヤ  
笑ってる。  
「誰も居ないからって、女の子連れ込んじゃったりして、このエロ高校生」  
「こっ、浩二! おまえ!」  
俺は慌てて浩二を捕まえに走った。浩二は素早くすり抜けてダイニングの方へ逃げる。  
浩二の首根っこを掴んだ俺は、すかさずスリーパーホールドをかけた。  
「ちょっ……苦しいよ、兄ちゃん! ギブ! ギブ!!」  
腕をタップされたが、すぐには離さない。ちょっと思い知らせてやるぞぉ、今日という  
今日は!  
気がつくと、少し離れた場所でノブタが俺達の様子を呆然として見ていた。俺は慌てて  
浩二を離した。  
浩二はわざと苦しそうな顔をして首をさすった後で、ノブタにぺこんと頭を下げた。  
「こんにちは。えっと……兄ちゃんの彼女ですか?」  
「お、おまえっ……バカ、ちっげーよ」  
「え、違うの?」  
「違うっつーの。勝手に勘違いすんなよ」  
「だって、兄ちゃんが女の人、家に連れてくるなんて初めてじゃん。だからてっきり……  
弟の浩二でーす。はじめまして!」  
「おまえ、文化祭のときノブ……小谷に会ってるだろ!」  
「えっ……じゃ、あのときのお化け屋敷の人? こんなかわいかったっけ?」  
俺は浩二の頭を軽く叩いた。口の減らないガキだ。  
「いってぇ……何だよぉ。いい雰囲気だったから間違っただけなのにぃ」  
「おまえは、もう黙れ。だいたい、何でこんなに早く帰ってくんだよ」  
「…………」  
「浩二?」  
「……黙ってまーす」  
「おまえなぁっ」  
「山の天気が悪くなっちゃったんだよ。それで早く帰ることになったの! まさか  
兄ちゃんがこんなことしてるとは思わなくて」  
もう一度殴ろうとした俺の手をかいくぐって、浩二はノブタに頭を下げ、自分の部屋に  
消えていった。  
「あー、悪い、小谷……今日はこんなもんで、いい?」  
俺は立ち尽くしているノブタに言った。  
浩二が帰ってきたんじゃ、もう練習にはならない。  
「送ってくよ」  
ノブタは黙って頷いた。  
 
夕暮れって奴は、不思議な効果がある。  
黙って歩いていても、沈黙があまり苦にならないんだ。  
ノブタの家までの道のりを、俺達は何も言わずにただ、歩いた。  
 
小さな家のドアの前で、俺は素気なく言った。  
「じゃ、ここで」  
何となく……何となくだけど、ちょっと別れがたいような気もした。それを認めたく  
なくて、わざと冷たい言い方になったのかもしれない。  
ノブタはドアの前でもじもじしている。何か言いたいことがあるのかと思って、俺は  
待った。  
あの言葉を言ってくれるのかと思った。「今日は、楽しかった」って。  
そしたら、何て答えるか、もう決めてある。  
でもノブタがそこで俺に言ったのは、全然、別のことだった。  
「あ、あの……お茶、飲む……?」  
「………………は?」  
「う、うちも……今日……誰も、いなっ……い、の……」  
ノブタの声は、また消え入りそうだった。  
 
とりあえずノブタの家に上がり込んではみたものの、俺はそわそわと落ち着かなかった。  
他人のうちのダイニングって、何でこんなに落ち着かないんだろう。  
どこの家だって大して変わりゃしないのに。  
草野の下宿も他人の家だけど、あそこは賑やかなおっさんもいるし、緊張なんてしたこと  
ない。  
だいたい草野の部屋といったらごちゃごちゃと散らかっていて、俺はあの部屋に行くと  
まず、自分の座る場所を確保するためにその辺を片づけなければならない。そんなことを  
しているうちに気まずさもどーでもよくなるのだ。  
ノブタの家は物が少なくて、きちんと整理されていて、ノブタがお茶を入れてくるまで  
することもなく、それが余計に所在ない気持ちにさせる。  
こういうの、何て言うんだっけ……借りてきた猫?  
 
ノブタが湯飲みを2つ、お盆に乗せて運んでくるまで長くても10分くらいしか経って  
いなかったんだろうが、俺には30分にも1時間にも思えるくらいだった。  
「ご、ごめん……に、日本茶しか、なかった……」  
「あ、いいよいいよ、うん」  
……俺は何で、テーブルを挟んで、ノブタと2人、茶を啜ってるんだろう……。  
男を自分の家に入れるっていうのも必要な練習なのに。もてなし方について、ノブタに  
レクチャーするべきなんじゃないのか。  
練習しよう、って……ノブタに……言わないと……  
 
「れっ、練習……しないの?」  
黙っていたら、ノブタに先に言われてしまって、俺はもう少しで茶を噴いてしまうところ  
だった。  
どうにか動揺を隠し仰せて、落ち着き払って湯飲みをテーブルに置いた俺は、ノブタを  
じっと見た。  
「さっきの続き、ってこと?」  
一応聞いてみると、ノブタはこくりと頷いた。  
「続きねぇ……」  
練習を続ければ、この後どうなるか、俺はわかっていたような気がする。  
わかっていたのに、俺はノブタの提案を退けなかった。  
 
もしあのとき――『114の日』に、俺がノブタの上に花を降らせていたら。  
俺達は練習じゃなく、こういうことをしていたんだろうか。  
多分俺は、まり子にソッコー振られてるだろうから、フタマタでもないし。  
全校生徒公認の、絶対に別れることのないカップルとして。  
俺達は付き合っていたんだろうか。  
 
立ち上がってノブタの側に近づいた俺は、ノブタの手から湯飲みを取り上げて、テーブルの  
上に置いた。  
そのままノブタの両肩を掴んで立たせ、軽く押す。  
思ったより簡単に、ノブタの体は床の上にぱたんと倒れた。  
上から覆い被さって、手を伸ばして、髪を梳く。頬を軽く撫でて、シャツのボタンを1つ、  
外した。  
それでもノブタはされるがままになっている。  
俺の目をじっと見て――見つめたまま、動こうとしない。  
何で、抵抗しないんだ。  
 
「何で、抵抗しないの?」  
俺は思ったことをそのままノブタにぶつけてみた。  
「屋上で教えただろ? 嫌だったら断らないとさ……男は、自分からは止まらないん  
だから」  
ノブタは何も答えない。  
「嫌なら嫌って、ちゃんと言わないと」  
ズキン。  
……ん? またズキン?  
 
「……嫌じゃ、なかった……ら?」  
「……えっ?」  
思いがけないノブタの言葉に、俺は間抜けな声を出した。  
「嫌じゃ、なかったら……抵抗、しなくて……いい?」  
「……嫌じゃないの、おまえ?」  
ノブタは視線を左右に走らせて少し考えていたが、ぼそぼそと話し出した。  
「だって……もう、すっ、好きでも、ない人……とは……つ、付き合わなくていい、  
んでしょ?」  
「……ああ」  
「だ、だったら、今日は……すっ、好きな、人と、付き合ったとき……の、れ、  
練習……」  
「ああ、そうか」  
ノブタの言葉に、俺は納得した。  
納得したのに、何でだろう。  
頭の奥がぼーっとして、何か……考えがうまくまとまらない。  
好きなヤツと付き合ってるときの練習か。だったら抵抗しないよな。抵抗しないん  
だったら……  
考えがまとまらないままに、俺は、ノブタにそっと口づけていた。  
 
シャツのボタンをもう1つ外して、中に手を差し入れた。  
ブラの肩紐をずらして下に引っ張り、掌でそっと膨らみを覆う。  
……小せぇな。いや、標準的、なのかな。  
あ、肌がぴくって、した。  
緊張してる。  
うーん……俺も緊張してる……かも。  
撫でてるうちに指が頂点に触れた。また、ぴくってした。  
やっぱりここが一番敏感なんだな……。  
指先を頂点に宛てて円を描くように動かすと、ノブタの息がちょっと荒くなった。  
顔を見ると、真っ赤になっていた。眉毛の間に皺が寄るほど、きつく瞼を閉じている。  
「……大丈夫?」  
心配になって聞いてみたら、目を開けずにこくっと頷いた。  
カーディガンとシャツのボタンを全部外して前をはだける。ブラのホックも外して、  
今度は大きく上にずらしてやった。  
浅い谷間を舌でぺろりと舐める。  
「や、や……っ」  
ノブタが初めて声を出した。  
「嫌?」  
「は、恥ずかしい……」  
そりゃそうだろうな。でも、これからもっと恥ずかしいことするんだけどな。  
俺はノブタの胸の頂点をくりくりしながら、もう一方を唇で摘んだ。  
「ん……!」  
ノブタが俺の肩を両手で掴んだ。震えながら引き離そうとするけど、力が入らない  
みたいだ。  
足がガクガク震えてる。  
もう片方の手でスカートを捲り上げ、下着の上から一番恥ずかしいところに、触れた。  
 
「…………!」  
ノブタは一瞬、体を硬直させ、足を閉じようとした。  
遅いよ。もう俺の足が間に入ってて、閉じさせやしない。  
薄い布が溝の間に入り込むくらい、ぎゅっと指を押しつけると、肩を掴んでいる手に  
力がこもった。  
でも今度は、引き寄せるみたいな動きに変わってる。  
心細いんだろうと思って、俺はノブタの胸の間に顔を埋めながら、乳首をいじっていた  
手を背中に回して抱き寄せてやった。  
ノブタの両手が俺の背中に回って、服をぎゅっと掴んだ。――かわいい。  
下着の上から押しつけた手を前後に動かすと、ますますしがみついてくる。  
「きっ、きり、たに……くんっ」  
そんな、名前なんか呼んじゃって……  
「あっ、足に……何か、当たってる……っ」  
「え?……あ」  
いつの間にか、俺の下半身で『もう1人の俺』が存在を主張し始めていた。……はえぇよ。  
俺はちょっと恥ずかしくなって、膝を立ててノブタにそれがぶつからないようにした。  
「男の人って、み、みんな……そんなふうに……なるの」  
「なるよ」  
こんなときに、何を言い出すんだ、こいつは……。  
「す、好きじゃない相手にも……なるの」  
「それは……そいつの性格と、そのときの状況と、相手の女によるんじゃねぇの」  
ノブタの質問に答えながら俺はせっせと手を動かしていたが、なかなか濡れてこない。  
やっぱり直接、刺激してやった方がいいかな。  
下着に手をかけると、ノブタの体が一際大きくビクッと震えた。  
「そ、それっ……は、は、入るの?」  
「え?」  
「わ……たしの、なか、に……」  
入るよ。  
入るけど……痛いだろうな。  
ノブタは初めてだろうし、多分気持ちよくなんかないだろうし、すごく、痛いだろう。  
痛がって、叫んで、きっと泣くだろうな。  
でもこいつは、きっとそんなことも知らないんだ。  
知らないで、いきなりそんな目に遭ったら、女の子はどう思うんだろう……。  
しかも、好きでもない男相手に。  
 
そう思った途端、ものすごく唐突に我に返った。  
 
お、俺は、俺は何をやっているんだぁああっ!!  
本当に……してどうするよ?!  
こんなのは、こんなのは――プロデュースの範疇を越えてるだろうが!  
第一これじゃ……これじゃ……  
「デビューしたかったら、ワシと一緒に一晩グエッヘヘ」な芸能事務所のエロ社長  
みたいじゃないかぁあああ――――!!  
違う! 違う!! 俺は断じて、そんなんじゃない!!  
そんな下心で、ノブタをプロデュースしようとしたんじゃないぃいいぃい!!!  
 
だけど、俺の下半身のモノは、もう引き返せないほどビンビンになっちまっていた。  
どうする! どうする、桐谷修二ぃい!!  
……って、どうにもなんねぇよ、こうなっちまったモンは!  
 
――結局、どうにもできなかった俺は。  
ノブタをそこに残して、猛ダッシュでノブタんちのトイレに駆け込んだ。  
 
始末を終えてダイニングに戻ると、脱がされかけていた服を元どおりに着たノブタが、  
ちょこんと畳の上に座っていた。  
俺は頭を抱えてその場にうずくまった。  
何でこんな中途半端なことしちまったんだろー……。  
最後までやらなかったんだから、まだマシだろうか。それとも余計にノブタを傷つける  
ことになっただろうか。  
そんなこともわからないほど、俺は混乱してしまっていた。  
 
「だ、大丈夫……?」  
ノブタの声が、俺を現実に引き戻した。  
「あ、ああ……大丈夫」  
どうにか返事をしたものの、心臓が、胸の奥が、何かもう、メチャクチャだ。  
ズキンとドキンとガッカリとバクバクがいっぺんに来て、どうにもならない。  
「おまえは、大丈夫なのか?」  
「え?」  
俺は話題をノブタの方へ方向転換した。  
その方が落ち着けるみたいだ――うるさいくらいだった心臓の音が少し小さくなった。  
「いや……練習とは言え、いきなりさ……その……触ったり……びっくりしただろ?」  
しかも俺の勝手で終わらせちまって。ただノブタを不安にさせただけじゃねーのか。  
今度は胸の奥がヒリヒリする。  
哀しいような切ないような――空しいような、変な気分だった。  
プロデュースって、こんな気持ちになるものだったのか?  
 
「わ、わたしは……平気だよ……」  
ノブタは俺のことを真っ直ぐに見て、言った。  
「あ、そう……」  
「だって……練習だし」  
あ、来る。  
ズキン、が。  
……ほら、来た。  
「れ、練習、だった……けど」  
ノブタはまた俯いて、どうにか聞き取れるくらいの小さな声で言った。  
「触られても、い、嫌じゃないって……思った……から」  
今度は、あれが来た。  
ドキン、が。  
一度だけじゃなかった。  
続けて、来る。  
 
「お、俺、帰る!」  
俺は、自分でもみっともなくていたたまれなくなるほど慌てて、立ち上がった。  
ダメだ。これ以上ここにいたら、また別のものが来る。  
それが来たらもう引き返せなくなるじゃないか。  
バタバタと靴に足を突っ込んで帰ろうとする俺の服の袖を、ノブタが掴んで引き止めた。  
このバカ、んなことすんな!  
「あ、の……!」  
「ああっ、何?」  
焦りすぎて乱暴に振り返った俺に、ノブタは例の言葉を言った。  
「き、今日は、楽しかった……!」  
 
頭が、また、真っ白になった。  
 
「こ、今度は、ま、間違わずに言えた……よ、ね?」  
「う、うん……」  
すごい。すごいよ、ノブタ。  
おまえ、すごい。――ちゃんと、成長してる。進歩してる。  
それなのに、俺は。  
子供はこんなにすくすく育って、お父さん役の俺は、何だか、どんどん……ふ、老けてる?  
若年性痴呆という言葉が、不意に頭に浮かんだ。――違う! 断じて違う!  
「き、桐谷くん……は?」  
ノブタが俺の服を掴んだまま聞いてくる。  
何か言わないと。もうこの際、ありきたりでもいい。  
言うんだ。「俺も楽しかった」って。それで今日の練習は成功だ。  
そのとき、真っ白だった筈の俺の頭は、ここで言おうと決めていた言葉を思い出した。  
 
「……ノブタ」  
俺は、ノブタの乱れた髪を整えるように、軽く触れながら言った。  
「また、明日な」  
声は震えてなかったと思うけど、俺は、ちゃんと笑えていたのかなぁ……。  
 
『今日は楽しかった』って言うのは、俺達の場合、ちょっと違うと思ったんだ。  
今日『も』楽しかった。明日『も』楽しいさ。きっと。  
明日も。明後日も。その次の日も。また会える――毎日、会える。  
俺達の学校で。だから……また、明日!  
 
(終)  
 
 

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